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上村松園『花がたみ』〜表情づくりの参考になぜ能面が使われたのか

上村松園は、明治、大正、昭和時代に活躍した日本の画家で、特に美人画で知られています。彼女の作品は、独特の気品と洗練された美しさを持ち、女性の内面的な美しさと優雅さを表現しています。1948年にはその功績が認められ、女性として初めて文化勲章を受章しました。現在、彼女の息子である上村松篁、孫にあたる上村淳之ともに3代展が日本橋高島屋で開催されています。今回は、その展示からの1枚『花がたみ』という作品の成り立ちについて紹介します。

上村松園『花がたみ』1915年 松柏美術館

『花がたみ』は、彼女の伝統的な美人画スタイルから一線を画す特異な作品として知られています。この作品は1915年に制作され、謡曲『花筐』(はながたみ)に基づいています。

照日前は越前に住んでおり、大迹部皇子に深く愛されていました。ある日、照日前のもとに皇子からの手紙と花籠が届けられ、皇子が皇位を継承し継体天皇となり、都へと向かうことが告げられます。この知らせを受け、照日前は悲しみに暮れます。継体天皇が即位し、奈良の玉穂の宮を皇居として定めた後、紅葉狩りに出かけた際、その途中で侍女に花籠を持たせた狂女としての照日前が現れます。花籠が官人によって打ち落とされると、狂女はそれを継体天皇の形見として尊重し、越前での皇子との記憶を語り、懐かしむのです。さらに、照日前は中国前漢の武帝と李夫人の話を引き合いに出しながら継体天皇への愛を舞で表現します。最終的に、継体天皇が照日前と花籠を認め、彼女が正気を取り戻した後、再び皇居へと連れて帰ることになりました。

『花がたみ』は、208×127cmという大きなキャンバスに描かれた大作で、能面「十寸髪」(ますがみ)を参考にしたと言われています。

この作品で描かれる照日前の凶人の舞は、通常の美人画とは一線を画すドラマチックで濃密な表現を必要としたため、単なる想像力だけではなく、現実の観察を基にした制作が求められました。この作品は、松園の芸術的な挑戦としても注目され、彼女の画業における重要なマイルストーンの一つと見なされています。

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