2001年のスワローズ日本一に大きく貢献した入来智投手を偲ぶ

スワローズなどで活躍した入来智さんが、2月10日に軽自動車を運転中に見通しの良い交差点で出会い頭で普通車に衝突されて亡くなられたことが明らかとなった。


自分はプロ野球選手の入来智さんだと正式発表される前に、宮崎のメディアの報道で氏名・年齢・居住地ともに一致していた為、入来智さん本人である可能性が高いという思いを抱いた。


入来智投手のプロ野球時代のイメージとして、今は無き近鉄バファローズが最も在籍期間が長かったものの、個人的に真っ先に思い浮かぶのは贔屓チームであるスワローズが2001年に4年ぶりのリーグ優勝・日本一に大きく貢献した投手というものである。


今でこそスワローズが2001年にリーグ優勝・日本一を成し遂げたことに対し、規定打席に8人が到達した打撃陣の顔触れ(真中選手、宮本選手、岩村選手、ペタジーニ選手、古田捕手、稲葉選手、ラミレス選手、土橋選手)を考えれば驚きではないという見方をされがちである。


だが、2001年の開幕直前に当時の若松監督は、先発ローテーション投手の頭数自体が足りない(いない)と公にコメントしていた。泣きが入ったコメントと言っても良いのかもしれない。川崎投手がドラゴンズへFA移籍し、伊藤智投手は離脱したことで、開幕時の先発ローテーション候補は石井一投手以外は計算が立たない状況で、開幕シリーズの戦いでさえ誰が投げるのかが不明瞭だった。


だが、そんなチームを救ったのが、ジャイアンツを自由契約となり、スワローズに入団した入来智投手だった。


入来智投手は、開幕前は先発として期待が大きかったとは言い難い。だが、上記に記したように先発の頭数自体が足りなかった為、若松監督はバファローズ時代に先発経験が豊富な入来智投手を先発陣の一角で起用した。


当時の入来智投手に対し、個人的にはストレートは特段速い印象はなかったが、スライダーは効果的で、前年にジャイアンツを戦力外になっていたこともあってか、もう失うものはないというかのような堂々とした投げっぷりだと感じていた。入来智投手は古田捕手の要求に応えた結果、勝ち星を重ねてキャリア最高の10勝をマークした。


この年のスワローズは石井一投手しか計算が立たなかった筈の先発投手陣だったが、2年目の藤井投手が14勝で最多勝を獲得し、入来智投手も含めて二桁勝利を挙げた投手が3人出た。


2001年のスワローズは2位ジャイアンツに3ゲーム差を付けてリーグ優勝した。前年にジャイアンツを自由契約となった入来智投手による貯金7(10勝3敗)という成績は、ジャイアンツとの差を考えると大きなものだった。


入来智投手は古巣バファローズとの日本シリーズ第3戦でも5回を投げ切って、勝ち投手となった。1勝1敗からスワローズが先にシリーズ2勝目を挙げたことで、シリーズの行方はスワローズへ傾いた。


2001年に入来智投手は活躍したが、個人的には翌年以降の成績は危惧していた。入来智投手は強気なコメントを発することが多かったが、個人的には他球団からのマークが厳しくなることに加え、シーズン中も相手を圧倒して勝ち星を重ねたようには感じられなかった為、翌年以降も二桁近い勝利を期待できるのかと言えば半信半疑だった。


入来智投手は2002年は前年の活躍とは異なり、僅か6試合の登板(1勝3敗)に止まり、スワローズを退団する運びとなった。


その後はKBO(韓国)、台湾リーグでもプレーを続けた。今ではNPBを退団後にアジアのリーグで現役を続行するケースも見られる(高津監督の現役時代がその一例)が、当時はそうしたキャリアを築いていく選手は殆どいなかったのではないだろうか。


2001年のスワローズリーグ優勝・日本一を語る上で、入来智投手は欠かせない存在である。スワローズでプレーしてくれたことに加え、スワローズのリーグ優勝・日本一に多大な貢献をしてくれたことに対し、改めて心から感謝したい。

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従来はフリーブログでしたが、今後は対象読者を限定する形で運営します。商業メディアでは深掘りされにくい印象のあるスワローズに関して、自分なりの私感を記せればと思います。新規の方はAmebaブログの過去記事(https://ameblo.jp/yuujin0929/)に目を通した上で、読んでみたいと思っていただけるようであれば幸いです。

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