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痛み

「他人に期待しない。他人にどう思われていようと関係ない。」

これはいい考えだし、私もそうであろうとしてきたし、一人でいる時はそうあれる。

一人でいれば孤独を感じることはない。孤独は、他人と関わり、他人を意識したとき、強く現れる。

他人から肯定されれば嬉しいし、だから肯定されたいとも思うし、否定されれば悲しいし不快だ。それが関わりたいと思った人間からの反応だったら余計に辛い。期待を持ってしまう。

他人同士が関わり合う以上、お互いに違いを感じるのは当然で、同じ部分を見い出せることは奇跡的なのに、どうしても違いに引っかかってしまう。

特に、大多数に支持される要素を持っておらず、大多数に否定される要素を持っていると認識した場合、孤独や悲しみを強く感じる。この感覚は痛みにも近い。

障害を伏せたり低い収入をふせれば関わろうとしてくる人は増える。それらを開示すれば関わろうとしてくる人が減る。経験的事実としてそれはある。

欠点と言えるものを書けば人は離れ、(虚偽でも)良い情報を開示すれば人がよってくる。けれど、そういった表面的なものに釣られて来る人と関わる気にもなれないし、嫌なものを見た気になる。

他者との違いを感じるのが辛いし、否定されるのも辛い。相対的に少数であることが重なれば、それは余計にひどくなる。

人に理解してもらえることが稀で、その入り口にも立てないことが大半で、理解し合えなさを痛感する方が圧倒的に多い。

人間は一人では生きていけない。

けれど私はつながることができない。


私は「男らしい人」ではないし、「身長が高い人」でもない。
「リードしてくれる人」でもなければ、「甘えさせてくれる人」でもない。

「経済力がある人」でもないし、「仕事を頑張っている人」でもなく、「仕事に誇りを持っている人」でもない。

「ポジティブな人」でもなければ、「いつも笑っている人」でもない。
「楽観的な人」でもないし、「親と仲のいい人」でもない。

ゴルフに興味はないし、スポーツ観戦なんかしたくないし、ディズニーランドにも行きたくないし、旅行に行くのも面倒くさい。

人と関われば、それこそ異性との関わりとしてそれを捉えれば、相手の要求に応えられないのではないかという恐怖や不安に襲われるし、要求に応える自信も全くない。応えようと努力する気も起きない。


他人と関らず、他人を意識しなければ、楽と言えば楽だ。

ある種の孤独は感じなくて済むし、辛さや悲しさを覚えることもない。

けれど、それと同時に空虚でもある。

そこには喜びや感動もないからかもしれない。

他人と関わっても関らなくても、痛みのようなものだけが心に残る。

もしサポートをいただけた暁には、私の生活が豊かになります。