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 水を噴射するノズルと諸外国のみなさん


 サワディーカップ。
タイにご旅行なさった人はお気づきでしょう。
ホテルのトイレには、便器のそばに水を噴射するノズルみたいなものが備えてあります。初めて見たとき、これはいったい、何のためなんだ。
せっかく近くあるので、ひまもあることだし、とりあえずトイレのまわりを水洗いしていました。
でもなんだか変だな。

あとで使用目的を聞いて、ビックリ。
お尻の穴に噴射するんだって、うそ、信じられない。
注射、ピウッピウッでもなくて、ウオシュレット、ぴうーっでもなく、激噴射、ビユーッて感じで、お尻の穴が壊れそう。

これをタイのみなさんは、小さい頃から、おやりになるようで、ふと美しいタイ女性や女子高生を見るたびに、そうなんだと述懐しておりました。

ツラの顔が厚い人と聞いても、お尻の穴もなんて。オカマだからいいっていうもんでもなくて、そうか、だからタイにはニューハーフが多いんだ。

うーん、どうやって、オチをつけたらいいんだろう。


 天にいます創造主がわれわれを創造したものならば、われわれも真似して、創造したがるのは自然な人のあり方です

ラーメンやカレーは本来のものではない、本場ではない、
漢字はもともと日本の漢字でない、と言いはる人がいます
そんなことも言われても


 昔から、家柄とか偏差値の高い学校、名門、それからハンサムや美人でひとめを引いてデビューして、
がんばってきた両親や先輩たちに恥じないように自分の励みにしても、両親や先輩たちを盾にいばるのはどうかな

また国外でも、現在の覇権を握っているような、政府いち押しの国の姿はなにか優れて見えて、常に大衆の憧れの対象
そんな姿を見て、そんな国にすがって、例えばアメリカ・ヨーロッパの言語文化をひと節しゃべって得意たがるのも、ふつうの人の自然な姿です

でも、
その欧米の文化を吸収しても吸収されないようにしたいものです、ちやほやされ、その中で踊っている本人たちは、みんなから羨ましがられているなんて、そんな勘ちがいをしているようです

自然風土もちがい、生まれ育った環境も人もちがう
いくら向こうがかっこよくいいからって、いいものを吸収したら、われわれの自然風土の中で闘ってほしい

弾圧されて仕方なく亡命しても、
本国でレジスタンスする国があったり、戦前の日本でも何かと言いがかりをつけられ、刑務所に入れられてもがんばっている人もいました
作家や画家で留学しても、日本の風土に適した文学・芸術を育ててきました、決して媚びてはいませんでした、むやみにカタカナ英語や模写しているような絵ばかりではありませんでした

 たとえば
ケンカしたり闘っているとき、こちらも怖いけど相手も怖いものです

世の中を仕切っている社会はなんだか分別くさく大人みたいで、がんこ親父そのものでどうしようもなく、
若い人は相手されないように感じても、世の中の社会や、文学・芸術の重鎮たちもガンガンぶつかってくる若い人には弱い

自分たちも昔はそうだった、いまの自分は偉くなったけど、もう古くなっているんじゃないだろうか、とたぶん述懐しがちです
誰も入門したときから、横綱にはなれません

そんな闘ってきた人たちの歴史の上に、現在のわれわれ日本文化が育まれているんじゃないだろうか

諸外国のいいところを吸収して、たち向かって行かなくても、日本人ならかかってこいや、と言いたいですね





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