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多面性、東京

この前、根津を歩いていた。

根津というのは谷根千(谷中・根津・千駄木)のエリアの一角で、
東京でもいわゆる「下町」に分類されるところだ。

私は東京に来てもう6年になるが、
案外新宿や渋谷といった、
所謂「The東京」といったエリアにばかり行っていたため、
根津というのは全くの未開拓地領域だった。

しかしいざ足を踏み入れて思ったことは、
「東京にはまだこんな顔があったのか」
ということである。

谷根千エリアには、
正直おしゃれな百貨店やショッピングモールはない。

あるのはこじんまりとしたカフェや
異国情緒の漂う雑貨屋、
一個30円で売っている焼き鳥なんかの
「東京」のイメージとはかけ離れた庶民的なものである。

道で見かけるのは季節の花や野良猫である
(ちなみにこの間通った際は紫陽花が咲いていたが、そろそろ向日葵の花が咲きそうな頃合いになってきている)

しかし、私は一度歩いただけでこの街を気に入った。

ここには、新宿や渋谷などの大都会では感じられない
「生活感」があったからだ。

もちろん、私は新宿や渋谷が嫌いなわけではない。
(むしろその逆で、何か買いたいものがあればすぐに新宿や渋谷の駅ビルに直行し、買い物をするような人間だ)

しかし、東京はそういった刺激的な面だけではなく、
谷根千のエリアにあるような、
ある種の「生活感」や「安心感」も兼ね備えているのである。

私は全くの田舎の出身だったので、
上京前はそれこそ軒を連ねる高級ブランド店や
流行りのスイーツショップや
夜でも明るいネオン街に憧れたりもしたものだが、
刺激にあふれた生活をしていると、
時折ふと疲れてしまうのだ。

特に不満なわけではないが、
たくさんの刺激や派手な光の中で、
自分自身というものを見失ってしまうような感覚になるのである。

今、自分は何を考えているのか
何を感じているのか
どういう人間なのか

そういったことを考える時間が無くなってしまっていたような気がするのだ。

根津を歩いたときに感じたのは、
素直な「良い街だな」という感想だったり、
「夕日がきれいだな」という
私自身の率直な思いであった。

刺激を離れて自分の心に向き合う時間がとれたからこそ、
子供のように素直な感情を味わえたのだと思う。

だからこそ、この街にどこか安心感を私は抱いたのだ。

きらびやかなネオンだったり、
流行りの店だったりという、
都会の刺激は勿論楽しい。

しかし、刺激だらけの毎日の中で
ふと自分自身を見失ってしまいそうなときにこそ、
根津のような安心感のある街は必要なのだと思う。

そして、その両方の面をどちらも兼ね備えているからこそ、
東京という街はこんなにも魅力的なのだと私は思う。
(こんな全く違う顔を見せるエリアが電車で1時間ぐらいで行けるのだというのだから驚きだ)

6年住んだ街にも、まだ私の知らない一面がある。

次はどんな顔を見せてくれるのか。

どんな自分に出会わせてくれるのか。

6年経った今でも日々楽しみでならない。

Written by yuuun


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