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自分の写真から、自分の内側を見つめる

こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。

いきなりですが、去年1年間で何枚位写真を撮りましたか? または、前月はどのくらい撮りましたか?

わたしは、写真家・森山大道氏のことば「量のない質はない」ということばに非常に影響を受けていて、カメラを片手にたくさん写真を撮っています。

一般的に、写真集や写真展など公表される作品は、その写真家が撮った中のほんの一部でしかありませんが、森山大道氏の『LABYRINTH』という写真集は、コンタクトシートを複写したもので構成されており、実際に撮影したものを連続して見ることが出来ます。


1960年代から2000年代にかけてのものなので、全てフイルムで撮影したものです。

その中には、同じ被写体に向けて何枚も撮影したものがありますが、今のデジタルカメラで連写したような画像の連続性ではなく、フイルムを巻き上げる時間的な間が感じられ、1枚ごとにシャッターを切っている感じがします。

フレーミングを考えながら、もしくは感覚的に同じ被写体に対し撮影したものを見ると、いかにして被写体を切り取ろうかという気持ちの現れが垣間見えます

たくさん撮ることで、見えてくるもの。

撮影:Tokyo Street PIX.  @中野

最近は、このことが強く頭の中を回っており、撮っても撮ってもキリがないのですが、明らかに自分の写真を見返すことが増えて、写真をよく見るようになりました。

自分の写真を見返すと、何を多く撮っているのか、何を撮らないのか、どういう構図が好きか、焦点距離何ミリくらいが好きかといった、見たままの表面的なことがまず目に入ってきます。

あまり撮る気がしなくて、1枚ごとの間隔が開いているなとか、同じものを何枚も撮っているなあとか、ここで面白いものを見たなとか、イライラしてたなとか等々。

大量の写真を見ていると、その流れで写真を撮ったときの状況や気持ちの変化などを思い出します。

自分の写真だからこそわかる、自分だけの思い出

「写真とは、想い出です」

これは、森山大道のドキュメンタリー映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」の監督・岩間玄氏に届いた、森山大道氏からの手紙。

半世紀以上に渡って写真と向き合ってきた森山氏が、たどり着いたひとつのゴールとも言えることばですが、写真の裏側にある隠れたメッセージだと思います。

写真を撮るという行為は、被写体を表面をスライスする行為だとも言いますが、本当は自分の内側を抉る(えぐる)行為なのかもしれません。

またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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