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ジェイムズ・ボンド映画アクション進化論23『007/スカイフォール』

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第23作『007/スカイフォール』

 クレイグ=ボンドの3作目にしてシリーズ最大のヒット作である『スカイフォール』は(あくまでアクション視点から見て)本当に「ボンド映画」なのかという疑問が起きる。むしろ、それを超えた何かではないのか?

 レイゼンビー=ボンドが残した課題は「復讐」だった。それは形を変えてダルトン=ボンドによって果たされた。さらにダルトンの残した課題は「復讐」を超えた先にある「Mとの関係修復」だった。「偶数代目ボンド」はなぜかそういう補完関係にある。そして、ここでは当然「Mとの関係修復」がテーマになった。

 プレタイトルまでは完全に「ボンド映画」だ。イスタンブールのバザールでは屋根の上(つまりは「外」)をバイクで疾走し、お得意の「重機」を操り、余裕の態度でカフスを直し、最後は列車の屋根の「上」に登る。徹底して「ボンドアクション」が貫かれているがゆえに、その結末の意外性が際立ってくる。

 そこからはブロスナン=ボンド時代のモチーフをいくつか繰り返すことになる。爆破されてしまった情報部が場所を移動し、ボンド自身は「復帰」への道をたどる。

情報部大爆破

 細かいところでは前作同様、ロンドンでは雨が降っている。ボンド映画で「雨」のシーンは珍しく、レイゼンビー時代の第6作以外には憶えがない。

 上海でエレベーターの「下」にぶら下がるシーンこそ『ダイヤモンドは永遠に』を想起させるが、その後のパトリスとの闘いはこれまでになくビジュアル先行で、優雅なダンスのような感じだ。それに対してマカオのカジノでコモドドラゴンの脅威(?)にさらされながら3人を相手にするシーンはクレイグお得意の「分殺」だった。

こんなアクションが見られるとは思わなかった

 さて、この作品でマネーペニーとQが再登場し、レギュラーメンバーがようやく出揃う。そして描かれたのが、これまた珍しい“ロンドン市内”を舞台にしたシルヴァの追跡行である。脱線した地下鉄の車両がボンドに襲いかかってくるシーンはサービスしすぎの感もあるが、これぐらいのスケールでやっと「ボンド映画らしくなった」ともいえる。

アクションシーンを減らそうなんて発想はまったくない

 重要なのはそれにつづく査問会議の襲撃シーンで、ここではMを守ろうと、レギュラーメンバー全員(マロリーも含む)が活躍する。ボンド映画で初めて「チーム戦」が描かれたわけだ。この時点ではそこまで考えていなかっただろうが、次作のクライマックスはまさしくこのシーンの延長線上に置かれることになる。

(のちの)Mの射撃が見られるとは思わなかった

 クライマックスの舞台がタイトルの「スカイフォール」である。一度はDB5に乗りながら、そこから降りてキンケイドとともにMを守って立て籠もる。当初ボンドは武器が残っていると思っていたようだが、あったとしても十分ではなかっただろう。ボンドは言葉通り彼の人生に残された“すべて”を賭けた戦いに挑むことになる。

味方はこのキンケイド

 敵シルヴァは『ワールド・イズ・ノット・イナフ』のエレクトラの描き直しで、設定を男性にすることで「女性M」を巡るボンドとの「鏡像関係」がよりはっきりした。クレイグ=ボンドがメインの敵を“直接”殺したのはここまでのところ彼だけだ。すべてを失ったボンドがMを助けるために殺したわけだから、(M自身も含め)誰にも異論はなかったはずだ。

ラストの殺しはあっさり

 自分自身の「鏡像」を葬り去り、すべてを失ったボンドが戻ってきた場所が「かつてのボンド映画の世界」だったというのが『スカイフォール』の“完成度の高い結末”になった。ガンバレルが最後に来たのも当然そういう理由からだった。


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