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ブラオケ的クラシック名曲名盤紹介 〜オケ好きの集い〜  #3『交響曲第7番第2楽章 / L.v.ベートーヴェン』

●はじめに


ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章は、何故冒頭の和音がAmの第2転回なのだろうか。今回は、この冒頭の和音について考えてみたい。

 第2楽章はイ短調から始まり、第2転回は基本形よりも不安な響きを持つものであるが、何も知識が無い状態で考えれば、ベートーヴェンは第2楽章で暗い何かを表現したかったのだろうと考えるであろう。しかし、緩徐楽章でありながらAllegrettoという指示を出していること、作曲当時のベートーヴェンは華やかな生活を送っていたこと、などを考えると、この第2転回が、単純に暗い要素を表現したものなのか、それとも、ユーモアを表現するために敢えて入れたものなのか、など幾つかの可能性が浮上する。そこで、ベートーヴェンの楽譜、および、当時の生活状況等から考察をしてみたい。

●速度記号からのアプローチ

まず、ベートーヴェンは、モーツァルトやハイドンで代表される古典派の作曲家の一人であり、当時の交響曲においては、第2楽章は緩徐楽章とされるのが通例である。通常、緩徐楽章と言えば、AndanteやLentoなどのゆっくりとしたテンポ指示が与えられることが多いのだが、本作品ではAllegrettoという指示が出されている。元々は、Andanteほどゆっくりした演奏をして欲しく無いためにAllegrettoという指示を入れているのだが、そもそも、第7番全体を見てみると、ある特定のリズムが様々な形で変容しながら全体を支配しており、且つ、そのリズムは、リストやワーグナーが言うように、リズムの聖化などと例えられるくらい華やかなものであることから、第2楽章のAllegrettoは、ただ単純にテンポを遅くし過ぎないために追記しただけと考えるのは浅はかである。

そもそもAndanteとAllegroは、イタリア人の感覚からすると大きく意味合いが異なる。Andanteは『歩く程度の速さ』を意味しており、4分の4拍子の曲であれば、強拍と弱拍それぞれの拍を一歩一歩きちんと踏みながら歩くというニュアンスになる。一方、Allegroは『楽しげに』というニュアンスを含んでいるため、Allegroで歩くとしたら、強拍を特に意識しながら歩くことになる。要は、1拍目と3拍目を強く踏むということである。また、第2楽章は4分の2拍子の曲であり、小節線を短いスパンで越える必要があることも踏まえると、ここでのAllegrettoは、単純にAndanteよりも速くするというだけに留まるべきでは無く、どことなく楽しげな雰囲気も併せて表現すべきと考えられる。

●作曲時期の生活スタイルからのアプローチ


 本作品を作曲した1812年頃、ベートーヴェンは作曲家としての地位も確立し、且つ、不滅の恋人、アントニア・ブレンターノとの関係も上手く行っており、生活に対しては何一つ不満が無い時期であった。直後にアントニア・ブレンターノと破局するが、その破局理由が、ベートーヴェン研究家の青木やよひ氏の仮説によると『ヨゼフィーネとの間に子供が出来て、それがアントニアにバレてしまったために破局した』であることから、少なくとも本作品を作曲していた頃は、女遊びも盛んで、たいそう楽しい生活を送っていたと想定される。

このような生活下で作曲された本作品が、全体として活発なリズムで支配されているのも何となく納得出来る。つまり、この時期のベートーヴェンはマイナス要素を殆ど抱えていない状況であったため、敢えて暗い楽曲を作る理由が無く、第2楽章で陰鬱さを表現するのは違和感を感じてしまう。

●当時の心情について

ベートーヴェンは、幼少期に父親からのドメスティック・ヴァイオレンスを受けており、心理学者の福島章氏の仮説によると、そこから構築されたトラウマが、聴覚としてフラッシュバックされることがあったとされる。頭を叩かれる音がダダダダーンという4つの連打音は、まさにフラッシュバックの典型とも言える。この4つの連打は、第5番『運命』で有名だが、それ以外にも、ピアノソナタ第1番やバガテルなど、様々な楽曲で同じような連打音が登場することから、トラウマとして残っていると考えても不思議では無い。

この背景を考えると、第7番作曲当時、深層心理としてマイナス要素の何かが潜んでいたのではないか?と考えることも出来る。しかし、打撃音としてフラッシュバックされるトラウマに関しては、ベートーヴェンは交響曲第5番『運命』を境に決別しているのである。それを示す理由の一つとして、ベートーヴェンは運命の第4楽章で初めてピッコロとトロンボーンを用いていることが挙げられる。当時、トロンボーンは天使の声と称される楽器であること、第4楽章がMaestosoで指示されていること、4つの音は第3楽章までしか登場しないこと、などを考えると、第5番『運命』を作曲したとき、ベートーヴェンは自身のトラウマを客観視出来る状況であり、このトラウマとは第4楽章を境に決別したと解釈することが出来る。それ以降に作曲された第7番では、トラウマから脱却出来ていると考えるのが妥当であろう。勿論、嫌な記憶は残ることには変わりないが。。。

●特異的な曲を作りたかったのでは?

突発的に変なことをしたかったのでは?と考えることも出来るだろう。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番を聴いても分かるように、ベートーヴェンは当時の理論を逸脱した形での作曲も積極的に行っている。しかし、その多くは末期の作品であり、1812年に作曲された本作品を末期の特例作品として捉えるのは違和感があるし、末期の作品の逸脱具合は、本作品の冒頭の和音と比較すると全く種類が異なる。また、第7番の前後の作品(ウェリントンの勝利op91、交響曲第8番op93)が全く同時期に並行して作曲されていることを考慮すると、第7番だけ突然理論を覆すような変なことをするとは考えにくい。従って、本作品は主に昔ながらの理論に基づいて作曲されていると考えるべきであり、第2楽章も特別なことをしているとは考えにくい。

以上より、第2楽章冒頭で敢えて第2転回を取り入れた理由としては、少なくとも、暗い何かを表現したものでは無いということは言えるが、何故第2転回なのかは謎が残る。個人的には、ベートーヴェンの性格を考慮すると、ユーモアを表現するために敢えて取り入れたものとも考えているが、それを証明するには、現代の情報だけではちょっと厳しい。

いづれにしても、本作品は、同じ音を多用して旋律を作るという、当時では考えられない概念を持ち出したという意味では、ベートーヴェンの天才的な能力が垣間見れる作品である。冒頭の和音もそうだが、是非ゆっくりと聴いて頂きたい作品である。

(文:マエストロ)

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