「短編コント」 古葉野次の青春の日
1.
まだ午後5時だというのにもうすっかり窓から見える空は暗くなり、伊藤園の抹茶入りこぶ茶をズズッとすする古葉野次秀雄にも晩秋が訪れていた
いまではすっかり人気文芸評論家になり、「考えないヒント」がベストセラーになって生活も楽になったものの、以前は家庭を持つ身で、朝起きたらいつもどうやって食べていこうか、そのことばかりを考えていたものだった
読んでいた愛読書「古今東西之古事記伝」をふと横に置いて、窓の外を眺めながら、おもわずつぶやくのだった
おれにも一度は、人生とは何かを考えていたときがあった
そんな若いころの古葉野次は、人一倍血気盛んでケンカ早くて、それにクラスでも一番の成績だったので、誰もかなう奴はいないと自負し、じっさい大学生のときも授業にも出ないで、図書館の本をほとんど読みつくすほどだった
教授から呼び出されて、問答をしていたら、これなら授業に出なくていいといわれたそうだ
(以前にもイギリスのオックスフォード大学でも同じような学生がいて、大学の図書館の本を昼夜寝ないほどにほとんど読みつくして、教授からそれなら授業に出なくてもいいといわれたほどだったらしい。考古学者でのち英国情報部員となったT.E.ロレンス(通称アラビアのロレンス)という男で、チェ•ゲバラを思わせる不屈の精神と強靱な肉体も持ち合わせていた)
そんなわけで文芸評論を始めてからも、古葉野次は若いときにありがちな、誰かまわず討論を持ちかけ論破していくのだった
そしてまた神保町の古本で詩人のランボーに出会ってから、もう人生とは何か、人生はもう見つけた、見者となったと豪語した
また生活を変革するともいった
誰もおれに、いい負かす奴なんていない
おれは、えらいんだぞと思っていた
若さの特権だった
2.
そんなある日、西のほう京都文壇から、古葉野次を揶揄する言葉が聞こえてきた
あんなのカラ文学だね、つれない悲しみに今日も空から大雪が降り積もるって感じかな
それを伝え聞いた古葉野次、いても立っていられず、列車に乗りこんで京都に向かった
どうも、むかしから奴らとは気があわなかったんだ、特に背後で仕切っている京大学派とは一度対決しなければいけないと思っていた
そこでちょうどいい機会で、総帥の西田鬼太郎に会おうと思ったのだ
あいつをゲゲゲの、こてんパアにしてやる、
そう思うと、おもわずフフフと笑みが浮かんでくるのだった
そんなこんなで京都まで乗りこんで駅に着いたものの、西田鬼太郎の家は郊外にあり、タクシーで行くほど人気小説家でもないし、生活もそこそこのしがない文芸評論家、バスに揺られて行くのでした
じつはバス•ストップに着いてからも、しばらく歩いて行かなけばならない所にあった
もうほんと優雅な生活しやがって、もしかしてほんとに墓場の中に家があるんじゃないのか、誰も近づけないように
ふうふういいながら歩いていると、前方に昔ながらのだんご屋さんが見えたので、そこでひと息ついて休んだ
しばらく落ち着いて、伊藤園のこぶ茶はおいしいなあ、京都のだんごはどうかな、江戸とはやっぱり違いはあるのかなあ、なんて思っていると、店のオバちゃんがもう一杯お茶はいかがですか、と声をかけてきた
「東京から来なさったとですか、何しに来なさったと」 (なに弁や)
「ええ、少しばかり学問について」
「すごかですね、そんならちょっとばかり質問があるんじゃけど、もし答えられたら、だんご代タダにしますわ」
「えっうそ、ラッキー、でどんな質問ですか」
「お釈迦様が人は輪廻転生しているといっているらしく、過去、現在、未来のそれぞれにあるらしいです。それならわたしの心がそれぞれのどこかにあるとき、過去、現在、未来のどこに、わたしの心は置いていけないんですか」
そういわれて、うーんとうなずいて口ごもり、返す言葉が見つからず、みすみすだんご代を払ってしまった
アヴェロエス (アラビア名 イブン・ルシュド)(أبو الوليد محمد بن أحمد بن رشدabū al-walīd muḥammad ibn ʾaḥmad ibn rušd)
3.
やっと鬼太郎家に着いたと思ったら、誰もいない
しようがないな
「ここにこわい鬼が住んでいると思ったら、ここにはいないのか」と、大声を出した
「ここに居るわい」と、後ろの障子を開けて鬼太郎さんがあらわれてきた
古葉野次は連絡はしていたものの、ぶしつけな訪問に少しばかり頭を下げた
それから案内された部屋で訪問理由を告げ、また途中出あっただんご屋のオバちゃんの問いに、的確な答えを出せなかったことも話したのだった
そうですか、と鬼太郎さんはいい、また夜も遅くなったので今夜は離れの部屋でお休みください、と労をねぎらった
古葉野次は恐縮して、お言葉に甘えますと答えた
離れの部屋に行くときに、二人は家の玄関先に立った
なにげなく鬼太郎さんが今どき珍しいランプの火を掲げ、もう暗いからこれをお持ちくださいと、古葉野次にいって渡した
そのときだった
ふっとランプの火が消えた
鬼太郎さんがランプに近づいて、何を思ったのか、火を吹き消したのだ
アッ、
するとあたり一帯がまっ暗、何も見えない
昼間ほど明るくなくても、火が消えるまでまわりは明るく輝いていた
外は見えていた
後年、このささいな一件を振りかえって、このときから古葉野次はじぶんの何かが変わったように思えた
確かに変わったようだった
それまでのものの考え方が変わった
いままで先人偉人の思想とか芸術、
たとえばモーツァルトとかドストエフスキー、ベルグソンなどの優れたものを追いかけていればいい、
お手本あるいは盗むものがあればいいと思っていた
あのときランプの火が消えたとき、おれは何かを見つけた
外がまっ暗になって見えなくなったときに、内が見えてきて、
内にパアっと灯りがともった
お手本となるものが見えなくなったとき、
おれは何かから解き放たれ、
内なるおれ自身が見えてきた
ほんとうの見者になったのだ
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