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ワードの翻訳機能は案外凄かった

AI技術に代替される側ではなく、AI技術を使いこなす側にならなくてはならないという、前向きなのか、脅迫的なのかよくわからないメッセージが最近目立つようになった。そういう類の言葉が多く見受けられるというのは、おそらく、こういうメッセージが人の不安を煽るから、関心も高くなり、それで記事を読んだり、本を買ったりする人が多くなるからなのだろう。

そういう社会批評的(フランクフルト学派的?)なことを言いたいわけではない。

どうもこういうメッセージはキーワードが空中戦を行うだけでピンとこないし、不安商法で本は売れるのかもしれないが、ほんとのところ、自分の生活に具体的な影響がありそうな気がしない。

そこで、僕は、具体的にAIを利用する側になってみようと思った。結局、不安商法に踊らされてるじゃないか(笑)

さて、具体的には何か。僕にとって一番身近で関心が高いAIと言えば、それはやはり自動翻訳機能だった。

自動翻訳という技術に対しては、実は、長い間複雑な気持ちを抱いていた。

なにせ数十年がかりで、時間を投資してきた翻訳能力がたかがコンピュータに代替されてたまるかという気持ち(裏返しの恐怖)があったのだと思う。

たまに、いろいろな翻訳機能を試してみては、その奇妙な翻訳結果を嘲笑して、安心していたのだ。

いつもの定点観測的にワードの翻訳という機能を使ってみた。Le Figaroの文章をワードにコピーして、該当部分をマウスでハイライトすると、即座にその翻訳が現れるのだ。たしかに、日本語は奇妙だし、まだ精度は高くない。

ふっと、英語にしてみたらどうかなと思った。フランス語→日本語と変換より、フランス語→英語への変換精度は、言語の同質性から高いはずだ。

結果を見て驚いた。

Le Figaroの韓国のコロナ対策が成功していることを報じる記事だ。

例文(フランス語原文)
”La mobilisation vigilante de la population au quotidien, qui prend la menace du virus au sérieux, mais avec calme, est l’autre atout d’une nation habituée à vivre à la merci de l’artillerie de sa rivale la Corée du Nord. ”

例文(ワード:フランス語→日本語)
「ウイルスの脅威を真剣に受け止める日常的な人口の警戒動員は、ライバルの北朝鮮の砲兵のなすがままに暮らすことに慣れている国のもう一つの資産です。」

例文(ワード;フランス語→英語)

”The vigilant mobilization of the population on a daily basis, which takes the threat of the virus seriously but calmly, is the other asset of a nation accustomed to living at the mercy of its rival North Korea’s artillery.”

例文(英語翻訳→日本語)

「ウイルスの脅威を真剣に受け止める日常的な人口の警戒動員は、ライバルの北朝鮮の砲兵のなすがままに暮らすことに慣れている国のもう一つの資産です。」

フランス語から日本語への直接変換と、英語経由の間接変換の結果は同じだった。たしかに、いまだに日本語の文章としてこなれていない部分はあるにせよ、意味的には十分に役に立つレベルになっている。

フランス語→英語に関しては僕がケチをつけられるようなレベルではないし、結果を英語で書写すれば英作文の練習になるなと思った。

まあ、日本語を翻訳に一言ある翻訳旧守派の僕が直すと、

「今回のウイルスの脅威に対して、国の要請に対して、全国民が日常的かつ真剣に受け止めることができるということは、隣国の北朝鮮の脅威に日々に曝される中で蓄積された国家的資産といいうるだろう。」

にはしたい。

翻訳能力というのは、たしかに、単語を知っているか、文法を知っているか、翻訳元の多くの文章に触れてきたかなど、外国語側の多くの要素に依拠してはいるが、読み物としての翻訳ものの魅力は、かなりの部分、翻訳者の日本語の表現力にかかっている。

その意味で言えば、翻訳における外国語変換の部分がどんどんAI等によって高度化していくならば、ユーザーの側からすれば、それを日本語の文章として読みやすいものにする能力の価値が上昇することになる。

AIを味方につけて、翻訳というものの中で個人としての付加価値を高める戦略を維持するという視点から言えば、短期的にはこういった形で高度化する自動翻訳を利用して、日本語の表現力を最大限磨くことが適切な戦略のように思える。

その自動翻訳の精度が、日本語の文章の達人たちの叡智も取り込む頃には、外国語の情報というものをベースにして日本語で何を考えて、何を発現すれば、どのような付加価値を与えられるのかということに舵を取ることになるのだろう。このあたりになると、翻訳というものがスキルとしてもっていた境界はあいまいになって、他の知的営為に吸収されているのだろう。

まあ、このあたりを、ネガティブにとらえるのかポジティブにとらえるのかで生き方は変わるのだが、度し難い楽観主義と他人に呼ばれること久しいので、僕は、翻訳というものを、「外国語で書かれた叡智をいかに迅速に自分の日本語的思考の中に取り入れるかというゲーム」と再定義して、ゲームに熱中することに決めた。

現状の翻訳はAIの業界用語の「弱いAI」(特定用途向けAI)の域での学習を続けているが、そのうち、「強いAI」(汎用型のAI)への道筋も生まれてくるのだろうと思う。コンピュータと人間の本質の競争は、まさにこの言語の分野で行われることになるのだから。

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