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展覧会の雑記帳(2023.3月振り返り)ヒグチユウコ/ルーヴル美術館展/マリー・ローランサン/エゴン・シーレ展

雑感をつらつらと。

ヒグチユウコ展

猫のイラストで有名なイラストレーター・ヒグチユウコの大回顧展。最近見た江口寿史の展示作品数500点に比べ、はるかに超える1500点の展示。小さいプロダクト商品も多かったせいか?充実した内容だったためか?あっという間の1500点でした。

いつもの猫のイラストは言わずもがなですが、注目すべきは、始めに展示されていたバブルの塔のオマージュになっている画集の原画。ブリューゲルやボスのような世界観に、ヒグチユウコのキャラクターが間借りしてます。もともとは銅版画の作品ですが、ペン画との相性がよく、違和感がありません。むしろ、キャラクターたちはイキイキとしています。

かわいいだけでなく、ヒグチユウコの別の一面も見られますのが、ポスターのコーナー。例えば、エドガー・アラン・ポーのオムニバス映画「世にも怪奇な物語」の「悪魔の首飾り」に登場する少女の幻影。この絵が、のちのヒグチユウコの描く少女に影響を与えたそうです。その他、何気にナウシカの王蟲も登場しています。

ルーヴル美術館展

ルーヴル美術館展のテーマは愛。甘ったるい絵が会場の壁を埋め尽くします。これだけ甘ったるい絵の中にいろいろな愛のカタチをみることができます。その中で目にとまったのが、ベネデット・ルーティ《キリスト磔刑像の付いた十字架を手に、瞑想するマグダラのマリア》。ご存知の通り、キリストの磔刑から復活まで立ち会った女性。ある意味一番寄り添っていたからこそ、献身愛なのか、恋愛なのか微妙な愛のカタチなのかもしれません。描写も、甘ったるい感じではなくバロック気味にドラマチックに描かれてるところも良き。

いろいろな愛のカタチと言えば、フランドルの時代の人物が登場しない室内画も目に止まりました。脱ぎ捨てられた靴、差しっぱなしの鍵など妄想が妄想を呼びます。日本の歌川広重の猫が佇んでいる絵が、印象的な《浅草田甫酉の町詣》も、同じ空気の絵です。こう変化球も含めて、いろいろ楽しみかたがある展示だと思いました。

マリー・ローランサン

マリー・ローランサンとモードとはなっていますが、エコールドパリで唯一?の女性画家の個展といってもよいかと思います。個展の醍醐味というとやはり変遷で変わる画風ですが、今回も初期から晩年まで、完全に年代では時系展示していないものの、どの時代が好きなのか、考えながら見ると楽しいです。展示されている作品を大きく3つに分けると、キュビズムの影響なのか、怖い感じさえする初期(10年代)、目の表現が丸くなってきて、黒目が多く愛らしい中期(20年代)、そして表現に陰影が出てくる後期(30年代)。自分は中期推しです。黒目といえば、日本のいわさきちひろと比較されることがありますが、自分はちひろの方が好きだなと、おもって見てました。

付け加えるとすればもう一点。アールデコのファションの変遷ということで、バルビエ、マルティ、ルバップあたりが少しだけ出てました。これもアールデコ本好きにはちょっとしたプレゼントでした。

エゴン・シーレ展

あのポーズ、あのざらざら感のあるサーフェス、五指の角度。以前にも以降にもエゴン・シーレなしって文字通り唯一無二の人間描写。人間の内面をいやというほど描いているという点では象徴主義、表現主義に入るのかもしれませんが、そういうカテゴリーを超越してます。ほおずきの肖像画なは実は当時の恋人だったワシリーが描かれている対になる作品があるようで、それも並べて見比べると完璧でした。惜しかった。

もう1点、ワシリーを描いた悲しみの女。涙目なのが、いろいろな二人の間を勘繰ざるえません。ピカソが当時付き合っていた二人を描いた作品といい、男性の画家ってこういうことさえ、芸の肥やしというか、人間であるまえに画家の方が勝ってしまうのか、こういう作品に残してしまうところが怖いです。

ちなみにほおづきの肖像画のほおずきだけがマグカップになってますね。こういうグッズのセンス好きです。


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