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この国を滅ぼす、高齢者たちへ。

全く胸糞の悪いニュースである。

事件を見た訳でもなければ、仔細を記事以上には知らない為、小学生男子の行動にも幾らかの落ち度があったのかも知れないが、犯した事は轢き逃げである。一方的にどころか絶対的に悪い。
11歳の子どもが怪我をしたのだ。運転者が自分であろうがなかろうが直ちに手当をするのが大人の務めであろう。それを逃走だとは、愕然として二の句が継げない。

人間は他の生物とは違い、凡ゆる財産を先人から受け継ぎ、そして孫子の世代へと受け渡していく生物である。故に古来より子々孫々の繁栄を願い続けて来たのだ。
この国の高齢者はいつの間にこんなにも醜くなってしまったのであろうか。

無論、高尚な精神性を持った老人も多数居るであろうが、昨今は、高齢者の精神性の凋落が目に余る事案が幾ら何でも多過ぎる。
私とて近々百歳を迎えようという女性を祖母に持っており、当然敬老の念はある。彼女が一年でも永く生き天寿を全うしてくれることを切に望んでおり、高齢者そのものを侮辱する気はまるでないが、本件の様に反吐が出る事件は実際後を絶たない。

小学校の校庭や、公園での子ども達が五月蝿いと苦情を出す高齢者。席を譲って欲しいと頼むでなく、何故譲ろうとしないと激昂する高齢者。高齢者への政策の充実を尺度に投票する高齢者。母子を轢き殺した高齢者。怪我を負わせて手当しないどころか逃走する高齢者。
誠や誉を重んじた武士達が見たら卒倒するであろうし、七世代先への影響を考えて生きた先住民達が見たら最早同じ種類の生物には見えないかも知れない。

「高齢者への福祉に貴重な税金を使わないでくれ、それよりも妊婦さんが安心して子どもが産める環境を、子ども達が自然と触れ合い健やかに育てる社会を作って欲しい。」
こうした考えを持った老人がどれだけ居ることだろうか。

もう四十路近く、十分な収入のある私に対しても、帰省する度に少ない年金から小遣いを渡そうとする祖母を持った私は幸福であろう。
私が高齢者と呼ばれる年齢まで生きた頃には、妊婦に席を譲れる高齢者になっていたいと願うばかりだ。

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