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INTERVIEW: 川村亘平斎+宮本武典

不思議な響きが幻想的な光景を描き出す楽器ガムランの演奏家であり、インドネシア伝統の影絵芝居(ワヤン・クリット)を行うアーティストの川村亘平斎さんは、アートディレクターの宮本武典さんと東北各地で地域に根ざしたアートプロジェクトや、東日本大震災の復興支援プログラムなどを多数企画・実施してきた。2人で取り組むプロジェクト「東京影絵」は、東京に暮らす19カ国/60名の外国にルーツを持つ人々に聞いた話から立ち上がる、新しい東京の物語である。そもそも何故東京出身の川村さんがインドネシアの影絵芝居をやり始めたのか、そして地方のプロジェクトが多かったお二人が何故“東京”の作品に取り組んだのか。彼らの目線から見えてきた、新しい東京の姿について語っていただいた。
聞き手:上條桂子(編集者)、森田裕子(東京ビエンナーレ事務局)

東京影絵クラブ(川村亘平斎+宮本武典)のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/tokyo-shadow-theater-club/


バリの伝統影絵芝居
ワヤン・クリットに惹かれた理由

東京ビエンナーレ(以下、T) 最初に川村さんにお聞きしたいのですが、川村さんはミュージシャンとしての活動もされていて、インドネシアの影絵(ワヤン・クリット)にも取り組まれていますが、どのような経緯で影絵と出会ったのでしょうか?

川村亘平斎(以下、K):もともとは音楽から始まりました。20代の頃はミュージシャンとして活動しており、初めてインドネシア・バリ島に行ったのも、バリ島の伝統音楽であるガムランを勉強したいなと思ったからなんです。大学の時に、東南アジア文化の授業を担当されていた皆川先生からの影響なんですが、その方は細野晴臣さんと一緒にバンドをされたりもして、幅広い活動をされていました。皆川先生がバリ島に行く機会があると聞いた時に、一緒に行ったら面白い体験ができるかもと思ってついていったのが最初です。大学卒業後に、改めてバリ島に音楽留学をしました。

:影絵との出会いというのは?

:バリ島では影絵がものすごく浸透していました。もともとは、冠婚葬祭や宗教儀礼としてあったものです。神事と娯楽の間にある、日本の能や落語に近い感じでしょうか。ガムランはそういうパフォーマンスのための伴奏音楽なので、音楽を追究しようと思うと、どうしても踊りや影絵という物語の方に接近していってしまいます。バリ島で影絵の伴奏音楽を学び、帰国後に日本で音楽活動をしている時に、一緒に影絵もやってくれないかと言われることが増えてきたんです。最初は、影絵にそこまで強い興味はなかったんですが、頼まれるままやってみたら面白かった。そして、当時は現代的なパフォーマンスとして影絵に取り組んでいる人がいなかったので、これはもう少し追究すると面白いのかなと思い始めて、30歳くらいを境に影絵を中心に活動するようになりました。

:インドネシアで現在でも上演されている影絵というのは、昔ながらの叙事詩を演じるような感じなんですか? それとも新しく創作されている戯曲も多いのでしょうか?

:両方あります。まず伝統的なものとして、バリ島ではヒンズー教信仰があるので、インドの古い物語、「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」が軸になった物語が多い。でも、ストリートカルチャーを取り入れたり、現代の社会問題を扱うような物語もたくさんあります。

日本の伝統芸能と、アジアの国々の伝統芸能って全然違う。最近は違うかもしれませんが、日本の伝統芸能は一つの型を守ることが重要ですが、インドネシアの伝統芸能というのは、むしろ同時代的なもので、現代の社会事情を吸収してどんどん発展していくものなんです。

:なるほど。伝統芸能が伝統のみに固持するのではなく、常に新しい表現が生まれる土壌を持っていたり、現代の問題を盛り込んでいたりと、現代美術の印象に近い気がします。そうやって影絵に取り組まれて、何年か経ちますが、川村さんは影絵にどんな可能性があると思われるのですか?

:まだはっきりとした答えが見つかっているわけではないのですが、敢えて言うならば「影」っていうのは日常、どこにでもあるものなんですよね。そこにフォーカスするだけで、全然違うところに飛んでいける。要は、考え方を少しずらすだけで、全然違うものが見えてくる。その視点のずらし方を知ることで、人生がもっと楽しくなるような気がしていて。そうした気付きをシェアできるといいなと思っています。影絵ってかなりシンプルなんですけど、全然違うものが見えるのが面白いんです。

また、「影」の話をする時には必ず「光」の話が出てきます。バリ島の芸能を学びながらずっと考えているのですが、光と影は生物が生まれる前から存在していて、生命の存在よりもより深い何かが、光と影の間にはあるように思います。バリの影絵人形芝居にも光と影があって、人形は人間が見ているもので、影はご先祖様が見ているものだと信じられています。目で見えないはずの何かに対して、人間側から積極的にアプローチする道具として彼らは影絵を使っていて、影絵芝居は僕ら生きている人間たちと、かつて生きていたたくさんの死者の両方に向けて上演されています。音楽もそう。目には見えないけれども、確かにそこにある何かを感じとることですよね。

僕は音楽から影絵に入った人間なので、そうした目に見えないけれど確かに存在するものを感じています。今なら、それはコロナなのかもしれませんが。見えるか見えないかで、それがある/ないということを判断してはいけないと思っていて。影に惹かれるのも、そういうことかなと思っています。

ある場所で芸術的な活動をすることで
地域に新しい芸能が生まれる

T:なるほど、目に見えないものをどうやって想像するかは、現代人にとってすごく重要なことだと思います。宮本さんと川村さんがご一緒されたのは東北のプロジェクトでしょうか? どういった経緯で川村さんの活動をお知りになったのですか?

宮本武典(以下、M):一回目の山形ビエンナーレ(2014年)のときに、音楽プログラムに川村さんが出演されていて、そこで初めて作品を拝見しました。お仕事をご一緒させていただいたのは、翌年だと思います。福島の原発事故の後に、福島県南相馬市の小高区という場所の支援に関わっていまして(「キッズアートキャンプ山形」https://blog.tuad.ac.jp/trso/kage/)、毎年夏に原発被災者のご家族を、当時教員をしていた山形の大学にお招きして、ワークショップキャンプを開催していました。そのゲストアーティストとして川村さんをお呼びして、、福島の被災者の人たちと一緒に作品をつくったというのが最初ですね。

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「ヘビワヘビワ~南相馬市小高区大悲山の大蛇伝~」原発事故避難者との影絵芝居(福島県南相馬市)

:川村さんはそれまでに一般の人からお話を聞いて、それを影絵のお芝居にするというようなことに取り組まれていらっしゃったのでしょうか?

:いくつかのプロジェクトに参加したことはありましたが、僕個人としては初めてだったと思います。2015年に宮本さんとご一緒した福島のプロジェクトは、僕としてもターニングポイントとなるもので、それまで自分がもっとこうやりたいなと思っていたものがかなり、現実に近づいていったというか、そういう感じはありました。

:「もっとこうやりたい」って思ったのは、どういうところですか? 音楽から影絵をやってこられて、現代の問題に取り組むに切り込んでいきたいということですか?

K:まずひとつ、インドネシアの芸能をやっている自分というのが、アーティストとしての出発点にあって。そのときに日本でパフォーミングアーツというと、“芸能”のわりとお祭り的な部分と“芸術”が切り離されてしまっていることが多いように感じていて、居心地が悪かったんです。世界中を見渡すと、芸能であっても芸術性の高いものはいっぱいあるし、切り離す必要なんてないんです。自分はそういうことをやっていかなきゃいけないんだなという思いがありました。「キッズアートキャンプ山形」は、地域の人たちが自分たちが住んでいる地域に対して、どう向き合うかというところに影絵が芸術として使われます。結果としては、芸能的な方向を向いた作品になっています。芸術っていうものが、現代の芸能を考え直す時にすごく重要な気がしていて。僕らが地域に対して、芸術的な活動をすることで、新しい芸能が生まれる、そういう現場をつくっていきたいと思っています。

:僕が何故「キッズアートキャンプ山形」に川村さんをお呼びしたかったかというと、現代美術のアーティストとしてということじゃないんです。僕自身は奈良県で生まれて、薪能とか季節のお祭りに親しんで育ったこともあり、そういう体験が原風景として残っています。当時の福島の状況、特に小高区は放射線量が高くて住むことができなくなってしまった場所で、同じ南相馬市内の隣接するエリアに避難されている方々が多かった。皆さんの話を聞いていると、その地に住み続けるのか?新しい暮らしをしていくのか?土地に対してこだわりがある人ほど、土地や地域共同体とのつながりを捨てられなくて、子供やお年寄りを抱えながら不自由で不安な状態で留まっておられました。それまでもいろんなアーティストに来てもらい、様々なプログラムを実施していたんですが、その年は参加者全員でひとつのものをつくるのをやりたかった。

:具体的にはどういうプログラムだったんですか?

:土地の皆さんが、その土地の物語をテーマにして共同で作品をつくるプロジェクトですね。特別な技術がなくてもできる共同体験で、何ができるかなと思った時に、川村さんの影絵を思い出したんです。川村さんの、ある意味非常に朴訥な、でも何かちょっとわくわくする空間表現に惹かれて声をかけたんですよね。放射線量をめぐる議論が非常にシビアだったので、アートとして云々よりもちゃんと状況に作用するプログラムにしたかった。

20組の家族が地域に伝わる大蛇の伝説を影絵芝居にしました。民話の取材をしていくと、出てきた蛇を倒すっていう話が多くて、それは、洪水や自然災害を蛇に喩えて、地域の人たちがどうやって水害を克服していくかということがテーマなんですね。そうした物語を、地域の大人たちと子供たちで、現代の状況(東日本大震災)もふまえながら再度影絵で「演じ直す」試みになりました。

おまつりって巳(へび)に示す(祀)って書きますよね。祀りの原型をたどっていくと、蛇が出てくるんです。このプロジェクトでは、土地と人間の関わりの原風景をたどるような感じ──バラバラになってしまった地域の結びつきや、土地と人間の結びつき、人間と自然との関わり、それは実際に土地に戻れなかったり離れてしまったとしても、その縁をどうつないでいくか。そういうことを参加型、協働型で参加した人たちと共有する、新しい現代の祭をつくり出すというか。そういう社会的なアートプロジェクトだったのだと思います。その後も川村さんと何本も作品をつくっているんですが、わりと同じようなスキームでテーマを決めてやっています。

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「ヘビワヘビワ~南相馬市小高区大悲山の大蛇伝~」原発事故避難者との影絵芝居(福島県南相馬市)

:川村さんは、参加された方と一緒にお話を作り、演出もされるんですよね? 実際現場ではどういう役割になるのでしょうか?

:僕が宮本さんと一緒に影絵芝居をやる時は、宮本さんが問題提起を投げてくれるので、できるだけそのまま受け止めてやろうと心がけています。

影絵師というのはどういう構えでいたらいいか、それをバリの師匠に聞いたら、「空っぽでいなさい」って言われます。その空間や状況に合わせて必要な影絵を上演するということがものすごく重要なんだそうです。その土地によって、お寺によって上演される内容も異なるし、そこで求められる内容も違うからです。

:影絵というのは総合芸術なので、影絵師の役割はすごく幅広いんです。古い物語を脚本化したりもしますし、リサーチャー的な役割も果たします。また、僕は全部の芝居の語り部もやりますし、音楽のコンダクトも担当しますし、人形もつくります。内容の規模によって、僕の役割を他の人に担当していただいたり、その都度考えていく感じですね。

:僕が川村さんと一緒にやるときは、物語をいちからつくるというよりは、その土地に伝わる不思議な物語を上演したり、その土地土地で採取したお話を影絵にアレンジするという感じです。その土地の人たちのセルフドキュメンタリーに近くて、彼らが表現することを川村さんと僕が手助けしているという言い方が正しいのかもしれません。

:先ほど宮本さんから蛇の話というのがありましたが、蛇や龍をモチーフにした話ってすごくよくあって、僕も各地で5、6本つくっています。龍というのは得体の知れない怪物の総称を「モンスター」っていうみたいなもので、固有名詞じゃない。土地によって強い武将だったり、災害だったり、何かエネルギー体みたいなものなんです。物語を聞いてリサーチをするわけですが、その土地で実際に何があったのかを知ると、僕が考えた創作なんて本当にたいしたものじゃないなと思い知らされます(笑)。

:川村さんがエスニックなものに惹かれるのは、東京生まれ、東京育ちっていうのもあるんじゃないですか?

:最初にインドネシア行ったのもそれが理由ですからね。僕が初めてバリに行ったのは、90年代から2000年にかけてなんですが、その頃の東京の音楽事情ってどうしようもなかった。デジタルミュージックも限界を迎えていて、音楽をやっている人間としてその先の未来が感じられなかったんです。そこで原点回帰して、僕はインドネシアに向かいました。それって音楽だけのことじゃないような気がしていて、ミレニアムを越えたことで、自分の上の世代が捨ててきたようなものを下の世代が探しにいけたんじゃないかと思います。社会の状況や経済状況もあるとは思いますが、そうした背景の中でバリと出会ったんだなと思っています。

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「おそなえ きのみ」HIVに母子感染した孤児たちとの影絵本(チェンマイ)

:先ほど、影絵師は「空っぽ」であることがいいと川村さんがおっしゃっていましたが、まさに川村さんも良い意味で空っぽなんだと思うんですよね。土地や郷土みたいな縛られているものがないというか。東京から単身バリに渡り、インドネシア人コミュニティのなかで影絵芝居に取り組まれてきたというのも不思議な感じがします。例えばある地方の民謡歌手が、どこか別の地方の唄を歌うのとは違って、川村さん自身が土着的なアイデンティティーを持たない空っぽなところに、具体的な土地の状況が入ってくるから面白いんです。それぞれの地域で語られる状況というのは、ともするとその土地の祭りや文化から断絶されたものかもしれないんですが、川村さんの影絵が関わることで、その状況に残されている“気配”や“土地の記憶”みたいなものが引き出されていくような。でも、いわゆる昔の人たちのものとは違う、現代的な表現になっているのだと思います。

:なんだかわかる気がします。よく受ける相談に、影絵を使ってその土地にあった祭りを復活させてくれというものがあるんですが、僕がやっていることは違っていて、現実的に祭りを復活させるというのは不可能なのだと思っています。

:確かに。それは矛盾ですね。川村さんがやっていることというのは、もう物語としてはリアリティを失っている祭りや民話を影絵にすることで、再発見、再確認するという体験をみんなで分かち合っているような気がしますね。バラバラになったり形骸化したりして、失われた大事なものを、再度みんなで共有する体験というか。

東京で暮らす外国籍の人たちの
生活を影絵芝居で物語る


:ありがとうございます。そういう意味で言うと、今回のプロジェクトは少し異色のような気がしたんですが、どういう問題意識から「東京影絵」のプロジェクトをしようと思われたのですか?

:僕が美術の新人賞をいただいて、そのきっかけでもう一度インドネシアに修業に行く機会があって、帰国後に何か作品をつくるということが条件だったんです。宮本さんにはずっと作品の相談をしていたんですが、発表するのは東京だよねというのは最初から話をしていましたよね?

:東日本大震災以降、川村さんはさまざま農山漁村の人々に招かれて、その地域の物語を影絵にするという活動をされてきたと思うんですが、じゃあ東京はどうなんだという話になったんです。巨大で多面的な東京で、僕や川村さんじゃなきゃ光を当てられないことは何だろうと考え始めました。川村さんは20代の頃にバリに行かれていますが、実は僕も大学を卒業した後、4年間バンコクに住んでいました。二人とも若い時に東南アジアで過ごし、日本人としての自分と向き合ってきました。今の東京というのは、当時僕らが青春時代を送った東京とは全然違って、非常に多国籍化してますよね。特に東京23区は顕著で、コンビニやファーストフード店では、いろんな人種の方たちが働いています。技能実習生をとりまくいろんな事件があったり、在日外国人のコミュニティがいろいろあることはわかっていても、実際に彼らがどういう風に生活をしているのか、同調圧力が強いと言われれる日本人社会のなかでどういう人生を送っているのかまでは知りません。

:確かに、実際に身近に外国人の方を見かける機会はとても多いですが、交流はなかなかできないし、彼ら(彼女ら)のことを知る機会はあまりありません。

:川村さんと僕だったら、彼らが東京をどう眼差しているかについて語れるかもしれないと思ったんです。また、東京ビエンナーレで暮らす彼らの物語にフィーチャーすることは意味があることだとも思いました。また、現代アートというととかく欧米的な視点で世界を見たり、そこに向けて何かかたちにしていくように思いますが、まったく違う、東南アジアの伝統芸能で東京を表現するのは、挑戦的で面白いことだと思っています。まずはこのプロジェクトを通して、どんな状況なのかをまずは知っていきたいという気持ちがあります。

:なるほど。川村さんも宮本さんも国内外含め各地でプロジェクトを行ってきていると思いますが、今回東京でプロジェクトを行うことに関してのご意見をお聞きしたいのですが。

:60名の在東京の外国籍の方にお話を聞いたんですが、一人ひとりお話を聞くごとに、自分の中での“東京”がアップデートされていくような感じでした。もちろん今ニュースになっているような大変な生活をしていらっしゃる方もいました。一方で、超エリートな人たちの俯瞰した東京論や日本論を聞いたりもして。僕らは東南アジアに住んでいた経験があって、普通の人よりも在東京で外国籍の方と触れ合う機会があったはずなのに、まったく知らない現実がそこにあった。さらに言うと、僕ら以上に外国籍の方と接していず、意識もしていない人がきっとたくさんいて、それがちょっと恐ろしいなと思いました。外国籍の人が好きとか嫌いという問題ではなく、実生活と地続きに彼らが住む世界があるということを僕も認識できていなかったし、僕も含めて東京に住む人たちの考え方をアップデートしていかなきゃいけないのだと思っています。

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「東京影絵クラブ」撮影:小暮哲也

:今お話を伺っただけでも一人ひとりの方の物語に興味が湧いてきます。60人というのは、どうやって選んだんですか?

:僕も宮本さんもアジアでの経験があったからなんだと思うんですが、自分の二人隣くらいは、もう外国籍の人がいました。そこからどんどん広げていった感じです。

:技能実習生の労働状況や、入管施設での集団暴行や在日韓国人・中国人らに対するヘイトスピーチなど、人種差別の問題というのは、社会学的な本もたくさん出ているし、彼らの支援をするNPOの方々もたくさんいらっしゃいます。そういう観点からつながりを見つけていくという方法もあったのだと思いますが、僕らはそれをやりませんでした。これはすごく重要なことで、僕らは東京で普通に生きている人たちの中から、その範囲の中で物語を拾ってつないでいきたかったからです。それは川村さんも同じ気持ちでした。技能実習生の問題にフォーカスして、その胸の内を語ってもらうこともできるかもしれません。でも、それは彼らの一側面であり、我々が一方的に思い込んだイメージになってしまいます。例えば、コンビニで働いているバングラディッシュの方と聞いて、貧困から出稼ぎにきているんだなと思うのは勝手な思い込みで、実は彼はものすごくエリートで、複雑きわまりないコンビニのオペレーションを見事にこなす優秀な人材かもしれない。

:コンビニで働いている外国籍の人たちは、自国に帰るとエリートの方が多い、という話も伺いました。

:“東京”、“外国人”というだけで、勝手にイメージをつけて語ってしまいがちなんですが、実際にインタビューをすると全然そうじゃない部分が見えてくる。ステレオタイプを決めつけず、いろんな人たちと出会って、いろいろな角度から見て行くのがいいと思ったんです。最初、ステートメントには技能実習生の話なども書いていたんですが、それも途中でやめて、もっと幅広い、アジア圏だけではなく、ヨーロッパやアメリカの方などにも話をうかがいました。また、アメリカ人とは言っても、イコール白人なわけではもちろんなくて、アフリカ系だけどフィリピンにもルーツがあったり、ものすごく多様な状況があって、そこには多様なかたちの生きづらさが存在していました。

:プロジェクト成果物としては、今年は本を出版されて、その内容をもとに、来年なんらかのパフォーマンス作品に仕上げるという流れになると聞いていますが、それはお変わりないですか?

:そうです。流れは南相馬でやった蛇の作品と同じで、まずは東京という土地に入って、取材とリサーチを行い、物語を採集する。60人話を聞いて、東京がいろいろ見えてきましたね。それを脚本化して、パフォーマンスにして、共有するというのを来年行えればと考えています。

:僕らが知らない東京に、いろんな外国籍の人が住んでいる。彼ら彼女らをなしにして東京は存在し得ない状態です。彼ら彼女らが語る自分や、現在住んでいる東京というのは、僕らがまだ見ていない次の世代の東京を表すひとつのビジョンなんだと思います。彼ら彼女らに影絵を通じていろいろ語ってもらうことで、東京に住んでいる人たちが知らなかった何かが体験できる。そういう手応えを強く感じています。

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「東京影絵クラブ」撮影:小暮哲也

:具体的な例をいくつか話すと、東京のムスリムは最初はイランやトルコの人たちが多かったところに、マレーシアやインドネシアなど東南アジア圏の人たちが加わったことで、ハラルの食材が一気に増えたという話がありました。また、家族の絆が非常に強い東アジア出身者(中国、韓国)からは、一人でいることが肯定される東京の都市構造はすごく居心地がよくて解放されているという話。アフリカ系アメリカ人の青年は、アメリカでは黒人として差別されるけど、日本では「ガイジン」でひとくくりで、そのほうがまだマシと言ってました。もちろん個人によってとらえかたも違うし、意見もいろいろだと思いますが、ニュースや本などで語られている「外国人」とは違う姿が見えてきました。それを本やパフォーマンスにまとめられたらいいなと思います。

:今回、「東京影絵」は東京ビエンナーレのプログラムという位置づけになっていますが、この芸術祭に期待することがあったら教えてください。

:東京ビエンナーレは、去年あいちトリエンナーレの事件があり、今年はコロナがあって、芸術祭というあり方が本当に根本的に変わらざるを得ない状況の中で立ち上がった、完全民間主導の芸術祭ですよね。国や自治体の後ろ盾がないなかで、アーティスト自身が資金を集め、自らでつくっていくという方法でプロジェクトを進めるというのは、逆にこういうやり方しかないというか、参加するアーティストもすごく考えさせられていることがあると思います。その答えの出し方はアーティストによってそれぞれだと思いますし、巨大な東京にどういう光を当てていくのかも違う。ある意味、まったく縛りがない芸術祭が、どんなフェスティバルになるのか、未知なものへのわくわく感があります。アーティストそれぞれにアンサーが求められている。僕らなりの東京論を語っていければと思います。

:コロナのことがあって、僕らがインタビューした外国籍の彼ら彼女らが自分の国に帰ることも難しくなっている状況で、来年東京ビエンナーレの時もその状況が続いている可能性もあります。「東京影絵」は、いろんな国籍の人、出自を持った人が集う──いちどきに集まるということではないにせよ、場所にできたらいいなと思っています。東京ビエンナーレというお祭りが、普段触れ合うことのない人同士が一瞬でもすれちがうチャンスになっていければと思います。

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
チケット発売中!
https://tb2020.jp/ticket/

cover photo「東京影絵クラブ」撮影:小暮哲也

東京影絵クラブ(川村亘平斎+宮本武典)のプロジェクト&プロフィールはこちら
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