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SDSノート_13着がえる家「アーティストトーク4」

こんにちは。ソーシャルダイブ・スタディーズ(以下 SDS)、コーディネーターの工藤大貴です。今回はアーティストトーク第4弾のレポートです。前回までのSDSについては下記をご覧ください▼
第13回レクチャーとなる8月4日(水)のアーティストトークでは、「着がえる家」を本芸術祭に出展されている西尾美也さんに登壇いただきました。

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▲西尾美也さん

「装い、服」をキーワードに、国内外で活動を続ける西尾さん。各地で、その土地の人々と服装を交換して写真を撮るというライフワークも続けられています。1人1人にとってごく身近な「服」をテーマとした話にSDSメンバーも聞き入りました。今回も聴講されたメンバーお二人にその様子をレポートしてもらいます。それではぜひご覧ください▼


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SDSメンバーの小谷萌です。普段は明治学院大学で美術史の勉強をしていて、兵庫県大乗寺の障壁画について研究しています。今回は、コミュニケーションや関係を築くメディアとしてのアートに興味を持ち、思いきってSDSに参加しています。

西尾美也さんのアートプロジェクトは、「装いが閉ざしているコミュニケーションを装いによってとり戻す」という、明確な目的があるお話を聞きました。

それは、具体的な服というモノを通して、人や社会が抱える根本的なテーマを、開放的な空間で扱う大胆なワークショップであるように思いました。

人々の生活とは切っても切り離せない装いの文化であるからこそ、通常の領域を超えて様々な人がアートに参加でき、交流が促されるこのかたちには、無理がない自然体で調和のとれた関係性があると感じました。

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実際にモノを直接観るのが美術史の基本にあるため、私はよく博物館・美術館に訪れますが、日本も近年、ミュージアム体験向上のためのワークショップに目を向けるようになってきました。

主に西欧が実施しているワークショップに倣って始まりましたが、日本の特殊な経緯で建てられたミュージアムならではの、より適した調和のある方法はないかと考えていました。そのため、西尾さんの児童館や公園など身近な場所で展開されるプロジェクトは、私に新しい視点を与えてくれました。

あえて公園などで開催する根本には、当然にアートやワークショップが隣にあるような環境づくりがあり、このビジョンに私は純粋にワクワクし、実はいま多くの人が思い描き欲しているものではないかと思いました。

今回のSDSプログラムでも多くのアイディアとともに、登壇者のアートな生き方そのものからインスピレーションを受けられたのが、何よりも自分にとって貴重な体験になっていると感じました。

私も西尾さんの通行人と服を交換する「Self Select」を見習うようにして、自分から積極的に人とコミュニケーションをとりたいと思いました。そして、そのためには先に自分を相手にさらけ出すのが大切であり、このようなに大胆な行動を起こそうと勇気をもらえたのが一番嬉しかったです。

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SDS メンバーの久保田碧音です。普段は、多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コースの学生をしていて、写真や映像を媒体とした表現について学んでいます。表現について学んでいく中で、アーティストはどのように社会とつながりを持ち、社会と携わっているのか、または社会はアートをどのような扱い方をしているのかという事が気になり、SDS に参加しています。

私もファッションに関心があり、服を作らないやり方でファッションとアートの関わりを見つけ出したいと感じていました。そのため、授業以外の自主制作でファッションポートレイトを撮影しています。私は撮るという事が身近な表現としてあったので、そういう関わり方でファッションと関わりながら制作をしていましたが、西尾さんのファッションへの関わり方が私にとってとても新しく、面白いと感じました。

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服(古着)をメディウムとして、様々なアプローチの仕方をされていて、話を聞いていて楽しかったです。中でも、道ゆく人々と服を交換して写真を撮るという行為はとてもユーモラスで、だけどなんか見た後に自由になった気持ちになって、あらゆる柵から解放されたような気持ちになりました。

ファッションって、校則とかで自由が奪われてしまうようなものでもあるけれど、逆に自由に解放された感情も抱かせられるものなんだと再認識しました。

初めてヒールを買って歩いた日とか、夏になって久しぶりにタンクトップを着た日とか、普段は買えないようなものを着てみた日とか、友達に借りた服を着た日とか、なんかワクワクするし新しい自分になった気持ちになります。あの高揚感って何でしょうか、、笑

私はあの高揚感が好きです。その高揚感を作品を見て思い出しました。私が中学生の頃、雑誌 FRUITS を見たりして、原宿やばい!!!行きたい!と思ってとても憧れていました。田舎に住んでいて、みんな普通の服(それもいいと思います)を着ていて、ちょっと冒険しづらい雰囲気がなんとなくありました。

あおねちゃん、すごい服だねぇ、、。って上から下まで見て言われたりとかする感じの、、。それが窮屈で苦しかったので、高校はちょっと遠くの都会に入学した時、あの世界が開けた感覚。
あれにも似た高揚感な気もします。

服を着るという行為は、とても身近な表現活動だと思います。美大を出たとか関係なしに、みんなが表現をする瞬間が、服を買ったり、着たりする場ではないかと感じています。

個人的な話にはなってしまいますが、多摩美の藝祭で毎年行なっているテキスタイルパフォーマンスという催し物があり、私はそれのパフォーマーの振り付けを考え、指導する役割で参加しています。そのパフォーマー指導係の三人で遊んだ時に、服の話で盛り上がっていて、でも私は他の二人とは服の趣味が合うというわけではなく、二人はあるブランドについて熱く語っていました。

私はその時にブランド価値って何だろうなんて考えたりしました。私は古着が好きで、安いっていうのも理由の一つにはあるけど、どこから来たのかわからないけれどとても丁寧に刺繍がしてあるものとか、誰かの手編みのセーターだけどすごくかっこよかったりとか、制作した側の顔がすぐに見えないところも古着のロマンなのではないかと感じています。

なんかどこかの国のクラスTシャツなのかわからないけれど、すごい寄せ書きが書いてあるティーシャツが4000 円ぐらいで売っていて、これはやばいと感じました笑、思い出も乗せてその価格なのか、安いのか高いのか、、、。なんて思いました。

そんなジャングルの中から自分の好みのものを見つけると宝物を掘り当てたような気持ちになります。そのジャングルにはブランドものもあったりするけど、そういうステータス的なものが一回なくなって、売り出されている感じで、私は好きです。

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私の周りにはいろんな服の関わり方をする人がいます。その中には私はこのブランドが好きですっていう人もいて、確かにそのブランドいけてるけど、
ブランドのものを着ていればいけてるでしょ!といった感じだとそれは違うなと、、。その合わせ方はちゃうやろ!とか心の中で思ってしまったり、、。

周りとその人はどう関わっていきたいかっていうことも服に現れている気がします。私はファッション撮影をする時に、お願いされた撮影の時はなんとなく、そのブランドの雰囲気に合いそうな服を着ていきます。というのも、アシスタントしたファッションの撮影の時に一度やらかしをしてしまっ
たからです。

そのブランドは真っ黒な服しか作らないブランドさんで、撮影日に私が真っ白のオーバーオールを着ていきました。すると、当日みんな全身真っ黒の服を着ていました。

私はなんとなく「あ、今日これ間違ったな。」と思い、それからはなんとなく合いそうなものをチョイスするようになりました。その時に、他の人物に変身する感覚になります。ちょっとイカツイ感じだったらちょっとゴツメの服を選んびます。

服を変えるだけで、なんか喋り方とか態度も変わってくる気がします。今日はこういうキャラクターで行こう、と選択しているような感覚です。服とキャラクター性もとても通じていると感じました。朝起きた時に服を選ぶ瞬間から、撮影は始まっていて、今日のキャラクターが決まってくような感じです。

スカートを履いている日と、パンツを履いている日では振る舞い方も変わりますし、面白いと感じました。こんなに西尾さんの作品のおかげで空想が広がりました。西尾さんの今後の作品もとても楽しみです。私も将来について悩んでいる中で、こんな新しい出会いができたのはとても幸せ者だと感じました。ファッションってとても面白いな再認識ができました。
本当にありがとうございました!!

第13回レクチャーの記録はここまでとなります。それでは、またSDSノートにてお会いしましょう。

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