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『モプシーのおはなし』

一緒に暮らしているうさぎの名を、モプシーという。
彼の名前の由来について語るには、私と母の『ピーターラビット』という作品に対する愛と、先代のうさぎ達について寄り道を挟まなければならない。



イギリスの画家、ビアトリクス・ポターが生み出したピーターラビットは、世界で最も有名な架空のうさぎではなかろうか。ビアトリクスの描く動物はかなりリアルさを保っており、骨格や毛流れの細部に至るまで決して嘘がないのに、不思議と可愛らしくキャラクター性が豊かだ。自然の草花も緻密に描かれており、イギリスの美しい自然に対するビアトリクスの愛が感じられる。


ビアトリクスの作品の花形である『ピーターラビットのおはなし』では、わんぱくなうさぎの男の子であるピーターと、その家族の一日が描かれる。ピーターには優しい母と、フロプシー、モプシー、カトンテールという妹たちがいる。

ある日おかあさんが子供達を残して買い物に出かけた。3人の妹たちはいい子なのでおかあさんの言いつけを守って木の実を摘みにいくが、ピーターはいたずらっ子なので「決して入ってはいけない」と言われていた人間の畑へ侵入してしまい、案の定畑の主と命をかけた追いかけっこをする羽目になる、というストーリーだ。

私達母娘はどこか優しい雰囲気を纏ったこの世界観が大好きだった。



いつかうさぎと一緒に暮らしたい、その時はピーターと名付けたい。そんな希望を淡く抱いていた私達家族は今から約9年前、運良く2羽のうさぎを引き取る機会に恵まれる。産まれて2,3ヶ月の小さなうさぎだった。なんの因果か、体毛はイラストで描かれたピーターラビットの色と酷似していた。なんとなくわんぱくでよく食べる方に『ピーター』と名前を付け、もう一方のおとなしい方には『カトンテール』と名付けた。フロプシーとモプシーという名前はなんとなくセットのような気がしたから。カトンテールは日本語発音になっているだけで、本当の意味はcotton-tail(綿毛のようなしっぽ)だ。いい名前だと思う。

残念ながら事情により彼女らとは5年しか一緒に暮らせなかったが、今も元気にしているらしい。




ようやく現在うちに住んでいるモプシーの名前の由来がなんとなく伝わっただろうか。流石に先代うさぎ達の名前は付けられないのでフロプシーかモプシーかで迷って、響きがかわいいモプシーと名付けたのである。彼は普段もぷちゃん、と呼ばれている。



最初は念願のうさぎという動物が家に来たことがただ嬉しくて、人格や個性といったものを認識するまではついつい『うさぎ』と呼んでしまっていた。もはやうさぎが固有名詞なんじゃないかと思うほどそう呼んでしまっていて、意識しないとモプシーと呼べなかったのだが、彼はいつ頃からか明確にもぷちゃんになった。

もぷちゃんは今のところ特定の言葉に反応する様子はない。だから自分の名前だと理解しているのかはかなり怪しいところである。



しかし人間側はそうではない。少なくとも私は明確に、彼に固有の性格や気質みたいなものを感じ取って、ありふれたいち動物としてのうさぎではない、この世でたった一羽のいきものなんだと思うようになった時から自然と彼だけの名前を呼びたくなったのである。そりゃあ世界を見渡せば、飼い主が私と同じことを考えたのち名付けられたモプシーといううさぎがいない事は無いだろう。しかし


ものを齧り壊すのが趣味で
バナナとリンゴが三度の飯より好きで
うさぎのくせに人参は嫌いで
欠伸が控えめで
生まれつき豪胆で
順応力がずば抜けていて
嬉しくなったらとりあえず走ってみるタチで
気になればとりあえず齧るタチで
ほとんど怒らないのんきなタチで
うんこする表情がわかりやすくて
本当に人懐こくて
甘えんぼうで


こんなにも愛しい モプシーは広い世界を見渡しても彼一人しかいない。




名前は人を造らない。
それでも、人が歩んだ人生の足跡にそっと名前は残る。
名前に意味を与えるのは、その人自身が何をしたか。


その人が名前という概念を知らなくても、誰かが一緒に意味を与えていくことはきっとできるはずだ。





それがもし、人でないとしても。

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