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 月を射つ


 中国文学十二話 奥野信太郎 NHKブックス
 表紙は曹操

 *  時は来た


1.
「けだし文章(文学の意味)は経国の大業にして、不朽の盛事なり」

 曹操そうそう (曹孟徳そうもうとく)の亡きあとで、魏の初代皇帝曹丕そうひはこう語った。
“ 文学は国家を秩序づける大業であり、作者の死後も永遠にのこる偉業である “

唐以前の戦国の時代にあって、父親の曹操とともに兄弟である曹丕と曹植そうしょくがあらわれ、初めて作者の名を持つ個性ある詩人が登場した。


 初めて曹操を意識したのは毛沢東の言葉からだった、何かあるごとに曹操の言葉を引きあいに出していて、あれっと感じていた。
マンガや小説を読んでも常に悪者扱いなのにおかしいな、そこで曹操を知っていくうちに最も中国人の誇れる偉人像が伝わってきた。
今もむかしも風林火山の語で有名な『孫子』の注釈者で第一番で参照され、中国詩のアンソロジーに載せられないことはなく、優れた学者でありながら詩人でもあった。

三国志演義の中での真の主人公であり、奸雄に仕立てられ、メインの劉備玄徳や関羽、張飛、諸葛孔明が総出で立ち向かっているかのようだった。
それなのに敵方の曹操が魅力的に見えるのは皮肉だった。



 文人は遠きにありて思うもの、政治家は近きにありて思うもの。

作家の本を読んでいいな、すごいなと感じていたら、じっさい目の前で作家を見たら案外そうでもなく、文学予備軍たちからも察しられ、いっぽう批判されるのが当たり前の政治家は、身近で出会って見ると意外に好ましく、政治活動している若い人もさっぱりして好感持てる人が多かった。
人物で惹きつけられないから文章を求めるのか、はたまた近くにあって人物の魅力で同志を求めるのか。

月に吠える者は
孤独な私の感情を聞いてもらいたくて、ともに愁いを持つ人と享受したいと願い、
またいっぽうで月に叫ぶ声は、
反抗の狼煙をあげるかのごとく、ともに闘う同志を呼びかけ、
満月の夜は、なぜか体がウヅク女性にも惹きつけあうものがあった。


2.   寿命の長さは、天だけが決めるものではない

 それにしても争いの中に身を置くのはせわしなくて、ひとり酒を飲み人生を噛みしめたくなるのは自然のあり方だった。


“ 歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古きよしみをつなぐに足るのはの酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたってさかずきだけは残るよ!”
  (小川亮作訳 岩波文庫)

11世紀ペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤームは、四行詩集『ルバイヤート』で歌い、

“ 青春とは、なんと美しいものか
とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者は、さあ、すぐに
たしかな明日は、ないのだから ”

イタリアルネサンスのメディチ家のロレンツォは、たぶんイタリア産の白ワインでも飲んで語りあい、塩野七生さんも天真爛漫に訳していた。

いっぽう日本では
戦乱が続くの世の中で生まれた一休さん。
天皇の子と噂されて、西太后やデヴィ夫人がはびこる魑魅魍魎の宮廷の中では、あまりにも母親は心優しくていられなくなり追い出され、質素な暮らし。
世は戦国時代が始まろうとして悲惨な状態、ひとイチバイ感受性が強く賢い一休さん、内も外もまったくピンチ。
禅寺に入っても俗物な人ばかりが出世して、やりきれない一休さん、たびたび自殺をやっても死にきれなかった。
悲しくて悲しくて虚しい気持ちだけがこみあげてきて、なんでやと、ユダヤ人やアメリカ人にはとても信じられないほど清貧な暮らしの中で、自分じしんを追いつめて修行していった。
『狂雲集』を読むと、こんなガサツなボクでもせつなさがいっぱい。


 こんな感じで
時代も所も変わって、さまざまの分野で名を残した偉大な三人も思いは同じだった。

「でも」
同じ景色を見ても人により変わり、気持ちも変わり、能力も器量もちがう。

三者よりも遠い以前、
曹操の生きた、中国の後漢の末期。
世の中乱れて治安悪く、見るもの聞くもの荒れ放題、父母は殺され、兄弟姉妹は路頭に迷い、犬猫ばかりでなく死体も道端に置きざりにされ腐臭ただよい、夜盗山賊のオンパレード。
これではいけないと思いながら、人々は虚しくこぶしを握るのが精いっぱいだった。

行動したら批判され、行動しなければ冷ややかな人間の社会。
( 迷ったら、前に行く、と子供の頃、母親から怒られちゃったことを今ふと思いだした )

そんな曹操も、ひとり思いに沈むこともあった。

酒に対し歌に当たる
人生 幾何いくばく
たとえば朝露ちょうろの如し
去りし日ははなはだ多し

( 酒を前に、さあ歌わん。
人の命はいかほどもない。
それはたとえば朝の露。
過ぎゆきし日々の多さよ。)

 「短歌行たんかこう」 曹操 川合康三編訳 以下同訳


時はそのとき、日本では卑弥呼の時代。
中国でも世の中は乱れに乱れ、皇帝の力で統制ができなかった。
そんなとき、優れた学者であり、詩人でもあった曹操は、それより何より、英雄であった。

 人生の束の間を愁い

步出夏門行ほしゅつかもんこう」 曹操作

神亀 しんき 寿じゅなりといえど
くる時有り
勝蛇 とうじゃ 霧に乗るも
ついには土灰どかいと為る

( めでたき亀は長命を誇るとも、
命の尽きる時は来る。
天翔あまがける龍は霧に乗り飛翔するも、
ついには土塊つちくれに帰す。)

 運命の悲哀を感じて

老驥ろうき れきふくするも
こころざしは千里に在り
烈士れっし暮年ぼねん
壮心そうしん まず

( 老いたる名馬はうまやに伏す身となろうと、
その意気は千里を駆け巡る。   
老境を迎えた丈夫ますらおの、
たけきき心は衰えない。)

 それでも、人は天から定められたものでなく、自分で運命を切り開いて行くことを願った。

盈縮えいしゅく
だ天に在るのみならず
養怡よういふく
永年えいねん得可うべ

( 寿命の長さは、
天だけが決めるものではない。
身と心を磨いて得られるさちは、
長寿も引き寄せられるのだ。)


 月明らかに星まれにして、烏鵲 うじゃく南に飛ぶとは、此れ 曹孟徳そうもうとくの詩に非ずや。···· 酒を醸して江に臨み、ほこを横たえて詩を賦す。まことに一世の英雄なり。
 北宋・蘇軾「赤壁の賦」


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