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TALK: 立花文穂×山縣良和×青木彬

東京ビエンナーレの参加作家3名に話を伺うTOKYO BIENNALE TALKシリーズ。第三弾は、アーティストの立花文穂さん、ファッションデザイナー・作家・教育者の山縣良和さん、インディペンデントキュレーターの青木彬さんに登場いただいた。立花さんは文字や紙、印刷、本をテーマにした作品制作と並行して長年美大で教鞭を執っており、山縣さんはファッションやアート活動をしながら「coconogacco(ここのがっこう)」(https://www.coconogacco.com/)という学舎を主宰し教育活動に励む。そして青木さんは東京ビエンナーレではソーシャルダイブのアシスタントディレクターとして参加いただいているが、各地でアーティストとプロジェクトを興し、これまでの“アート”という概念に縛られず活動を行っている。50代、40代、30代、それぞれの世代でアートに関わり続ける3名がアート、教育、東京などを語った。
(聞き手・文:上條桂子)

立花文穂のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/kyutai-number-nine/

山縣良和のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/small-mountain-in-tokyo/

本や図録は、作品や展示を
上回るものになるのか。

──最初に山縣さんにお声掛けさせていただいて、立花さんとお話しされてみたいというリクエストがありましたのでお声掛けしたのと、青木さんは若い世代の意見をいただきたいなと思ってお呼びしました。

山縣良和 僕は今年41歳になるんですが、10代の頃くらいから立花さんの活動を見ていました。僕もwrittenafterwardsというレーベルを主催しているのですが「本」が重要なキーワードになっています。立花さんも本を使って作品を発表されていたのをよく見ていて、そこから「球体」(編注:立花文穂が責任編集を務める雑誌。近年は雑誌という形態を外れ展覧会形式にもなる)をされたりしていて、すごく素敵だなと思っていました。初めて知ったのは90年代頃でしょうか。

──「球体」を最初に出されたのは何年ですか?

立花 最初は2007年かな。あの時は何か新しい媒体をやりませんか?って言われたので、編集もデザインもできるんだったらやりたいけどっていう感じで受けたんです。それで予算がいっぱいある話かと思ったら、印刷中に予算が出なくなったと言われて、ものすごく意味がわからない状況になって、もちろん当時でもあんなものが普通に出版されるということはなかったので、それはそうでしょという感じでしたけどね。

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立花文穂さんが責任編集を務めた「球体」創刊号(六耀社/2007年)

山縣 あれは雑誌として始まったものなんですよね?

立花 かたち的には雑誌というよりムック本のようなもので、スポンサーもついてたんだけどね。出来上がった内容を見て、出版社からこんなつもりじゃなかったって(笑)。でも話を持ってきたのはそっちだろうということで2号までは作らせてもらいました。その後は、もう走り出しちゃったから、次に出してくれる版元を探してみた。そうしたらその出版社の編集者が「球体」のことを知っていたということもあって、意外とすぐに企画が通ってしまって3号を出した。でもまた作ってみたら、やっぱりこんなはずじゃなかったっていうことになって。スポンサーを見つけながら4、5号まで続きました。

山縣 その後はお一人で?

立花 そうですね。6号は自分で新聞みたいなかたちのものを作りました。7号は大阪で「鉄道芸術祭」という展覧会に声をかけてもらったので、展覧会を「球体」にしてしまおうということにしました。そして、展覧会をまとめた本が8号になったって感じです。そうして無理矢理つなげていった感じです。

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鉄道芸術祭 vol.7(アートエリアB1、大阪、2017)
メインアーティストの立花文穂が、展覧会を『球体7号』として表現した。

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鉄道芸術祭の会期中、「球体7号」の一部として発行された様々な印刷物。

山縣 今回東京ビエンナーレでも「球体」を発表されるんですよね?

立花 うん。「球体9」を作る予定です。でも、いまちょっと他のことを考え始めちゃって。実現するかどうかはわかりませんが、印刷物というか、印刷を媒体にしてそれが作品に見えるようなかたちにはなると思います。

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「球体8号」(2019)では、展覧会であった「球体7号」を紙の上に定着させた。

──最初に球体を立ち上げようと思ったときに、「球体」のタイトルに込めた思いというのは、どういうものだったんですか? すごくいいタイトルだなと思っていて。

立花 最初は雑誌のタイトルとして考えていたんですけど、結局は運動体のようなものになっていったというその感じは結果的によかったんじゃないかなと思っています。タイトルを何故球体にしたかというと、何でだろうな? 丸いものが好きだったのかな、太陽っていう雑誌はあるから使えないし。

──それよりも上位概念ですよね。内容も他では全然見ないタイプのものだったので、「球体」が出た時には衝撃を受けました。いわゆるカルチャー誌でもないし、太陽のようなうんちくがたくさん載っている本でもないし。

立花 基本的にインタビュー記事はやめようっていうのを基本にしました。3号でスポンサーの関係でやることにはなったんですが。インタビューっていうのが、雑誌として一番簡単な手法に当時は見えたので、それはやらない、と。雑誌に関わる人たちそれぞれが誌面で表現をする、表現媒体になったらいいなと思っていて。単にその人の作品を誌面に掲載するというのではなくて、なんて言うか、もうちょっと紙の質感や印刷までも含めて表現に見えるようなことというか。まあ、その時に考えていたことなので、いま説明しても漠然としているんですが、そうした曖昧なところが実現できないかなという感覚はありましたね。

僕が当時古本屋で見かけていたような古い雑誌──70年代後半の「宝島」とか、なんだかよくわからない紙媒体ってたくさんありましたよね? 古本屋に行って雑誌を読むと、文字の組み方も紙質もすごく面白くて。でも、別にサブカルチャーを狙っていたわけではないんですが。単に情報を載せるだけではない紙媒体を作りたいという思いはずっとあったんですよね。

今だったらネットで何でも調べられると思いますが、その頃は何かの情報を得るには雑誌しかなかった。そういう時に、そういうものじゃない媒体を作りたかった。でもアート雑誌というわけでもなく。微妙なニュアンスを求めながらやっていたという感じですね。

──「球体」は作品と大量生産の間のような質感があったような気がします。アート作品と言われるとなかなか手が出ませんが、「球体」なら買える。でも普通の雑誌とは手触りが違うというか。

立花 僕は本が好きなんですが、本が読めない。だから本を開いても文字は見るけど、物語を読むような感覚があまりなくて。当時はデザインの仕事でも薄っぺらい紙が好きだったから、薄っぺらい紙で作ってみたら、それじゃあ売れないと言われたり。本はある程度の束がないと売れないっていうことなんですが、じゃあ本当に紙が厚くて束があるから売れているかっていうと、きっとそうじゃない。その考えも不思議だなと思っていて。書店が置きづらい、取り扱いづらいっていうこともあるんでしょうけど、それは内容と関係ないですよね。そもそも本を取り扱うことが本屋の仕事なのに、本屋に本当に本が好きな人がいなくなっているのかもとか、いろいろ考えていて。中も外も同じっていうジャストな感じの本を作りたいなと、そう思っています。

山縣 本は家にもたくさんあるんですか?

立花 ありますね。だって僕の頃は本しかないから。高い1万円くらいの作品集を買ってしまってご飯が食べられないようなことが日常でした。今みたいに検索すれば作品が見れるんだったら、そんなにお金を使わないで済んだと思うことはありますよね。でも、今ネットに載っているような情報を知っているよという価値観と、本の中に見ていたものは、もうちょっと違ったんじゃないかという気がするんです。

ウォーホールの作品集を浪人生の頃に買ったんですが、実際にピッツバーグのウォーホルの美術館で作品を見たときに、自分が持っている本に載ってた作品の方がいいなって思ったんですよ。そういう経験もあるから、本の中での見え方で作品がより伝わることもある。実物を複写して載せればいいってわけじゃないんです。実物より本の方がいいよねっていう。でも、いまの展覧会の図録を見ていて、本の方がいいよねって思うことはほとんどない。

──印刷の技術自体はあがっているから、展覧会をそのまま写し取るようなことはできているかもしれませんが、本単体としての価値や魅力があるかというと、お土産のようなものになってしまっている一面はあると思います。

立花 そういうカタログは要らなくなりますよね。そうじゃない本の中への収まり方には、違う形式があるんじゃないかと思っていて。本を通して初めて展覧会を体験するツールになるようなものになるといいなと。逆にすごく昔の国立近代美術館でやっていたような展覧会の図録とかを見ると、印刷も生より迫力があったりして、すごくよかったりするんですよね。

山縣 僕も本がすごく好きで、趣味が古本屋に行くことだし、暇があったら神保町に行っちゃうくらいなんですが、本が本物を超えるっていう感覚はわかるような気がします。

──青木さんはいかがですか? さらに若い青木さんたちの世代だと、雑誌や図録などに対しての感覚も違うのではと思いますが。

青木 彬 僕がいま31歳なので、高校生の時に「球体」を見ていた最後の雑誌世代なんだと思います。少し話は変わっちゃうかもしれないんですが、展覧会の図録のあり方って、展覧会やアートプロジェクトのアーカイブのあり方とも関係してくるなと思っていて。

例えば、あるパフォーマンスをしているアーティストが写っている写真を違う角度から見ると観客は全然違うところを見ているものだったり。アーカイブや展覧会の記録って情報として独り歩きしてしまうんですよね。プロジェクトって尚更流動的に流れていってしまうものだから、ただ作品を物撮りするのではなく、そこにある“状況”をとらえていかなきゃならない。だから、アートプロジェクトってアーカイブの方法に皆さん苦戦されているんだと思います。

──まさに!まさに!東京ビエンナーレの記録、これからどうするの!って感じなんですよ。

青木 これだけ多彩な作品があるなかでアーカイブの問題は出てきますよね。僕もいろいろプロジェクトベースの仕事をしていて、後世に残すっていう意味では作品の写真や仕様をドキュメント化しておくことは重要だと思うんですが、それって本当の意味でプロジェクトをアーカイブしていることになるのかな、という疑問があって。

インドでプロジェクトをやっていた建築家の友人にアーカイブの方法について聞いたら、特にしていないって言われて。何故かと問うと、もう行くたびに町がどんどん変わっていくから、そこで随時写真を撮ることはあまり意味がないと。それをするんだったら、プロジェクトも関わった人たちが10年後にこの街を面白くしてくれるかもしれない経験を提供すること、それがアーカイブでもあるんじゃないかって言っていて。極論かもしれませんが、そういう振り切り方もあるのかなと。

図録にしても、ただ単に展示の記録写真を載せるんじゃなくて、体験として伝えるっていう何らかの方法が考え出せたら、いいアーカイブになるのかもなと思います。確かに図録は一応資料としてだったり、寄稿された文章を読みたいので買いますが、この作品がどういう写真で、どういう紙質で残っていたらカッコいいかなっていう目線では見ていないでしょうね。

山縣
 展覧会を見に行っても残念な図録のものは多いですね。東京ビエンナーレの図録は異彩を放って欲しいですね。

立花 そういう意味で言うと、僕は案内状(DM)に一番力を入れているというか、DMを作りたくて展覧会をやり始めたとも言える。いい紙を見つけた時に、この紙使えるな、じゃあ展覧会をやろうかなっていう(笑)。はじめの頃「佐賀町エキジビット・スペース」で展覧会をやった時から変わらないかもしれません。その時もDMを作らせてもらえるって言われて、カタログも勝手に作ったりして。その時に、カタログを見たドイツ人のアーティストが次の展覧会に誘ってくれたんですが、その時もカタログを作らせてもらえると言われたから、じゃあやろうかなっていう気になった。

山縣 そういう時はカタログのイメージが最初に出てくるんですか?

立花 っていうかやっぱりDMですね。DM先行型なのかもしれない。DMは出来ているけど作品ができていないっていう(笑)。そこからもう展覧会が始まっているっていう感覚なんですよね。今の展覧会のDMって、開催する側が展覧会とDMは別だっていう感覚を持っているんじゃないかっていう気がします。または、無意識。偉そうには言えませんが。インフォメーションの出し方なんだと思うんですが、それ次第でもう始まっているっていう感覚になるんだと思う。意識の問題なんだと思います。

──よくわかります。フライヤーやDM、そして図録ももちろん芸術祭の一部なんだけど別だって思われがちなのかもしれませんね。特に図録とかは後手後手になりがちで、アーカイブなんか特に芸術祭が終わった後に、とりあえず作るかって言うような。だいたいどこもそんな感じなんだと思います。

立花 まあ、出す(主催者)側もアーカイブっていったって、何も決まらないからやりようがないっていうのが本音なんでしょう。でも、その見えないところのことを考えていかないと、と僕は思います。デザインの仕事でも、ちょっとおせっかいでもその人がこの先こうなったら面白いっていうのを考えながらやるから、はじめは受け入れられないことが多いんですが、でも何年か経つと、やってよかったと言ってもらえる。

もちろん展覧会っていうことで考えると、予算組が決まっていてカタログは何ページでいくらで販売するとか、フライヤーはA4で何枚刷るって決まってるっていうのがあると思うんですが、それって本当にそうなの?と。自分が関わる時には、そういうところから組み立てたいなと思っています。それこそファッションとかって、送られてくるショーのDMが展覧会のDMよりもよほど凝っているし、ああいうのを受け取るとめちゃくちゃ嬉しいんじゃないかと思うんですが。

山縣 確かに、ファッション業界はプレスやDMを重要視している人は多いと思いますし、そこからコレクションが始まっているというところはあるかもしれませんね。

立花 ファッションの人はDMから始まっているという感覚を持っている人が多いと思う。DMには、そこに来てもらわなきゃいけないっていうエネルギーを込めなきゃいけないと思っていて、僕はこんなDMが来たら行かなきゃまずいなって思わせるようなインパクトを与えたいといつも思っています。でも結果的にDMが一番良かったねと褒められることもあるんですけど複雑ですよね(笑)。

山縣 パリコレだと、インビテーションがショーの一日、二日前くらいに泊まっているホテル届くんですが、分厚い紙にカリグラフィで「ムッシュー○○」とか書いてあって。日本にはそういう文化はなかなかないですよね。たまにそういうのをもらうとテンションあがりますよね。

──確かに。フィジカルに伝わってくるものの情報量が全然違いますよね。いくら画像や動画とかでいろいろ訴えたとしても、という。

立花 だから僕らの時はアニエスベーが月に1回くらいで出していたフリーペーパー(編注:アニエスベーが不定期に発行するフリーペーパー「le spointdironie(ル・ポワンディロニー)」は、キュレーターのハンス=ウルリッヒ・オブリストと美術家のクリスチャン・ボルタンスキーによって発案されたもので、毎号選出されたアーティストへ白紙委任状を手渡し、そのアーティストたちが決められたフォーマットの中で自由に表現を行うもの。2021年1月現在で63号発行されている。http://www.pointdironie.com/)が必ず店に置いてあって。後から、この作家だったんだって知ったり。イメージの断片だけなんだけど、結果的に得る情報は多かった。ああいったものがブランドのイメージや姿勢をつくっていく。

──A.P.C.とかzuccaとかもアーティスティックなフリーペーパーがありましたね。洋服のデザインだけではなくて、違うかたちでの情報発信をしていた。

山縣 そういう意味で言うと、やっぱりコムデギャルソンが革新者な気がします。常に抽象的なイメージが届くのですが、それがすべて最近の川久保玲さんが考えていることと繋がるという。DMとか広告物にはイメージとコムデギャルソンというロゴ、そして「ぜひ、お越しください」としか書かれていないような。

立花 バックボーンを作っていくエネルギーが向こう(ヨーロッパ)の人はすごいですよね。直接ブランドのイメージづくりをしているというよりは、その後ろ側の奥行きを見せたり感じさせるという。

わかりやすさの罪について、
作品を言葉で説明すること。

──確かに、事細かにこの人はどんな考えをしていて、とか説明をするわけではなく、抽象概念でぽんと差し出すような。読み解く側にも、抽象概念を考えるという文化があるっていうことなんでしょうか。では、皆さんに「わかりやすさ」についてお聞きしたいと思います。作品にしても説明が多ければいいわけではないと思います、その点いかがですか? 情報を出す側の人間としては、現代美術ってわかりにくいということを言われ続けていて、それをどうにか一般の読者に伝えようというのでわかりやすくというキーワードが出てきたんだと思いますが、それの結果が今なんだなっていう気がしていて。

立花 みんな説明するのが好きですよね。肝心な人は説明しない、どうでもいい人はいっぱい説明しますよね。

青木 ひとつ難しいのが、あんまり好きな言葉じゃないんですがダイバーシティが求めれているということがあるかなと思います。アクセシビリティを考えるとキャプションのフォントが大きくなったり、デザイン的に読みやすくなったり、内容も丁寧に説明するものが多くなっている。だからこそ逆にどういう語り口で書いているかとか、何を伝えようとしているかを僕は気をつけて見ています。そこにキュレーターの色が出てくるような気がするので。

──ストーリーづくりが重要ということなのでしょうか。例えば絵画の読み解きみたいな本がたくさん出ていますが、作家や批評家が言ったように作品を見るというのが必ずしも答えではないじゃないですか。そこにどう誘導するかっていうのはキュレーターだったり、主催者側が考えなければならないことなのではと。

青木 いまは美術館の中で発表をするだけじゃない展覧会の形式が当たり前になっていますよね。東京ビエンナーレもそうだと思いますが、まちを歩いていたらふと作品に出くわすような展覧会もあって。そういう時にどう情報や作品を伝えるか、どうコミュニケーションをとるかっていうのは難しい問題だと思います。

でも、テクニカルな部分で解決できることもあるのかなと。美術館と地域のアートプロジェクトって違うものとして考えられていますが、技術的なことがもっとオーバーラップしていったらいいのに、といつも思っていて。例えば、美術館の展示を考えるキュレータが持っている作品のよさを伝える言葉遣いや動線の作り方、サイン計画のノウハウみたいなものを技術としてまちに提供する。そして、まち側からは地域で作品発表する時のノウハウやコミュニケーション方法みたいなものを美術館に応用するといったような。どっちがアートかアートじゃないかみたいな議論ではなく、技術として交換可能なところを応用できるようにしていったらいいのに、と個人的には思っていて。東京ビエンナーレでは、そういうところがうまくいくといいなと。でも、それだけでひとつのプロジェクトになっちゃいますね。

──とっても面白い試みですね。なかなか難しいかもしれませんが、どういうトライアルができるかというのは今後の話し合いになるのかなと。でも、いいですね。

立花 まあ、作家はやることは変わらないんですが。でも、こんな状況だし海外からの客が見込めないとなったら、その中でどうするかっていうのを考えたいですね。同じことをしていてもつまんないし、海外を意識するのもどうかなと思う。世界中で言われているビエンナーレってこういうものだっていうのを覆すというか、極論を言うと完全に日本人向けにしてしまって、英語はなしとか。でも、地図さえ広げれば外国人でも行けるようにするとか。

青木
 そういう議論ってめちゃくちゃ重要ですよね。いま立花さんが「作家はやることは変わらない」っておっしゃいましたけど。まさにそうなんですよね。もちろん状況に応じて変化していくとは思うんですが、やっぱりそこをディレクションする存在が重要というか。ちょっと話は変わりますが、山縣さんがされている「coconogacco(ここのがっこう)」にすごく興味があって。教育の在り方とか、先生がいかに権威的にならないようにするかっていうことをおっしゃっていたことにすごく共感しました。作家がやることは変わらない中で、そこにどういうフレームを作っていくかという振る舞い方が重要なんだと思わされました。

僕は最近考えているのが「弱いディレクション」や「フラジャイルなキュレーション」ということなんですが、いかに自分が決定したことだけで物事が動かないようにするかっていう。自分が決定しないと動かない状況を極力作らない、作りたくなくて。それを実現するにはどういう風に伝えたらいいのかっていうのは考えています。それは自分自身のディレクションにおける課題でもあるんですが、作家のやることが変わらない中で、芸術祭なりプロジェクトをどうまとめていくかって、実はDMの作り方や地図の作り方1枚で変わることなのかもしれないと思って。山縣さんは、そのへんどう考えられていますか?

山縣 「弱いディレクション」っていうフレーズってすごくグッと来ますね(笑)。ある種の現代性を感じます。

──誰が主体的に動くかっていうことかっていうことでもありますよね。各人が主体的に動くためには、ディレクターだったり誰かの力っていうのがそんなに大きくある必要なくて。

立花 作家がやること変わらないっていいましたが、それは僕の言い訳みたいなもので(笑)。作家にしても、人によって早くプランが決まる人もいれば、やりながら作っていく人もいるだろうし、展覧会の間ずーっと作り続けている人もいるかもしれない。そこを揃えようったって無理。だから、一旦諦めて、と。いくら催促されたって決まらないものは決まらないよって思って。それはどんな展覧会もそうなんですけど。僕の話なんですけど(笑)。

青木 それって単純に物事が決められないとか優柔不断っていうことなのではないと思うんですよ。展覧会とかプロジェクトの始まりの作り方がそもそも違って、DMから展覧会を作るっていうようなスタートをきっておかないと、いきなり会期の初日が展覧会ですって言われてもある種の演出にかけられる時間がないんです。DMや企画書から始まっていることを感じ取ってもらえたら、完成する展覧会やプロジェクトも変わってくると思って。

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青木さんが関わったプロジェクト。
「たまのニューテンポ」(2020,多摩ニュータウン)
photo by:コムラマイ

立花 いま、あそこに貼ってある地図(編注:東京ビエンナーレ事務局に貼ってある手描きの会場予定地図)を見て、ああ、そういうことかって思ったんですが、作家には、分厚い企画書で千代田区、文京区……とかって説明するよりも、地図を1枚送れば企画意図なんてすべて通じるんじゃないかと。それと会期さえわかれば、どの作家もある程度のキャリアを積んできている人だろうし、別にすっぽかすようなことはないと思うんですけどね。

青木 確かに、作家に対しては地図を1枚送るだけとか、そういう仕掛けを考えるのもキュレーターやディレクターの役割ですよね。もちろん行政やスタッフ、協力者に対しては別の説明の仕方をしなきゃいけないんでしょうが。

立花 何十枚もある企画書をちゃんと読めるくらいだったらアーティストなんてやってないから(笑)。地図でも何でもいいんだけど、そういうのを裏方で作ってもらえるとすごくうれしい。

山縣 それは確かにキュレーターの大事な仕事かもしれませんね。パリコレで届くインビテーションみたいなものがアーティストに届いて、それが作家のエンジンをかけるものなのかもしれない。

青木 わかります。キュレーションって初期設定なんだと思っていて、例えば作家に何のツールを使ってどういう風に連絡を取るのか、そこからデザインをしていくというかいろいろ考えたいなとは思っています。そのやり方ひとつで、後の自分の仕事が全然楽になるんですよね。

──それは先ほどお話しをした観客への情報の与え方と一緒で、作家に対しても企画書を送り付けて全部説明すりゃ、説明したことになるっていうわけじゃないですもんね。

立花 みんなわかりたいっていうのはあるけど、作家はわかりたいの種類が違うんだと思う。いつ、どこでやるのか、まずはそれがあればいい。ひょっとしたら外に向けても、そこまでわからせる必要があるのかとも思う。でも会期が始まってから知られたんじゃ遅いような気もするし。

青木 さっきのウォーホルのカタログが本物よりもカッコよかったっていっていたような手触りだったり、それは感覚的な話なんでしょうけど。どうやってプロジェクトが記憶されていくのかは、ちゃんと考えていきたいですね。

主体的に思考することを
誘発する教育の在り方とは

山縣 さっき青木さんが話した僕の「ここのがっこう」に来ていた学生が、武蔵美で立花さんの授業(編注:武蔵野美術大学空間演出デザイン学科の授業)を受けていた学生だったと言っていて、立花さんの授業がものすごく印象に残っているって話をしていて。とても緊張感があって、立花さんがひと言も発さないで帰ってしまった時もあったと聞いたんですが、どんな授業をされていたんですか?

──立花さんの授業は名物授業と言われていますからね。きっと人生で初めて体験するような緊張感だったんだと思います。

立花 僕は基本何もしないんです(笑)。基本的には学生がつくってきたものを見るっていうよりは、その振る舞いというか動き、どう行動していたかということを見ています。何も言わないで帰ったっていうのは、準備がないというか動いていないっていう。彼女ら(彼ら)の気持ちがそこに向かっていない状況だと僕がいても何もできなくて、そう判断して帰ったんじゃないかな。そうすると初めて学生が考え始めるんですよね、どうして帰ったんだろうと。そして次の授業の時になると、不思議と動きが見えてくるんです。

山縣 すごい。それは学生が何かを作ってくるとかそういうことですか?

立花 いや、あんまり作るなっていいます。作るっていうよりは探すって感じです。

山縣 その子は今まで味わったことのない緊張感だったと言っていて。次の週になったら、ちょっとは反応してくれて。それがすごい喜びだったって話をしいて。その緊張感てどんだけのもんなんだ!って思って。

立花 緊張してくれるだけ、いいほうですけどね。こっちの振る舞いに対して、緊張感すら感じない学生だともう難しいです。

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『かたちのみかた』立花文穂著(誠文堂新光社/2013)
立花さんが女子美術大学で実践していた、「つくること」の前に必要な観察力や想像力を鍛える授業の様子を記録した書籍。

青木 作るなっていうのは、どういう意味で言われるんですか?

立花 作るよりは考えるっていうことをして欲しいと思っていて。だから、僕が知っているわけでもないんですが、考えるというのはどういうことなのかを経験してもらうという。美大に入ると、絵も描けるし、何かを作らせるとわりと上手なんです。でも、作るっていうところに何か作為的なものが見えてきてしまう。だからもうちょっと考えたままの状態で実験をするようなことをやって欲しいなと。すぐに色をつけたり、目に見えるかたちにしようとするんですが、そうじゃなくていい。この実験には基本的に失敗ってないですよね。だから何もできていなくていい、その時はできていないことを提示すればいいと言っています。

青木 学生たちは、それを言葉で立花さんに伝えられるんですか?

立花 いや、さっき本を読むのが難しいって話をしましたが、人の言葉を聞くのも難しいんですよ僕は(笑)。だから何でもいいから、何かを目の前に出してもらいます。今どきの学生は話せばわかると思いがちですぐに口で説明をするんですが、それは要らない。だって今話したものは目の前にないからと。ガムテープばっか貼っていてぐじゃっとなったような、一見つまらないものでも、頭の葛藤が見えてくるようなものは「いいね」って言います。まずはそこを動かして欲しいと。

──「ここのがっこう」では権威的にならないように努めているとおっしゃっていましたが、山縣さんは学生さんたちをどうファシリテーションしているんでしょうか?

山縣 僕も存在が最終的には忘れられているような、あ、いたんだって思われるくらいの空気感でいればいいのかなって思うようになってきましたね。というのも人って年齢を重ねただけなのに、知らず知らずのうちに圧力が出てきてしまう。自分ではそう思っていなくても、そう感じられているという場合がよくあるんです。だから、意識的に極力そう思われないよう、学生が伸び伸びやれるような雰囲気をつくりたいと思っていて。難しいバランスなのですが、ちゃんと信頼してもらいつつ学生同士で自発的にやるっていう空気感をどうつくっていくかを考えています。

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ここのがっこう授業風景 photo by Yurika Kono

──その学生同士が勝手にやる空気感っていうのはどうやってつくっていくんですか?

山縣 僕からどんどん意見を振っていきますね。最初は硬直してますが、学生は学生なりに意見を持っているので、それを発言できる雰囲気にさえなればいい。ひとつのヒエラルキーで考えさせないっていうか。こっちもあるし、あっちもあるし、それこそ球体だっていうような。そうしていくうちに、いつの間にか先入観が剥がれていく。たまに、受講生でぶっとんだおじさんが来るときもあるんですよ。頭のネジが何個も外れてしまっているような。だけど、それだけにすごく面白いんです。僕はそういう方々のチャームポイントを見つけて「いいですね」って言い続ける。そうするとクラスに「確かに面白いかもー」って空気が広がっていくんですよ。それが理想ですね。

立花 いいなあ。学校をやってるっていうこと自体がいいなあと思っていて。すばらしい。

──ファッションの学校と聞いて、若い方が多いのかなと思っていましたが、ずいぶん幅広いんですね、それは面白そうです。

立花 出席とって課題をやるだけなら大学なんてあまり意味がないかもしれません。私塾のようなかたちでも、経験を積んで知るってことを体験させるようなことをしたいですよね。ものつくりの海に溺れさせるくらいはいいのかなと思います。さっき話をした武蔵美の授業でもかなりの圧力をかけていたんですが、その授業は選択制で先生を選べるので、もちろん最初に説明をしています。駄目そうだったら逃げてねと。すると人数がガタッと減る。その上で残った学生たちなのである程度の覚悟は出来ていて、最後まで諦めなければみんなでちょっといい風景を見られる。学生たちが変わっていく姿を見ていると、逆にこちらがやっていてよかったなと思います。

山縣 すごいと思うんです。教育の現場で、ある種究極的なことをやられているなって思って。度胸も要りますしね。

──人に叱られることや、自分の価値観をがらがらと崩されるのとかって大学くらいじゃないとできないですよね。実際の仕事だったら、はいさようならって感じですから。

立花 そうですよね。あとはいろんな人がいるのを知ることができるのは、大学の面白さだと思うから。そういう意味では、別の先生を呼べる授業があったので、ほとんどしゃべらないような人に先生になってもらったりして。そういう存在に対面すること自体が経験になるっていうか。卒業生から話を聞くと、意外とそういうのが刺激になっているみたいで。

山縣 わかります。教え子に久しぶりに会って話をすると、僕らの何気ないひと言やしぐさとかの方が覚えています。こっちが頑張っていいことを言おうとしたことって、意外と覚えられていなかったりして。

立花 そうですよ。僕なんかひと言もしゃべらず帰ったっていうことしか覚えられてなかったりするもん。もっといいこと言っただろうと(笑)。いいなあ。僕も私塾やりたい。

青木 スクールって、アート系も増えてきていますよね。権威的なものが助長されるようなイメージもありますが、ポジティブな面もたくさんあるなと思っていて。社会人でも誰でも一律に「生徒」になるっていうのが面白いですよね。それを知った上で、敢えて教育しないっていう態度を取るっていう立花さんのようなこともできる。

立花 それが理想なんだよね。でも、いざ自分がお金を取るような仕組みをつくってしまったら、何かやってあげなきゃいけないって思ってしまうかもしれない。そこでズレが生じるんじゃないかな。教育ビジネスではないからね。でも、最近はオンライン授業が増えてきていることで、教育の可能性っていうのはある部分で広がっているような気がします。僕の場合はいまのところ対面前提ではありますが。

東京という場所と、
距離の取り方について。

──ちょっと東京ビエンナーレの話をしたいんですが、山縣さんの東京ビエンナーレの作品はどういう動きになっているんですか?

山縣 最初中村(政人)さんから、何でもいいから出してよって言われて。実現可能不可能関係なくアイデアを出してって言われたので、「山」を作りたいって言ったんです。中村さんからもいいねって言われて、じゃあそれを実現するためにはどうしたらいいのかっていうのをいま考えているところです。

──山縣さんの活動はファッションがベースにありながらも、作品発表も早くから初めていらっしゃって。その切り替えみたいなものはあるんですか?

山縣 なんだろう。特に自分の中での規定はなくて。でも、ファッションというか「装い」っていう言葉ってすっごい意味が広いと思っていて。「装い」をルーツに持っているものってすごくたくさんあって、例えば「編集」っていう言葉にも糸偏がついていて、そこを辿っていくと糸の話になったり、コンピュータにしてもジャカード織り機から始まっていたり、車もそうで。だから色々なもののルーツを辿っていけば、「装い」に関係したところに辿りついたりします。だから特にジャンルとか業界みたいなことは考えてなくて、その発見が楽しくて興味の幅が広がっていくんだと思います

──ほう、山をつくるのか、すごいなって単純に思ったんです。

山縣 一回ファッションショーでは山をつくったことがあります。庭園美術館の「装飾は流転するっていう」(2017年)っていう展覧会でおこなった「After Wars」というショーだったんですが、装飾の概念って何だったかなと考えていた時に、山を装うっていいなあと思ったんです。

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庭園美術館「装飾は流転する」展示写真

それで、中村さんから話がきたときに東京に何があったらいいのかなと考えて、自分だったら「山」だなと思ったんです。僕は鳥取出身で田舎者なので、日常に山が見えることってけっこう重要なんですよね。東京ってビルは見えるけど、全然山が見えない。東京の地図を見ていた時に、3331のある近辺って神田山があった場所なんですよね。その山をもう一回想起できるようなことができたらいいなと思っています。

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庭園美術館「装飾は流転する」で展開したショー「After wars」
photo by Yuji Hamada

──なるほど、いいですね。また、皆さんに「東京」ということについてもお伺いしたいんですが。山縣さんは鳥取出身、立花さんは広島ですよね。青木さんは東京のご出身で、それぞれ違う立場で、東京ってどうですか?

青木 僕は足立区出身で、地元が大嫌いなんですよ(笑)。だから、絶対に地元の学校には通いたくないって思い続けていました。

山縣 足立区ってどういう感じなんですか? 田舎者からすると、あんまり東京の区の違いってわからないんですよ。

青木 ビートたけしの映画(『菊次郎の夏』)があると思うんですが、彼が足立区出身で、ちょっと時代は違うけど大袈裟に言えばだいたいああいう感じです(笑)。ヤンキーが多かったり、怖い人がたくさんいたりしたのがすごく嫌でずっと外に出たいなって思っていました。早く外に出たいというのは、両親が芸術関係の仕事をしていて、作品などを通して違う世界に触れる機会が多かったのもあると思います。現在のような仕事にかかわるようになって、余計に東京って息苦しいなと思うようになりました。特にこの5年くらいでしょうか、地方に行くといろんな人に「東京出た方がいいよ」って言われて。納得しつつも、東京生まれ育ちっていう自分が東京にできることは何だろうと思うこともあって。

また、個人的なことでいうと、去年右足を切断して義足になったんです。もともと脚が悪く人工関節が入っていたので覚悟はできていたんですが、義足になってから、めちゃくちゃ自分の体が変わると同時に考え方が変わりました。

最近たまたま縁があって、横須賀に引っ越したんです。それこそ周囲見渡すと300°くらい山なんです。めちゃくちゃ気持ちよくって、そこで畑をやったりしながら生活をしています。自分の体と生活環境が変わって、初めて東京との適切な距離感がわかったような気がしていて。物理的なものと心理的な距離感が生まれたとたんに、東京をもっと面白くできるかもって思えるようになった。

立花 もう東京に出てきて30年以上なので、広島よりも長くなりました。この30年で東京も全然変わりましたから。思い出深い場所もほとんどがなくなってしまいました。ここ10年くらい広島に行き来するようになりました。もうちょっと近ければ楽なんですけどね。いっそのこと東京か広島に全部まとめればラクなのかもしれない。いまの心境としては、片足こっち(東京)に置いてやってみようかなと場所探しをしているところです。

ただ、エレベーターでは持ち上げられない印刷機とかがあるから。じゃあ一階かなあとかって考えてるんですけど、だから物件がなかなかなくて。でも、東京にいたい理由があるとすれば、行く飲み屋があるからっていうことくらいかな。だからといって広島だけで仕事をしたいかというと、それもどうかなと思っていて。東京との距離感がまだまだフィックスできてないんです僕は。

山縣 鳥取の地元でも仕事ができたらいいなと思いながらたまに行き来はしています。僕もどっぷりと東京にいると息苦しくなりますね、東京から外に出ると初めて呼吸が深くできるようになるような。でも、学校や仕事の拠点を東京に置いているので、少しでも自分の好きな町になって欲しいなと思って、山を出現させてはどうかと。

──東日本大震災の後に東京離れがわーっと進んで、またさらにコロナの後で加速したっていう部分はあると思いますね。複数拠点にするとかも。

青木 それこそ若いアーティストたちは東京から離れた方がいいんじゃないかと個人的には思っています。東京って何でも集まっているから見るものはたくさんあるけど、みんなそれに追われちゃって自分のことを考える暇がなくっている。SNSを眺めて、ありもしない正解を追い求めてしまって、逆に疲労しちゃうっていうか。

山縣 わかります。一極集中し過ぎだったんですよね。そこまで集中しなくてもいいっていうか。

青木 だからこそ東京に山があったらいいなっていうのは、本当に僕もそう思います。山の存在感って圧倒的にいいですよね。

山縣 人間関係に悩んだりしても、ぱっとそこに山があると。自分の悩みはちっちゃかったかなと思ったり。すごくいいじゃないですか。

青木 とらえきれない感じがいいんでしょうかね。距離によってディテールも変わるし、反対側は想像もつかないし。そのわかんないものが身近にあるっていう感じがいい。東京ビエンナーレも「見なれぬ風景」をキーワードにしていますが、本当に点在するプロジェクトが誰かにとっての風景を変えていったらいいなあと思います。

──東京でもこんなに面白い体験ができるんだっていう風になったらいいですよね。まちってもともとノイズが多い場所じゃないですか、だから作品の存在に気付けるっていうこと自体が重要だったり。そうやって感覚を研ぎ澄ませられたらいいのかなと。

青木 ここで話を聞いただけでもみんなが東京に息苦しさを感じていて。そういう人たちを一人でも救える場所をみんなで作っていったらいいですよね。さっきの立花さんのヨットスクールじゃないですが、その人が変わってもいい場所、その人を変えてくれる風景みたいなものが東京にあったらいいですね。

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青木さんがキュレーションを手がけた展示
「The Struggle for Tomorrow」(2020,アーツ千代田 3331)
3331 ART FAIR 2020, 3331 Arts Chiyoda, 2020

立花 もともとは学校がそういう場所だったんだと思いますが、今は先生の言うことを聞く学生がいい学生、言うことを聞かないで違うことをやるのは悪い学生っていう状況があるような気がしていて。学校を辞めて行くような学生の方が、僕なんかは面白いと思う方なんだけど。もっというと、僕が学生だった頃は悪い学生の方が多数を占めていたんだよね、美大にはそういうやつばっかりだった。今みたいな、みんなが先生の言うことを聞いて、答えがひとつのところに向かってしまうような状況だったら、僕も辞めちゃうだろうなと。学校から逃げた人たちだけを集めたコースをつくって欲しいなって思いますよね。大変なんでしょうけどね(笑)。山縣さんは、今でも年に2回くらいショーをやったりするんですか?

山縣 今はちょっと外れた動きになっていますね。ショーは不定期にやっています。

立花 僕は30歳くらいのときにファッションにハマったんです。ちょうどマルジェラがショーをやった時のレポートを読んで、ファッションショーっていうのはモデルが歩いてくるのが普通だと思っていたら、見る方が動くようなショーをやっていたり。その時の感覚がずっと残っていて。当時、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業した学生たちを称してアントワープの6人とか言われていましたが、それはファッションとかジャンルに関係なく、自分の考え方をどう組み立てていくかっていう問題なんだと思うんですね。アイデンティティをつくる。流行でこういうキーワードが出たから、それを盛り込んだ洋服を作っていきましょうっていうのとはまったく違う。日本人じゃ無理でしょうっていう教育の仕方なんじゃないかな。

美大で「コンセプト」とかって言うようになったのって、僕が卒業した後くらいからなんですよ。コンセプトって日本語にはない概念で、だけど確実に西洋にはある。結局、自分と対話をしていくことが、結果的にコンセプトになっていくっていう意味なんだと僕は思うんです。でも日本の教育って社会との接点を見つけるようなことばかりやらせてるし、そういうのを評価したがるでしょう。

さっきの僕の授業の話で、学生たちに自分が何を考えているのかを出していくようなことをやってるって言いましたが、もともと僕が武蔵美に呼ばれたのはファッションの授業だったんです。それは、空間演出デザインという学科に小池(一子)さんがファッションコースを作って、僕は小池さんの近くにいたので呼ばれて授業をするようになったんです。

山縣 なるほど。最初は小池さんから呼ばれたんですね。だからグラフィックデザインとかじゃなくてファッションだったんだ。それにしても立花さんがファッションとは。

立花 そうなんです。でも結局小池さんがやっていることって、ファッションとは言ってもすごく考え方が広くて。アートの周囲をファッションが覆っちゃっているような感覚というか、そういう考え方がベースにあって。だから僕の展覧会も、展覧会っていうよりはコレクションをやっているようなイメージもあります。自分のなかにテーマがあって、それを実験していくようなことをやっていっている感じはありますね。

──確かにさっきの山縣さんのお話でもありましたが、ファッションってすべてが含まれますよね。服のデザインだけじゃなくて、演出やパフォーマンスも入るし、生活にも浸透しているし。だから細分化するのではなく、もっと総合っていうかたちで学べる場があるといいということでしょうか。でも、美大というと基礎技術を高めていくことは必要な気もしますが、それはどうですか?

立花 うーん。基礎ということをどう考えるかですね。まあ日本画や工芸とかはそういう技術としての基礎の部分があるかもしれませんが、結局は自分が何を持っているのかっていうのをずっと探していれば形にはなるはずなんです。だから、絵画も彫刻も全部同じなんだと思います。

青木 僕は最近アートと呼ばれなかったものの歴史をリサーチをしていて。具体的に言うと大正時代の福祉について調べていて、めちゃくちゃ面白い試みをしていた精神病院があるんですよ。患者と医者と庭師がみんなで院内に山と池を作ってるんですが、もうそれは土木工事の域なんですね。いまだったらアートプロジェクトって呼ばれるような感じなんです。でもその院長はそれをアートとは言ってない。アートかどうかなんて別にどうでもよくて、患者たちが健康になるっていう切実さの方が重要だったからなんだと思うんです。

さっきの「弱いディレクション」の話と通ずるんですが、最近「アートを諦める」っていうこともよく話しているんですが、ポジティブに諦めていくことが重要なんじゃないかって思うんです。諦めてもなお自分がしたいことって何だろうと思ったときに、例えば「弱いままでいられる場所」をつくることとかに興味があります。アートが細分化されていく中で技術的に高まっていくものがあったり、理論が構築されていったりといういい面は確かにあると思うんですが、現実問題それでは立ち行かなくなっているところがある。だからひとつずつ諦めていくことで、別にアートって呼ばなくても自分が切実に考えていることが表現されていればそれでいいって。そういう可能性がどんどん開かれている時だと感じます。

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青木さんがゲストキュレーターとして参加したKAC Curatorial Research Program vol.01「逡巡のための風景」(2019,京都芸術センター)
NPO法人スウィング「Swing観光案内所「他人ごと面してんじゃねーよ」」
photo by:前谷開

東京ビエンナーレが面白いなと思っている部分はまさにそこにあって、僕が担当している「ソーシャルダイブ」なんてまさにそうです。アーティストとしての経歴がある人ばっかりじゃなくて、それこそ普段会社員の方もいますし、この人たちがまとまってビエンナーレに出ているんだっていう状況が面白い。だから、芸術祭っていう既存の考え方をポジティブに諦めていく可能性を秘めているのが、僕が考えている東京ビエンナーレなんです。僕の周りのアーティストたちも「アートはアートの外にある」っていう話をよくしていて。本当にそうだと思う。

さっきの福祉の話にしても、アート×福祉とかって言いますけど福祉の分野って100年くらいかけてアート的な思考を社会化していっているんだと思うんですよ。まあ、アートと福祉のどっちが偉いとかってことではありませんが、単に技術として見た場合にアートがアートだけに閉じこもらず、ポジティブに諦めていきたいなと思っていて、それを東京ビエンナーレでも実現できたらいいなと思います。

立花 表現って結果的に出てくるものなんですよね。アートってカタカナは好きじゃないんですが、それも結果的になるものであって、アートを作ろうと思って作るわけじゃないし、作ろうと思って作ることって所詮たかが知れてる。結果的に出ちゃったっていう方が、その人でしかないものになると思うんです。そういうことが表に見えるようになるといいかなと思っています。

東京ビエンナーレ2020/2021
見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―
チケット発売中!
https://tb2020.jp/ticket/

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左から山縣、青木、立花。

cover photo/ 庭園美術館「装飾は流転する」展示写真

立花文穂のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/kyutai-number-nine/

山縣良和のプロジェクト&プロフィールはこちら
https://tb2020.jp/project/small-mountain-in-tokyo/


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