写真は誤訳?ただの光の玉手箱だよ
こんにちは、路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXです。
写真を撮るために必要なセンスのひとつに、「美的センス」が挙げられます。
ある写真家が言いました。写真を撮るために必要なもののひとつに「技術より美意識」が必要だと。
確かにそうかもしれません。
美しい写真、綺麗な写真、幻想的な写真、芸術的な写真 etc…
写真は美しいものの表現に適しているし、美しい写真は、観る人の心を優しく満たしてくれるし、感動を与えてくれるかもしれない。
でも、疑問に思ったんですよね。ホントにそうかな?
そもそも「美意識」って何でしょう?今話題のChatGPTさんに聞いてみました。
「美」を対象にしての、感覚や感情、分析や評価などが美意識です。あくまで、「被写体が美しいもの」という前提に限定してしまっていて、個人的には引っかかってしまったわけです。
以前、「写真の本質」という記事を書きましたが、“写真はこうだ“ みたいなことを言い出すと、決め事、決まり事で縛られてしまい、写真表現の幅が狭くなり、奥行きが浅くなるような気がします。
だから、個人的には「写真の本質」なんて、あるようでないものだと思っているわけですが、先ほどの「美意識」に話を戻すと、「美しいもの」に表現を限定しているから、逆に「写真の本質」が嘘っぽく感じてしまうのかもしれません。
写真は、英語では「Photograph」と言いますが、“photo”が「光」、”graph”が「写し出す」を意味するギリシャ語が語源だそうです。
これを知ると、日本語訳の「真実を写す」というのは誤訳にも感じます。
誰が言っていたか忘れてしまいましたが、「写真」の ”真“ は真実のことではなく、空間の “ 間”(ま)のことではないかと言っている方がいました。諸説あるようですが。
だから、写っていることが真実かどうかではなく、目の前の空間(光があるから見えてる)を写したものを写真という方が、本来の意味なのではないでしょうか。
これは噂で聞いた話なので本当はところは分からないのですが、日本だとスピード違反で撮影された写真がその証拠として有効なのですが、アメリカでは単なる車が写っている写真でしかなく、止まっている写真からスピードオーバーを説明することは不可能なので写真によるスピード違反の取り締まりはないと聞いたことがあります。
この話が仮に本当でないにしても、文化的に写真に対するイメージの違いが感じられて面白いと思いました。
写真に真実なんて写らないし、ましてや美しいものだけを残すものでもないですし、写真には撮影者の心が写るなんていう方もいますし、光の玉手箱かもしれないし、いったい何を残すものなんでしょうと考える今日この頃です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。またお会いしましょう。路上写真家のTokyo Street PIX/TPIXでした。
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