生きること死ぬこと。〜死から学ぶ関わりの大切さ〜
生きること死ぬこと。
今日はこんなテーマです。
僕は4年目の理学療法士。年齢は25歳です。
こんな若造に何がわかるのか?
と思われるかもしれない。
というか、僕ならそう思う。笑
しかし、リハビリの現場ではたくさんの
患者さんが亡くなっていく。
他の人よりも死を経験することは多い。
今日はそんな体験から学んだ死生観について書いていこうと思います。
僕の前職は病院勤務でした。
病院には色々なタイプがありますが
働いていた病院には療養病棟がありました。
療養病棟は病状は落ち着いているが
長期的に療養が必要となる方々がいます。
簡単にいうと介護型の病棟です。
ここには、認知症がある方、胃瘻、経鼻栄養の方、両手に手袋して物を掴まないようにされている方。色んな方々がいました。
そんな中、1年で5人くらいの担当患者さんが亡くなっていきました。
この5人の中でも、自分の中での悲しみの度合いが違うことに気づきました。
同じ「ヒト」が死ぬのになんで違うのだろうか。
正直、この亡くなっていった担当患者達は理学療法士と担当患者さんという関係性が強かったように思います。
つまり、仕事として関わってました。
もちろん、亡くなれた時にはもう少し良い技術、サービス、声かけを提供出来たのではないだろうかという反省はします。
しかし、テレビで毎日のように誰かが亡くなっているという放送をされています。
なんか、そんな感じでした。
遠くの誰かが亡くなり、自分ごとのように僕は感じることができませんでした。
冷たい人間に思われるかもしれませんが正直なところ、僕はこんな人間です。
ある日、担当患者さんではない方でしたが亡くなられました。
この人に関しては本当に悲しくなりました。
僕は、病院の前にはデイサービスに勤めていたのですがそこの利用者さんでした。
体調を崩されて病院に入院されてました。
デイサービスの時に、色んな物を一緒に作ったり、お祭りにも行きました。
理学療法士としてではなく、
橋本康太としての1人のヒトとして
関わり、毎日楽しく過ごさせて頂きました。
僕自身、日々学ばさせてもらい、自分で言うのもなんですがご家族さんとも良い関係を築かせてもらってました。
その人が亡くなった時は、
今までの担当患者さんとは全く違う感情でした。
本当につらくて、寂しくて、
亡くなった後、ご家族さんとお話していたら自然と涙まで出てきました。
何が他の5人の担当患者さんと違うのだろうかと考えてみました。
「亡くなった時の感情=関わりの時間×関わりの濃度」
感情は嬉しい、悲しみ、怒り、安堵感などいろんな種類があると思います。
どんな感情であれ、その時の感情の大きさは時間と濃度で決まるのではないかと思います。
物凄くしんどい介護をしていた方はホッとしたという安堵感があるかもしれません。
生前、仲が非常に悪い方でしたら、もしかすると嬉しい?という
死とは相反する感情が出てくるかもしれません。
死というのは敬遠されがちです。しかし死にも役割があると思っています。
良い死に様を見せることで生きている人たちにどんな生き方をしていくか
考えることができるのではないでしょうか。
「どう死ぬかを考えることはどう生きていくかを考えること」
「生と死」遠いようで近い存在で背中合わせのような関係性。
僕は中学生の時、自転車で家に帰りながら、
自分の葬式がどんな感じなのか想像したことがあります。
たくさんの人に来てもらって泣いたり、笑ったりしていました。
こんな葬式にするためには、きっと生きている間に
たくさんの人に会って、たくさんの人に影響を与えないと
いけないのかなーって思います。
いきなり大きなことはできないと思うので
今、会う人とちゃんと向き合い、良い関わりをしていきたいです!
〜生きること死ぬこと〜
これは僕も所属しているオンラインコミュニティ、アースの企画でもあります。
このテーマで各々が感じていることを書いています。同じテーマでも
育って来た環境、今いる状況によって捉え方が変わってきて、
勉強になると思うので是非、ご覧になってください。
○紹介記事○
特養にPTとして配属されましたが、どういった関わりをPTとしていけば良いか再考した記事になっています!介護業務から見えてきたものを書いています!!
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