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ボッティチェリ『美しきシモネッタ』〜贋作疑惑に揺れたボッティチェリの傑作
このテンペラ画『美しきシモネッタ』は、丸紅が所蔵する日本で唯一のルネサンス期の巨匠、サンドロ・ボッティチェッリ作品です。1969年にイギリスから輸入されて以来、53年間にわたり丸紅の手で大切に保管されてきました。
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数々の絵のモデルになったとも言われるシモネッタ
描かれたシモネッタ・ヴェスプッチは、ロレンツォ・ディ・メディチ主催の「大騎馬試合」で美の女王に選ばれるほどの絶世の美女でした。彼女は、15歳で、マルコ・ヴェスプッチと結婚していましたが、ロレンツォの弟ジュリアーノの恋人とも噂されていました。ですが、「大騎馬試合」のわずか2年後、胸の病で22歳の若さで亡くなってしまいます。彼女の美しさとジュリアーノとの恋物語は、多くの詩人や画家の想像力を刺激しました。
ボッティチェリの『プリマヴェーラ』は、ジュリアーノの従弟で、メディチ家のパトロンであったロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチとシモネッタの姪であるセミラーミデと結婚祝いとして描かれたとも言われます。
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19世紀後半の美術評論家ジョン・ラスキンは、ボッティチェリが多くの女性像に同じモデルを用いていると指摘しています。たしかに、『プリマヴェーラ』や『ヴィーナスの誕生』に描かれた女性たちの顔には共通点があり、同じ人物をモデルにしているようにも見えます。また、ボッティチェリにとって彼女は憧れの女性であったとも言われており、若くして亡くなった彼女と同じフィレンツェのオニサンティ教会に埋葬されることを望み、その願いは叶えられました。
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ボッティチェリの生い立ち
サンドロ・ボッティチェリは、フィレンツェで生まれ、幼少期の記録は少なく、その詳細はほとんど知られていません。13歳で金細工の修業に出され、その後、当時フィレンツェで人気のあった画家フィリッポ・リッピの工房に入りました。リッピの画風を受け継ぎつつ、レオナルド・ダ・ヴィンチの師匠であったヴェロッキオなどの影響を受け、やがて流麗な線を駆使した独自のスタイルを確立しました。
1470年に初めての注文を受けて以降、ボッティチェリの名声は高まりました。1473年末にはピサの大聖堂のフレスコ画の依頼を受けました。1478年のパッツィ家の陰謀をきっかけにメディチ家の庇護を受けるようになり、評判はさらに高まりました。特に「春」や「ヴィーナスの誕生」などの傑作を1470年代後半から1480年代にかけて制作しました。
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