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2|藤田 博也|不屈の建築野郎|大野人 in 東京

2019年12月14日(土) 18:00 @ 西荻窪
弟くん(長男)が生まれ、奥さまが里帰り出産中のため、お姉ちゃんをワンオペ子育て中の藤田さん。インタビュー場所に指定されたのは西荻窪の激渋喫茶店。一番奥の席。心地よい音楽で眠りについたお姉ちゃんを起こさぬよう、不屈の男は落ち着いた口調で語ってくれました。

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仕事はマンション、ホテルなどの設計デザイン

株式会社ジャイロ・アーキテクツで、一級建築士としてマンションやホテルなどの建築設計、デザインをやっています。場合によるのですが、コンセプトづくりから、内装外装のデザイン、そして建築基準法に準拠した図面を描く仕事です。まず、デベロッパーさんなどの依頼先から、建築予定の敷地とその他条件を指定されます。ホテルであれば容積率とか建ぺい率、日陰規制や天空率といったルールから、客室数はどれくらいにできるかというように収益計算をします。同じ東京でも、区や地域によってルールが違うことがあるんです。例えば銀座であれば、街並みの景観を揃えるため、建物の高さが31mに規制されていたり。それぞれのルールを確認し、間違いのない図面をつくり、建築確認申請を出します。
いい仕事ができたかどうかは、ただ良い建物ができたという自己満足ではなく、依頼先からの評価がしっかり得られるかどうか、そして次の営業につながるかどうかで決まる仕事です。

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建築における映画監督みたいな仕事

同じ建築士の仕事でも、安藤忠雄さんなどのような一般的にも有名な建築家さんの仕事とも違いますし、昔ながらの大工さんの仕事とも違います。敢えて分かりやすく例えると、近いのは映画監督かもしれません。
一定の納期と予算がある。人も設計担当だけじゃだめで、映画だと撮影監督をはじめとして多くの人が関わりますが、構造とか設備とか意匠とか施工までさまざまな役割の人たちを束ねる必要があります。技術、お金、人間関係など全体のマネジメントをしていく総合組立の仕事です。

人生を変えた世界史資料集

この仕事を選んだ理由は、昔から間取りが好きで、とか、小さいときに近所の大工さんの現場に行ってた、とかではなくて。もしかすると…なんですが、高校の時、歴史の選択科目で世界史をとってたことが影響してるのかも。世界史で、資料集ってあるじゃないですか、それでドイツのケルン大聖堂っていう教会の写真をみて「この空間をつくるって、やばくないか」って思ったんです。資料集は、世界史の勉強のためというよりは、このページのこの写真いいなっていう使い方しかしてなかったです(笑)。それで、大野図書館にいって建築の本を読み漁るようになりました。安藤忠雄さんの本を読んで、こんなふうに旅するのはいいなあって。高校卒業後は1年間大野でキツい浪人生活を送っていたんですが、その間も建築への想いはちゃんと続いていました。もともと飽きっぽい性格だったのに想いが続いていたことで、本当にやりたいんだなって気が付きました。

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実家があったからチャレンジができた

実家は大野の阪谷です。阪谷小、尚徳中、大野高校を出て、1年間大野で浪人の後、滋賀の近江八幡で建築の専門学校に通いました。2年間の学生生活でも建築への想いは強いままだったので、卒業後はフランスに留学しようと決めました。資金を稼ぐため、大野の某コンデンサー工場で、ブラジル人に囲まれて仕事をはじめました。半年くらいで一気にお金を貯め、フランスに渡って語学の勉強を始めた途端、ユーロがものすごく高くなって、一瞬でお金がなくなりました。そこで、また大野に戻り、大野高校の近くの別の工場で半年くらい働いて、今度は東京に出るための資金を貯めました。
そんなこんなで、藤本壮介さんという建築家のアトリエで、無給で働くことになり、東京に引っ越しました。初めて住んだ東京は相模大野でした。神奈川県なので、東京じゃないんですけどね(笑) なにも知らなかったので、家賃安いからいいかなと思ったら、神楽坂にあった事務所までの定期が高くて、乗り換えも何度も必要で。毎日当たり前のように終電まで働いていたので、比較的近くのシェアハウスに入居することに。そしたら、そのシェアハウスの貸主が大家に内緒で又貸しをしていたそうで、急遽夜中に強制移転させられたり(笑)。最終的に最後の半月は、事務所の近所の漫画喫茶に寝泊まりしている状態でした。また、大野に一度帰って、東京の設計事務所の面接を受け、ようやっとちゃんと給料のもらえる建築の仕事に就きました。

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大野での思い出は成人式。の前日の交通事故(泣)

大野の思い出は、最後の浪人時代のことしか覚えてないです(笑)。高校を卒業して都会にでて、お盆にかえってきた同級生がみんなウハウハで話を聞くのがキツかったです。そういうキツい思い出の中でも一番濃い大野での思い出は、成人式の前夜。クルマを運転していたら、友達のお姉ちゃんのクルマに後ろから追突しちゃったんです。幸い、大きな怪我とかはなかったんですが、夜なので実況見分は翌日ということになって。成人式の途中で、友だちに「ちょっと先に出るわ」と言うことに(笑)。

これからやりたいこと|地方での仕事

これからは、東京にマンションとかホテルをつくる仕事だけじゃなく、少しずつでも地方の仕事をやっていきたいと思っています。単純に今の仕事にちょっと飽きてるのかもしれないんですが、「なんでそんなにマンション造るの?」っていう(笑)。某県の県庁の改修へのアイデア出しとか、十年以上かかると思うんですが、まずは種まきをやっていければと思ってます。
地方の無駄に空いてる土地に、意義のあるものを。ただ建物をつくるだけじゃなくて、その町や村が活性化していくというような。まだまだ時間はかかると思いますが、少しずつ。

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これからやりたいこと|二拠点生活?三拠点生活?

実家は自営で設備関係の機器を販売しているのですが、それと関係なく長男なので、跡を継げといわれていました。が、最初に滋賀にでたときから、いつか大野に戻るとは全く持ってませんでした。でも最近、大野に戻るんじゃなくて、大野に通えるようになればいいなあという感覚がでてきました。東京を離れたいわけではないんです。なんやかんや東京のことが好きなので。理想を言えば、東京と大野を一ヶ月交代くらいで。
奥さんとは、もしそういう生活ができるとしても、子供が小学校に入ってからだな、と話しています。最近、下の子が生まれたばかりなので早くても6年後くらい。奥さんの実家は山形県で、奥さんの里帰り出産で何度もいってます。そうすると山形のいいところもいっぱい見えてくるんですよね。東京と大野と山形で三拠点もいいのかも(笑)。
どっちかの実家に完全に移住するというのは難しそうですね(笑)。「(お互いに)実家があるんだから」っていう話になりますね(笑)。両親には、姉妹と話し合って土地とか家をしっかり守るという話はしています。もし姉妹ふたりとも嫁に出るのであれば、ぼくがなんらかの形で土地と家を守る。そういう話をしています。

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これからやりたいこと|東京以外で今の仕事を続けるには。

建築をはじめたばかりの頃は、いつかは独立したいと思っていました。でもいろいろと経験する中、一人で独立するのは厳しそうだと思いはじめました。だから、完全に独立するのではなくて、いつかいまの会社の協力事務所的になる、という道もなくはないなあと考えています。作業はどこでもできるんですが、毎週取引先と打ち合わせを設定することになるので、お客さんがどこにいるかによって、自分のいる場所も左右されます。現状だと、取引先が関東なので東京を離れるのは難しそうなんですよね。

大野との関わり方

いろんな人たちから回り回って、最近、お盆のお祭のときにやってる地酒場大野人など、大野で活動している人たちのことを知りました。それまでは、ただ漠然と、大野ってなにもやってないんだろうなって思い込んでいました。
ずっと建築をやってるので、ものづくりに関わることをやって、大野に貢献できればいいなと思っていました。でも自分一人の力でやるのは面白いのか?というところも含め、一人の力でやれることなんてそんなにない、という点で、いまある流れに乗っかりながら、まずは大野のいろんな人と関わりたいです。それから、本業とのバランスをみて、小さいものでも、プロジェクトを大野でなのか、大野に関わることで、起こせたらいいなと思っています。

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1日の過ごし方(平日)

いまは、奥さんが里帰り出産中なので違うんですが、普段は6:30に起きて、子供のご飯をつくります。朝食を食べて、8:30には家をでて、9:30くらいに出社します。8時台前半のラッシュと比べると楽なのですが、新宿駅で山手線に乗り換えるときは、人が多すぎて乗り切られないので、ホームで1本待ってから乗らなきゃいけないくらい混んでいます。お昼まで仕事して、弁当を会社の仲間で仲良く食べてます。定時は18時なんですが、仕事は底なしです。お迎えがある日は19:30に会社をでて、20:30まで延長保育してもらっている子供を迎えに。お迎えがない日は22時過ぎまで。帰ったら、レモンサワーを一本あけます。一人のときはYouTubeを見ながら、奥さんがいるときは、奥さんの愚痴を聞きながら(笑)。

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1日の過ごし方(休日)

基本的に、上の子どもとお出かけしています。公園行ったり、お買い物行ったり、美術館いったり、散髪一緒にいったり。子どもといるのが楽しいんです。奥さんと一緒が楽しくないってことではないですよ(笑)

大野を出る若者へのメッセージ

「大野を離れたい」という気持ちもいいんですが、「大野を周りから見てみよう」という感覚をもって大野を出るのがいいなと思います。東京への憧れが強すぎると、大野にはこれがないとか、大野のここが嫌、みたいな大野のマイナスな点ばかりに目が行きがちになります。そうじゃなくて、大野のプラス面もみるようにしたほうが、せっかくの大野との関係性をうまく活かせるんじゃないかと思います。メディアの影響を受けすぎないで、大野を端から見てみよーくらいの感覚でいれるといいのかもと思います。

藤田 博也(ふじた ひろや)
1986年生まれ
大野市八町出身
阪谷小→尚徳中→大野高校→建築関係の専門学校→フランス留学→建築家アトリエ、建築設計会社を複数経て→株式会社ジャイロ・アーキテクツ勤務
「大野人 in 東京」では、インタビューにこたえてくださる東京(近郊)に住み働く大野人の方を探しています。世界的、全国的に有名だったり、輝かしい功績をのこしてらっしゃる必要はありません(そういう方も大歓迎です)。


東京912は福井県大野市出身のボランティアメンバーで運営しており、「大野人 in 東京」に出ていただく方々にも無償でインタビューを受けていただいています。が、多少の経費はかかっていたり、年に数回開催するイベントは基本赤字です笑 サポートいただけるようでしたら、大変ありがたいです。