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ジェイムズ・ボンド映画アクション進化論3『007/ゴールドフィンガー』

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第3作『007/ゴールドフィンガー』 (1964年)

『ゴールドフィンガー』のアクションシーンの目玉は、いわずと知れた初代“ボンドカー”のアストン・マーチンDB5である。前作のアタッシュケースと同様に、事前にQのレクチャー(ボンドは適当に聞き流している)が行われ、観客はいつどこでそれが使われるか期待を刷り込まれることになる。

 ところが前作のアタッシュケースとは違って、アストン・マーチンはクライマックスの戦いまで温存されず、中盤で惜しみなく使われてしまう。これはもちろん前作と同じパターンを使いたくないという製作側の気概もあったのだろうが、それ以外にもそうすべきだった必然性が大きく分けて二つある。

 理由の一つ目。アタッシュケースのような小さなものではなく“車”サイズの秘密兵器がもたらしたものは「無双状態のボンド」である。以降の作品でもそうであるように、ボンドがボンドカーに乗っているあいだ観客は彼の危機を感じず、秘密兵器が使われること=“アクションの伏線回収”をひたすら楽しむだけになる。

 だが、それをいつまでも続けていては映画にならないのだ。ボンドの「無双状態」は大体短くて、今作では二段構えになってはいるものの、合わせて約5分間である。しかもアストン・マーチンが敵にやられるのではなく、いわば「自分に負ける」形で終わる結末は非常によく考えられたものだった。

 もう一つの理由は敵ゴールドフィンガーにある。登場するまで1時間半もかかったドクター・ノオと比べ、開巻10分から出ずっぱりの彼は、どこかの国の前大統領みたいに自己顕示欲が強い。持参した金塊に目がくらんでも、ボンド自身に興味を持ったとは思えない。ところが秘密兵器満載のアストン・マーチンに乗ってきた男となると話は違ってくる。

 捕まえたボンドをゴールドフィンガーは工業用レーザー、つまり彼自身の「おもちゃ」を持ち出して殺そうとする。ただ死んでくれればいいと思っている相手に普通はこんなに手間のかかることはしないだろう。彼はボンドを自己顕示の最良の相手と考えたのだ。その後、彼がボンドを生かし続けたこともそれが理由である。

 このようにアストン・マーチンは単なるにぎやかしで登場したのではなく、敵に対するボンドの存在感を強化し、後半の展開の根幹に関わった存在だったといえる。この作品以後、多少のブランクがあったとはいえ、最新作に至るまでDB5が一つのアイコンでありつづけたのは、こういうはじまり方があったからである。

 ラストの対決の相手は(戦闘には不向きな)ゴールドフィンガーではなく、手下のオッドジョブである。彼もまたグラント同様、自らの武器(鋼鉄入りのシルクハット)をボンドに逆利用されて「自業自得」の死を遂げることになるが、シンプルに首を切られる死に方ではなく、クライマックスに相応ふさわしいド派手な死に方になっていた。

 また外で大掛かりな「集団戦闘」が行われているのに対し、ボンドがフォートノックスの閉ざされた大金庫のなかで、核装置爆発のカウントダウンの制約を抱えながら、ほとんど音楽もない“静かなる死闘”を繰り広げていた演出も興味深い。

 まんまと脱出したゴールドフィンガーとは自家用ジェット内でのオマケの一戦が残っていた。彼の死に方も一捻りあって、「高み」にいた人物が地に落ちる比喩になっている。シリーズののちの作品でも彼に近いタイプの悪役は墜落死を迎えることが多い。


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