ショートショート「成人の儀式」

時は21世紀末。
生存自由意志選択法、通称「成人の儀式」が施行されて久しい。
この法律は、自分の意志に関わらず生を強要されるのは人権に反するとして、成人を迎える者はそのまま人生を続けるか、安楽死するかを自由に選択できるというものである。
なお、安楽死自体は未だ自由化されておらず、成人の儀式のときに選択した者だけに許可される。

某三流私立大学に通う僕は、今まさに、その選択を迫られている。
目的も無く大学に通い、嫌々バイトに行き、休みは家でダラダラするだけの毎日。VRで自分を慰めることだけが楽しみである。
特技と言えるようなものも無く、この先の人生が明るくなる要素は皆無に等しい。

単純労働はAIが担い、持たざる者にできる仕事と言えば、介護か、客に媚び諂う類のサービス業くらいなものだ。
当然ながら、現代社会に生きる人間は儀式を経て生を選択した者だけである。
弱者に対する風当たりはあまりにも強い。

俺が安楽死を選んだら、一人っ子だし、親は悲しむだろう……いや、勝手に産んだのが悪いんだ。法律で認められた権利なんだから……

安楽死を選ばないよう家族が説得することは許されておらず、違反した者は厳しく処罰される。

決断の日が一週間後に迫ったある日、高校の同級生の女子から突然連絡があった。
「久しぶり、元気してる?」

聞けば彼女もまた、儀式を前に迷っているようだ。
次の日会うことになり、居酒屋でうだうだと結論の出ない話をした後、ホテルへ行き、素人童貞を捨てた。
後日、「付き合わない?」と言われ、人生の本編を"始めない"という決断が揺らがなかったと言ったら嘘になるが、数あるコンプレックスのうちの一つを解消して清々したまま死のうと思い、書類にサインをした。

「成人の儀式」の導入により、障害者や病弱者、いじめを受けた経験を持つ者は激減し、優生思想を具現化したような社会になった。

自らの意志によって生きることを選択した大人たちの競争は、野生動物よりも過酷だ。しかし、昔のように、どう考えても勝ち目のないような人々を強引にシステムに組み込み、生殺しにすることもない。かつて流行した「無敵の人」による凶行も激減した。

平成時代の成人式は、不良少年たちが大暴れするお祭りだったという。
それが今や、すべての若者に人生最大の選択を迫る究極のイニシエーションとなったのである。

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