榎本其角をよむ、役者
以前、本屋に入って雑誌を読んでいたら、興味深かったので、おもわず読み進めていった
ある日、映画関係者らしい雑誌記事の筆者が下町の蕎麦屋に入ったら、日ごろ親しい役者さんがひとりテーブルに座っていた
「おひさしぶりです」
「おう、元気」
少しお酒も入って、ほろ酔い気分そうだった
そこで筆者の人は、一緒に相席させてもらうことになった、テーブルの上には蕎麦の横に、台本と一冊の俳句の本
いばらく歓談していて、ふと俳句の本に目がいった
「俳句、興味あるんですか」
「ふふふっ、僕ね、俳句が好きなんだよ、榎本其角といって江戸期の人なんだ、役者で食べていけなくなったら俳句の本でも出そうと思ってね、ふふふっ」
そんな微笑ましい文学談話には粋があって、とても楽しそうだった
成田三樹夫と呼ばれていた役者さんはテレビや仁義なき戦いなどの映画で、個性あるわき役の人だなとボクは知っていた
このささいな記事を読んで、うん、なかなかだな
それで雑誌の中でこの人の名が出てきたら、なんとなく気になっていた、載っている略歴ではやっぱりかなりのインテリだった
東京大学理科一類を中退して帰郷、
山形大学英文学科に入学するもほどなく中退して上京し、
俳優座に入る
簡単な履歴から、上昇志向、虚しさ、親孝行したい、挫折感が読み取られ、青年期の試行錯誤を乗り切ってきたことがうかがわれた
その後いろんな役をやるのに、けっして無駄になっていなかったようだ
ひと皮むけて帰ってきたシェイクスピアみたいだ、そう評したら、たぶん、
君、大げさだよ、ふふふっ、うれしいけどね
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榎本其角( あるいは宝井其角 )と忠臣蔵
其角の句にはこんなものがあります
白魚をふるひ寄せたる四つ手かな
渡し舟武士は唯のる彼岸哉
麦飯や母にたかせて仏生会
饅頭で人をたづねよ山ざくら
涼しさや帆に船頭のちらしがみ
身にからむ単羽織もうき世哉
夕すずみよくぞ男に生れけり
霜の鶴土にふとんも被されず
以前に明智光秀の本能寺の変に際して、決意のほどをほのめかすような連歌の歌合いについて述べてたことがありました
( 短編、ゼロ度の覇権 明智十兵衛光慶「国々は猶 のどかなるころ」2024、3、11付き、見てね )
じつは榎本其角にも似たような実話がありました、
時は元禄15年(1703年)12月14日、赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った事件、その中のひとり、大高源吾と面識があった其角は、討ち入りのまえに歌をかわしていたのです
年の瀬や 水の流れと 人の身は 其角
あした待たるる その宝船 源吾
志麻姐さん、何言うてまんにゃ、怒りますよ
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