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 違いが分かる作家はハードボイルドだど②

 考えてみれば、
初めて日本の文庫本の小説を読んだとき、
解説を読んで初めてこんな内容だったのかと経験しても、
いつしか解説なしでも内容が分かりはじめ、
しばらくすると解説読んで、いや違うな、などとえらそうに言うじぶん自身がいる

新聞雑誌も最初分からなくても、
そのうち慣れて辞書引かなくても分からない言葉でもなんとなく類推できて、文章内容がわかっていくようなものです
習うより慣れろ、という古い言葉はやっぱりこの点では有効ですね

日本語も外国語も同じ言葉
日ごろ周辺で親しみがないから、
とっつきにくいけど付き合ったらいいこともあるし、ダメだったらあきらめるしかない
人間と同じで、
気が合わないのに無理する必要がないし、仕事で必要ならそれなりに、

じっさい
読書が好きで言葉を読んでいるのに、
外国語、自国の古い言葉をどれも苦手だと言っても、興味がなく関心がないというのは現在使っている言葉も分かるはずがない

でも外国語が苦手なひとでも
古文が好きなすぐれた作家が多い
どうも外国語好きか古文好きに分かれるようですね
共時的とか通時的に思いを込めて


他国を見て日本人であることを意識し、
若い人を見て大人を感じ、
故郷は遠きにありて思い、
若い頃を振り返って、いまのじぶんを意識するように

英語が苦手だから外国語が苦手でなく、
さっき言ったように言葉で書いてある文章が好きであるのにどの外国語も苦手ということはあり得なく、必ずじぶんに気持ちよくフィットする外国語があります

( お酒が好きなのに、ビールも日本酒、ワイン、ウイスキーも気に入ったものがないとか、女性が好きなのに好きな女性がいないとかいう、でもこの例えは当たっているのかどうか疑問だ )

だから英語にそんなに関心や、仕事に関係なかったら
英語は義務教育でせっかくやったので、参考程度して早く切りあげて
遅くてもじぶんに合って、心地いいメインの外国語を見つけるのが精神的にも解放されて健康にいいだろう

マイナーでも好きな外国語を見つければ熱中できて、
才能があるから好きなわけでなく、好きなのは才能である

という言葉があるように
いつしかその外国語のオーソリティになれて
じっさいアラビアのロレンスと言われたT.E.ロレンスは、考古学のためアラビア語に通じていて、当時アラビア語をわかる人が少なかったイギリス人として活躍し、歴史に名前を残すことになった


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 話は変わって、
ギリシア古典文献学の研究から始めてヨーロッパ文明の価値観をひっくり返すことを試みたニーチェは数学がとても苦手だった、
そのいっぽうアインシュタインは数学がめっぽう好きで得意だったのに人一倍歴史とか暗記ものが弱く、落ちこぼれ生徒だった

そのニーチェに熱中したヒットラーを嫌って、数学を用いてバートランド・ラッセルが分析哲学を始めたのは有名な話で、じつは卑近な話で申しわけないけど、ボクにも似たような話があります

大学は理系志望だったので高校のときは、毎日物理学の勉強ばかりしていた記憶があって、ひまなときもサイエンスブックみたいな読み物を読んでいた
だからまわりの友達も理系頭が多くて、バイクとか機械いじりが好きなやつが多かった
初めて見るオーディオもフンフンと言って、楽しそうに点検するのに国語や歴史がとても苦手なやつが多く、中には赤点のやつもいた

数学や物理をやりすぎたのか飽きたのか、本当にボクは理系にあってもいるのかと思春期が訪れて、人より遅れて入学した先はなぜかまったく違う法学部だった

じつは驚いたのはこれからで、
サークルもいままでの体育会系だったのを代えて、文系サークルに入った
部員も今まで出会ったことがないような人物や雰囲気で、外国語学部や文学部の人ばかり、体育会系のガサツさもなく、理系のスッキリ感もなかった


ボクはこんなところにお邪魔していいのかな、コホンコホンと可愛くせき込んでもみました
驚いたと言ったのは、しばらくしてある英文科の女性がつぶやいた言葉だった
「あたし、数字をみたらクラクラしちゃう」

コレ聞いて、おもわず笑っちゃうというか、ショックでした
いままで逆パターンで歴史や英語が嫌いでクラクラするやつばかりを見ていたので、笑っちゃうほど驚きましたね

ほんと、体育会系とは逆の文化系の好きな人がいて、理系には文系があわない人もいる
チョコレートが好きだから誰でもが好きなわけでもなく、トマトが嫌いだから誰でも嫌いというわけでもなかった


 左があと3分の1ばかりで読み残している、アレクサンドル・デュマ•ペールの「王妃マルゴ」 
右がチャールズ•ブコウスキー「パルプ」の仏訳

Pulp 1994 ブコウスキー

表紙画像と冒頭シーンに出てくる、
セリーヌ( フランスの作家 )は生きているよ、

というフレーズを読んで引き込まれ、すぐさま買って読んだ思い出がある。
これに触発されて、三島由紀夫はまだ生きているよ、というような文章を書いたことがあった。
パルプはむかしアメリカの探偵小説が安いパルプ紙を使ったところから来ているようで、以前パルプ•フィクションという映画もあった。
ほどなくして日本語訳の文庫本新刊が出た。
翻訳大国の日本にしては遅いなと思って手に取ってパラパラと読んだ、なんだか文章がさっぱりしていて、ナンダカなと感じた。
中川五郎さんの歯切れのいい翻訳でブコウスキーの名を初めて知っていたので、訳者も代わると文章も違って見えた。
( 単行本訳は先に出ているようだった )


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