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展覧会の雑記帳(2023.2月振り返り)竹久夢二/佐伯祐三/諏訪敦

龍星閣がつないだ夢二の心―「出版屋」から生まれた夢二ブームの原点―@日比谷図書文化館(2月28日まで)

日比谷図書文化館で行われている展覧会。竹久夢二の死後に夢二という素材に目をつけた龍星閣の澤田伊四郎。埋もれかけている作家を発掘するのを信条として、夢二も精力的に資料や絵画を収集し、見事に夢二ブームを復活させます。

展覧会も龍星閣の資料とともに、夢二の制作した数々の表紙や挿絵、夢二が装幀に携わった書籍で構成されます。前に東京ステーションギャラリーでも夢二展があったのですが、あれも龍星閣旧蔵竹久夢二コレクション展。ボリュームは小さくなってますが、画家、そしてデザイナー竹久夢二をしっかり振り返られる展覧会です。

佐伯祐三-自画像としての風景@東京ステーションギャラリー(4月2日まで)

もともと山本發次郎のコレクションが、大阪の中之島美術館にまとまって寄贈された佐伯祐三のお披露目展。15年ぶりのしっかりとした回顧展のようです。今回中之島に先立ち、先に開催してくれること感謝です。

パラパラとしか見てこなかった佐伯祐三ですが、見応えありました。渡仏後にヴラマンクにご対面。するといままで学んできたアカデミックな画風を完全否定されてショックを受けます。結果的にはこの時にディスられたことが、佐伯祐三を生んだ訳で、彼のアトリエはパリ市街と言われるくらい街、特に店舗や、壁のポスターを描きまくります。同じ店を何回も描いた絵がいくつかあって、執念を感じます。一時帰国はしますが、さらに再度パリに。仲間と行ったヴィリエ=シュル=モランでは午前中に一枚、午後に一枚の制作を課し、納得できない場合は、夕方にも一枚と、最後まで、精力的な姿勢は変わらなかったようです。

パリの絵が会場の赤レンガと似合い過ぎです。同じ、ステーションギャラリーで開催された鴨居玲を思い出しました。今回の展覧会のサブタイトルが「自画像としての風景画」となっていて、鴨居の場合は人物を。佐伯も街の姿はを借りてますが、ホントに描いていたのは自分自身ではなかろうかと、思ったりしました。

諏訪敦「眼窩裏の火事」@府中市美術館(2月26日まで)

2011年の諏訪市の美術館に展覧会に行って以来です。当時は、写実とかよく知らないで、写真みたいだなと思いつつ見てました。それ以来10年以上、いろいろな写実を見てきましたが、諏訪敦の絵は、写実で終わらないコンセプトがいつも感じられます。

前に日曜美術館で事故死してしまった娘を描いて欲しいという両親の依頼で女性像を描くという番組があって、いろんな写真を組み合わせつつ、両親のデッサン、娘さんの義手まで作成して亡き女性の肖像画を完成させるというものだったのですが、半端ない取材と執念が感じられる印象的な番組でした。

今回は、実父のハルビンで亡くなったお爺さんや叔母さん、腸チフスで亡くなってしまった生身から朽ち果てた亡骸の姿。会場ではビフォーアフターの2枚でしたが、実際は同一の絵に上書きで時間の流れを上書きで描いていて、その流れの動画は流されていましたけが、まさに九相図。

肖像画のコーナーでは、ジャーナリストの佐藤和孝の30代、40代の彼の肖像画の連作がありましたが、最後に並んでいたのは同じジャーナリストで、パートナーでもあった山本美香の肖像画。惜しくもシリア内戦で亡くなってしまうのですが、彼女の瞳には、人影らしきものが、絵のタイトルは、《山本美香(五十歳代の佐藤和孝)》。こういう絵で物語を作れるのが、彼の絵のすごいところだと思いました。

皆さまのお気持ちは、チケット代、図録代とさせていただきます。