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岸田ひろ実さんと一緒に考える、真のダイバーシティ社会の実現 -前編-

ダイバーシティという言葉を当たり前のように使うようになってきましたが、人によって定義も様々です。そこで、Tokyo Cross Point主催の「とうきょうみらいゼミ」にて、株式会社ミライロ、日本ユニバーサルマナー協会理事の岸田ひろ実さんに「真のダイバーシティ社会の実現を目指して」というテーマでお話を伺いました。

Tokyo Cross Pointとは、社会変革を目指す民間プレーヤーとこれまでの延長線上にはない答えを探している政治家による第3の選択肢をうみだしていくコミュニティです。

人生に訪れた3回の転機と絶望

私は11年前に、病気が原因である日突然歩けなくなりました。胸から下に麻痺が残り、それからは車椅子生活を送っています。主人が14年前に病気で亡くなり、今は娘と息子と私の3人家族です。

こう聞くと大変そうだなと思われるかもしれませんが、私は今すごく幸せで、やりたいことをやるのに毎日忙しいです。

私の人生には3つの大きな転機があって、まさに絶望です。人生で3回死のうと思いました。しかし、絶望は重荷ではなく、人生を再スタートするきっかけでした。

知的障がいのある息子の出産が一つ目の転機でした。二つ目は夫の病気による突然死。三つ目は、病気による下半身麻痺です。この3つの転機によって、私は大切なことを知ることができました。

息子がダウン症だと聞いた時はショックで、育てられない、愛せないかもしれないと思いました。いつも人と比べて、あれもできないこれもできないと落ち込む日々。しかし息子を育てる中で、「人と違ってもいい」ということを息子が教えてくれたのです。

「人と違うことが当たり前」という視点を持てたことで多くの気づきがあり、人と同じになることや、勉強ができることなんてどうでもいいと思うようにもなりました。

人として生きる上で何を大切にすべきなのか?人に受け入れてもらうには何が必要なのか?幸せって身近にこんなにもたくさんあったんだと、教えてくれたのは息子です。それからはそれまでよりも肩の力を抜いて生きられるようになりました。

夫の突然死

二つ目の転機は夫の突然死です。夫は急性心筋梗塞で、ある日突然亡くなってしまいました。命に限りがあること、時間は有限であることを夫が教えてくれました。そして大切な人には大切なことを伝えるべきだと思い知らされます。

感謝の気持ちやごめんねの言葉なんて、今言わなくてもいつでも言えると思っていました。どうして伝えなかったんだろうと、今でも後悔しています。

娘がパパに最後に言った言葉は、「パパなんか大っ嫌い。パパなんか死んじゃえ」でした。14歳の娘はちょうど反抗期でいつも父親とケンカをしてましたから。

夫が亡くなった時に私は決意しました。大切な気持ちは必ず伝えようと。私たち家族はいつも、ありがとうやごめんねをその場で伝え合っています。

夫は39歳で亡くなりました。建築設計デザインの事務所を立ち上げたところで志半ばでした。夫の遺志を継ごう、そして泣くのをやめて夫のためにも前向きに生きていこうと決めたのです。

突然車椅子生活に

夫の死から3年後に、大動脈解離という病気になりました。救急搬送された病院で宣告されたのは、緊急手術をするが助かる確率は2割だということ。手術をして命が助かったことを喜んだのも束の間で、医師から後遺症で下半身に麻痺が残ると告げられます。

今まで当たり前にできていたことができない。人の助けを借りないと何もできない体になって、誰かの役に立つこともない。誰にも必要とされない。何であのとき死なせてくれなかったんだと思いました。

そしてはじめて車椅子で外出した日に、死のうと決めました。自分が思っている以上に行きたいところに行けない。段差や階段があるから行きたい場所に行くのを諦めて、次のお店を探す。

「すみません」「ごめんなさい」「通してください」、気づけばずっと誰かに謝っていました。自分だけじゃなく娘も謝っていました。そんな娘を見ていたら、つらくて申し訳なくて情けなくて、もう生きていても何も楽しいことはないと思いました。

死にたい、娘にそう打ち明けました。娘はパクパクとごはんを食べ続けています。そしてこう言いました。「わかった、死にたかったら死んでもいい」。驚きましたが、死んでもいいと言われた瞬間、気持ちがとてもラクになったんです。

娘はこうも言いました。「これ以上頑張れとは言えない。私ならもう死んでるかもしれない。死んだ方がマシなのかもしれない。だから死んでもいいよ。でもこの先は絶対に大丈夫だから、もうちょっと一緒に生きよう

今が一番幸せ

頑張らなくてもいいと言われてとてもラクになって、じゃあ生きてみようと思えたんです。娘や息子のためにできることがあるなら、もう少し頑張ってみようと。歩けないからこそできることがあるんじゃないかと。

私は少しずつ前向きに、自分の希望に向かって進み始めました。今は車椅子だからこそわかる、この高さからの視点をいかして、企業や自治体で講演やコンサルティングをしています。これは歩けないからこそできる仕事です。

障がいがあってよかったとは思っていません。歩けるものなら歩きたいです。でも歩けないことは悪いことばかりではありません。今まで気づけなかったことに気づけたり、新たな視点が持てたり。当たり前のことに感謝できて、多くの人との出会いもある。私は今が一番幸せです。

ミライロという会社は、代表の垣内、民野、私の娘の3人が立ち上げた会社です。ユニバーサルデザインやバリアフリーで、暮らしやすい世界をつくることを目指しています。私はミライロで上司である娘と一緒に仕事をしています。会社は11年目で、アルバイトを含めると70人をこえる会社になりました。

ユニバーサルマナーとは

ユニバーサルマナーとはミライロがつくった考え方で、次のように定義されています。

「自分とは違う誰かのことを思いやり、適切な理解のもと行動すること」

歩ける人が、歩けない人の気持ちがわからないのは当然です。大切なのは、自分とは違う誰かの視点に立って想像してみること。そしてそこから気づいて行動に移すこと。特別な知識や技術は不要で、誰もが身につけていて当たり前のことです。

ユニバーサルマナーは、どんな人に対しても、どんな障がいがある人にも心地よい対応ができる知識です。2013年からは「ユニバーサルマナー検定」という資格にして、資格取得者は7万人をこえました。

私も車椅子ユーザーになってはじめて気づくことがたくさんありました。道路には段差や坂が多いこと。バリアフリー対応のお店が極端に少ないこと。車椅子で入店可能な飲食店は全体の4.8%で、車椅子のままお手洗いに入れるお店はさらに少ないです。

私たちに求められていること

こうした現状の社会で今私たちに求められていることは、環境や設備面のハードと配慮や体制などソフトの両面を改善していくことです。ハード面なら段差をなくしたり、エレベーターを導入することですが、お金がかかりますしそう簡単にはできません。

そこで大切になるのがソフトの改善で、「心のバリアフリー」と呼ばれています。誰かの配慮やサポートがあれば、段差や階段というハードルをなくすことができます。ハードは変えられなくても、ハートは今すぐに変えられるのです。

例えば、障がいのある人が困っている場面を見かけた時の日本人の反応は、「無関心」と「過剰」という両極端になりがちです。無関心の中には、声をかけたら逆に迷惑なのではと思い声をかけられない人も多い。逆にそこまでやらなくていいよ、とやり過ぎてしまう人も多いのが現状です。どちらも思いやる気持ちはあるので、惜しいんです。

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