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東京西側放送局:配信後記

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収録時に喋りきれなかったことについて各人が書き下ろした記事を公開しています。
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2021年3月の記事一覧

「父の名は。」~あずまんが大王における「ちよ父」の機能~

日常系漫画の話をした。配信後記として、『あずまんが大王』について少し書こうと思う。 もち…

鹿間羊市
3年前
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配信後記(第6回) ミニマリズムについての蛇足

今回はおおむね配信で言いたいことを言い切ったので、特にまとめ直したいこともない。実は。 …

大丘柳人
3年前
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ハイデガーとミニマリスト

ミニマルな暮らしなんて、いやらしい。それは切迫した生存の次元がまったく問題となることのな…

鹿間羊市
3年前
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「ミニマリスト」に感じてしまう“気持ち悪さ”の正体

 いくら新鮮であろうと、一定の浸透をみた後で理論が魅力を失うことは、古来繰り返されてきた…

なかた
3年前
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配信後記(第4回)モルカーは「干し草」を食わない

でもゴミは食う ミリしら状態で流行りものを語るとかいうハイリスクな配信だった。テープが回…

大丘柳人
3年前
1

配信後記(第3回)「良いものを作れば、自然と人が集まってくる」は“信仰”なのか

それでも僕は「良さ」の力を信じている今回の東京西側放送局の議題は、文章を何らかの形で日常…

大丘柳人
3年前
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これは「いい文章」についてのいい文章である

いい文章を書きたい、というモチベーションに駆られているとき、ぼくがしたいのは本当に「いい文章を書くこと」なのだろうか? 文章の良し悪しをめぐる議論は、つねに着地点を失ってしまう。「東京西側放送局」においてぼくらが行った議論でも、やはり「答え」のようなものが出ることはなかった。 とはいえざっくりと、3人の間の共通見解のようなものは見出されていると思う。文章の「うまさ」というのは技巧面での話であり、「よさ」は訴えかける力、といったところである。 ちなみに、これを収録する前に

「純文学しぐさ」とは何か~『推し、燃ゆ』への嫉妬~

純文学とはなにか、という問いには答えがない。純、というのは混じりけがない、ということをい…

鹿間羊市
3年前
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配信後記(第2回)「推し、燃ゆ」のこと

質量のなさ、「絵解き」的読み、舎利を拾う『推し、燃ゆ』を読んだあと、フレッシュなうちにと…

大丘柳人
3年前
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