見出し画像

設計士・インテリアデザイナー 野口妙子 -TDP生のストーリーマガジン【com-plex】 Vol.4- [後編]

デザインだけではない、これまでの経験が活きていく。東京デザインプレックス研究所の修了生を追ったストーリーマガジン「com-plex」。

お客さまを大切な友人と捉えた「友人のための家づくり」をモットーとし、土地探しを始めとする「経済設計」から手掛けるStudio CASA(スタジオカーサ)設計士 野口妙子さん。後編も引き続き、キャリアチェンジのきっかけや「家づくり」に対する想い、受講生時代のこと等について、お話を伺いました。(前編はこちら



「家族」という概念と前職からの想い

Studio CASA(スタジオカーサ) 設計士 野口妙子さん(写真左奥)

――前職は航空会社に勤務していたと聞きました。

空港でグランドスタッフとして勤務していました。勤務先の空港では、空間のキャパシティーの2倍の旅客をハンドリングしていました。はじめはソフト面で、スタッフやお客さまに協力していただいて、オペレーションの改善を行っていました。

しかし、一日中フロアに立っていると、「トイレはどこですか?」「搭乗口はどこですか?」と、何百回と聞かれるんです。毎日がそうした状況だと、ソフトではなく、ハードを変える必要があると感じました。そうでなければ、みんなにとってストレスだなって。

そこで、ハードを変えたいと思い、向かった先が商空間デザインでした。

――航空会社への未練はなかったのですか?

そうですね……。入社当時からやりたかった業務を担わせていただきましたが、そのときに感じたことは「自分にその仕事への適性がない」ということでした。「仕事内容は好きだけど、適性がない」というのはなかなか苦しいもので……。適性がなく、力を発揮しきれていないのは、自分が一番よくわかっていました。

また、仕事だけでなく、自身を取り巻く恵まれた環境の中で「もらっているもの>与えられているもの」な状態が長く続き、フラストレーションもかなりたまっている状態でした。でも、あまりにも悩みすぎ、ついに考えることが面倒になったんですよね。

そして、行きついたのが「情熱に従って生きていったらどうなるのかな?」という疑問です。それから判断軸を「恐怖や不安」から「興味や情熱」にシフトしたことで、今のキャリアがあると思います。

野口さんが設計した自邸

――設計士として、商空間ではなく、住空間を選んだ理由は何ですか?

社会を構成している最小単位は「家族」という概念。そして、一過性のサービスに従事していた前職で、もっと大きく、人や社会に寄与する仕事がしたいという想い。商空間ではなく、「家」を選んだ理由は、それらが大きかったかもしれません。はじめは商業建築が入口でした。しかし、そこでは商業建築を利用する人たちと、自身の感じている課題感が、あまり結びつかなかったんです。

そんな想いを抱きつつ、デザイン事務所でインターンを経験させていただいたとき、いくつか住宅にかかわる案件にふれました。そこで、「家族」という概念と前職からの想いが呼び起されて、とても自然な流れで住宅設計にたどり着きました。

結局、私がやりたかったことは、空間で人を支えることだったんです。商空間はその人の人生に踏み込むことが難しい。航空業界においても、お客さまとは一瞬の出会いで終わってしまうことが、なんとなくさびしいと感じたことも、理由としてあったのだと思います。おこがましいですけど、もう少し人生に踏み込み、何かつながった感覚が欲しかったのだと思います。そう考えたとき、商空間よりも家が合っていますよね。今は住宅設計をさせてもらえて、とっても幸せです。

――住宅設計に関わる前は、何か「家」に対する想いはありましたか?

親が転勤族ということもあって、人生で15回くらい引越しているんですよ。だから、いろんな家に住んできて、幼少期から家の大切さを感じていました。親は空間に頓着のない人だったのですが、床と巾木の色が違うとか、私は耐えられなくて(笑)。自分がフラストレーションを感じることは、適性がある分野と言われることありますが、私の場合、それが「家」だったんです。

また、幼少期から建物や空間を見て、その建物や空間がそのあとどうなっていくかが、なんとなく予見ができるといったところがありました。両親が今でも話すんです。「パチンコ屋さんが潰れたとき、泣いてたよね」って。当時の私にはパチンコ屋さんが潰れることがわかっていたんですね。愛されていない建物はすぐにわかりますから。だからわかっていた結末でしたが、その建物がかわいそうで涙がでました。

建築や空間は、新しい古いは、価値に直結しないと考えています。人が暮らしを営む「家」は、一戸でも愛される空間であってほしいなと思っていますが。まだまだこの神奈川・東京エリアでできる事が多いと感じています。


デザインは「相手がいる仕事」

――商空間デザインを学ぶとき、なぜTDPを選んだのでしょうか?

私は、大学は建築学科を出ていないので、建築士の資格取得は難しいと知っていました。でも、先のことまで考えてしまうと、絶対に無理だと思ってしまいます。だから、まずは業界のさわりを知りたいと思い、TDPに話だけでも聞くため、当時住んでいた北海道から東京へ飛んできました。そのときは、知ってダメだったら諦めようと考えていました。

TDPで個別カウンセリングを受け、そのままの流れで授業体験セミナーに参加しました。体験後、「この業界に自身の適性×必要とされるポジションがありそう」という予見と、「動機に芯があれば大丈夫」という確信に近い想いを持つことができ、迷わず入学を決めました。

――入学後はどうでしたか?

プレックスプログラム(各業界のトップクリエイターによる特別授業)はすごく好きでした。登壇したデザイナーの方が、「デザインは右脳から左脳に移す作業」だと言っていて、それがすごく腑に落ちましたね。私のバランスは右脳的な思考にすこし傾きがちでありましたが、それを左脳に落とすことが足りていないと感じていました。だから生きづらいんだ、と。なのでそれを仕事というプロセスの中で、取り組んでいくことにしました。

ある女性デザイナーの方が登壇されたとき、商空間をデザインするワークショップがありました。周りのみんなはデッサンが上手だったのですが、私はいたずら書きのようなデッサンで……。でも、そのデザイナーの方は「この考え方、私は好きだよ」と褒めてくれたんです。そのとき「あ、素質あるかも」って思いましたね(笑)。これまでは勢いだけでしたが、可能性もあるのかなと。

あと、クラスメイトにも毎日褒めてもらっていて。そこで、もう少し続けてみよう、もう少しだけ続けてみようと思うことができました。その続けることをつないでくれたのがTDPでしたね。

――講師の印象を教えてください。

講師の方からはデザインのことよりも、「受け入れてもらえた」ということが、私にとって大きかったですね。未経験から学校に通うことになるので、お門違いなところから来たという気持ちもありました。自分はここにいてはいけないんじゃないかって、心のどこかで思っているんです。

そうした中でも、受け入れてくれるという環境、そしてだれにも見えない素質を引き出してもらえ、勇気をいただきました。いろいろな人との出会いや感銘を受けたデザイナーさんの言葉が、仕事でつらい思いをしたときに救ってくれましたね。

――TDP時代に一番力を入れたことは何ですか?

技術的な事ではないのですが、心がけとして。デザインは「相手がいる仕事」ということを忘れずに、授業を受けていました。デザインをやりたかった人にとっては、授業自体が愉しく製作等もすごく楽しい作業だと思います。でも、人に届かなければ意味がありません。自分が得たいポジションはアーティストではなく、デザイナーです。例えばデッサン一つでも、上手である事より、伝わることや理解が深まる事。ゆくゆく仕事としてデザインを担っていくときの活路を意識して授業を受けていたことを覚えています。


業界の成熟の一助となるようなテコ入れを

――スタジオカーサとして、今後の展望を聞かせてください。

大命題は存続することです。当たり前かもしれませんが、うちで建てたお客さまの家の面倒をずっとみていかなければなりません。絶対に潰れるわけにはいかないんです。あとは、「住みつなげる良質な家」をしっかり届ける土壌をつくり続けることです。会社としては、年間50棟、このお世話になっている地域に落とし込みたいと考えています。その過程で、豊かな創り手(設計士や現場監督)を、社会に創出していきたいとも思います。

――ご自身としては、今後、何か挑戦したいことはありますか?

個人としては、2拠点生活で農業がやりたいですね。同じ建築業界でずっと頑張ってきたパートナー(夫)が、いずれ農家になりたいと言っているので、その環境づくりに協力したいと思っています。私自身、海の近くに住みたいという想いもありますし。そして人間が創ったものは、自然にインスパイアされているので、創り手として、もっと自然の近くにいたいなとも思っています。

あとは、スタジオカーサの仕事も続けつつ、自分のメディアも持ちたいですね。何を発信するかは決まっていませんが、この業界の成熟の一助となるようなテコ入れを仕掛けていきたいです。スタジオカーサを31歳の頃に設立して、そのときから経営に携わらせていただいてきましたが、それはなかなかない経験だと思っています。ただ、そのときにかなり負荷がかかってしまいました。女性が建築業界で働くことは大変なことが多く、そうした経験がだれかの役に立つフェーズがあってもいいのかなって。

それこそ、何も持たずに建築業界へ来る人たちに、不要な恐怖ではなく正確な実態をお伝えつつも、そうした状況でどのように対応すれば生き残っていけるのか。そうしたことを、いずれ発信できて、昇華されたらいいなと思います。

あとは親の家を建ててあげたいですね。空間に頓着のない両親に、豊かな住空間を感じてもらいたい。社会の最小単位は「家族」です。だから、両親に住みやすい家であることが、どれほど日々の生活を豊かにするかを、一番近くの人に届けたいですね。

――最後にTDPへの入学を検討している方にコメントをお願いします。

本格検討している段階なのであれば、とりあえず入学してみればいいと思います。先を案じたところで、かならず失敗や、恥ずかしく大変な思いはします。そして現時点での先の計算は、今の知識の状態では意味をなさないと思いますし。皆さん言うと思いますが、本当にやりながら考えるしかありません。思い立った時点で、時間軸ではビハインドである事に変わりはありません。

TDP生は、純度の高いキャリアの方よりは、異業種経験もある方が多いと思いますので、その経験を培養し、自分の武器を増やしてみるのはいかがでしょうか。

――野口さん、本日はありがとうございました。



今回のインタビューでは、設計士という職業やキャリアチェンジのきっかけ、「家づくり」に対する想いについて、野口さんに伺いました。

航空業界から建築業界へと、キャリアチェンジを果たした野口さん。そこには、自分のことを深く見つめ、勢いだけではない、芯のある行動がありました。今後も、豊かな暮らしのための家づくりを、野口さんに期待したいですね。

次回も、今まさに現場で活躍しているTDP修了生にお話を伺っていきたいと思います。

◇ Studio CASA(スタジオカーサ)
  Webサイト:https://studiocasa-style.com/
  Instagram:https://www.instagram.com/studio_casa_official/
◇野口妙子さん
  Instagram:https://www.instagram.com/nk___taeco/

[取材・文]岡部悟志(TDP修了生) [写真]前田智広

#デザイン #デザイン学校 #インタビュー