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二階の音の話

 二階から、毎日音がするようになった。

 長いことずっと静かだったのが、毎日毎晩何らかの音がするようになり、それは何かを落とす音とか、何かを作るような音だとか、そのような音が聞こえてくる。切れ目なく、と言うわけではないのだが、何というか、人の生活音とは少し違う感じがして、もしかすると引っ越して空いた部屋を修繕しているとか、そういう事なのかな、と思った。

 フローリングの部屋だと、鍵でも落としたような金属音のような音は、ちょっと気になるものだ。さらにどういうわけか、水が流れるような音も聞こえる。極めつけが、朝の五時くらいに、携帯のバイブ音がずっと鳴っていて、あまりにはっきり鳴り続けるので、思わず自分の携帯と仕事用の携帯を確認したくらいだ。しかし音の出所はそれらではなく、ずっと続くバイブ音は天井からだと理解するのに時間がかかった。
 バイブ音が二階から響いてくるということは、携帯が床に置いてあるであろうと言うことで、二階の修繕をしていた工事の人が、携帯を落として忘れて帰ったのか、などと想像を巡らせた。
 何にせよ、腹が立つ、というのではないのだが、とにかく気になって仕方ない。

 それからしばらくしてある日、アパートの大家さんがやってきて、アパートの共同のゴミストッカーの整理をしていた。この頃、ゴミ捨て場のマナーが酷く荒れて、分別しないゴミや、何本もの折りたたみ傘がゴミのストッカーに突っ込まれた状態で、それはそれで気になっていたので、用事で出かける出掛けに、ホッとしながら眺めていたら、大家さんが私に話しかけてきた。

 「いつもお世話になっております。ゴミ捨て場、酷いですよね。何か気になる事とかあれば、すぐ連絡してくださいね」
 「あの、二階なんですけど、今直してたりとか、そんな感じなんですかね?」
 「何かありました?」
 「いや、うるさいとかではないのですけど、ちょっと音が気になったので」
 「ええと・・・同じアパートの住人だからいいかしらね・・・実は新しく二階に入られた方、目の見えない方で」
 「あー。そういうことなんですね」
 「音の件、お伝えしておきましょうか」
 「いえ、事情がわかったので、それであれば全く問題ありません」
 「でも、そちらにうるさいのを我慢していただくのも、それはそれで問題ですから」
 「いや、言わないで下さい。事情がわかればこちらも気にはならないので」

 実際、そのような事情であると聞いた途端に、全く音の件は気にならなくなった。人間というのは不思議なものである。
 個人的に、二階に小さな子供がいて、とかそういうことであったとしても、はっきりとした理由があって、それが十分に納得可能なものであれば、私にとってはそれは容認可能なのだ。残念ながら今の世の中、なかなか子供に対しても厳しいひとが多いようだが。

 少し心に引っかかるのは、そのやりとりがあってから、少し二階からの音が少なくなったように思うことだ。もしも大家さんが、二階の方に伝えていたとして、それは大家さんも間違っていないし、それを聞いて二階の方が対応してくれたとしたら、社会的には当たり前の事ではあるのだが、私がそのようなことを言わなければ、少しでも二階の方の気苦労が増えなかったのだろうか、などと、仮定の上で延々考えてしまう。
 しかしその真相を探っても仕方ないので、それ以上は考えないようにしようと思う。

 ディアフーフというバンドの「Damaged Eyes Squinting into the Beautiful Overhot Sun」という曲が好きだ。シンプルなロックバンド編成の曲だが、とてつもなく美しいハーモニーだと思う。耳が聞こえないというのは、こういう曲のハーモニーも感じられないのだろう。それはどんな世界なのだろうか。

 そんな事に思いを馳せる十一月でした。


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