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雨が降ったら、君と



シトシトと降り続く雨のなか、思い出した古傷が少しだけ痛む


雨は嫌い


濡れて冷える肩が重く濁った空が人を不快にさせることはあっても、愉快な気持ちにさせることはないような気がする
現にさっき駅を出たところで傘がぶつかった誰かには「チッ」っと舌打ちをされた

子どもの頃は背負ったランドセルがびしょびしょになっても傘すらささず笑いながら帰ってたのに
いつからかそれは『悪いこと』なのだという認識になって、雨に濡れるのが怖くなった

だから雨が嫌い
でも同時にどこかで安心してる私もいる


東京の、せわしない人ごみの中で雨が降れば
人はもっと急ぎ足で目的地へ向かおうと周りを見なくなる
この雑踏の中で例えば誰かが傘を持たずに1時間でも2時間でもそこに佇んでいたとしても
きっとみんな気づかずに、あるいは気づいていても雨のせいで知らんぷりをしていく

安心する
誰にも見つからないから

私のちっぽけな身体は、大きな大きな雨のベールに隠されてくすんだ東京の背景になる
雑居ビルの壁の一部になる


だから今でも思う、あの日も雨ならよかったのに




あの日、朝のニュースで東京都の梅雨入りが発表された日
私は3年付き合った彼氏から『大事な話があるんだ、今日会えないかな』と連絡を受けていつもより丁寧に支度をして仕事に出かけた

待ち合わせは19:00に駅前

早めに帰れるよう仕事を片付けて、約束の5分前にその場所についた私は到着したことを連絡して
彼が来るのを待った
梅雨入りのニュースがあったのに雨が降らないなんてラッキーだと思いながら

それから2時間
待てど暮らせど彼が現れることはなくて
ようやく連絡があったのは21:00を過ぎてから
LINEには『ごめん、別れてほしい』
その一言だけが書かれてた




意味が分からなかった
大事な話があるから会いたいと連絡してきたその日に、まさかたった一言で別れを告げられるなんてそんなこと
誰だって予想するはずない
どんな話かは分からないけど悪い話だなんて
あの時の私はこれっぽっちも思っていなくて

きっとなにかの間違いとか、なんならサプライズで驚かそうとしてるんだとか
そう思ってすぐにかけた電話は繋がらずLINEは永遠に未読のまま
結局彼と二度と会うことはなかった


惨めだった
あまりにも惨めだった


浮ついた気持ちでいつもより時間をかけながらしたメイクも
彼の好みに合わせて選んだワンピースも
綺麗に巻けた髪もおろしたてのパンプスも全部

全部全部惨めで悔しかった

あとになって人づてに聞いたことは
私と付き合うよりも前から彼女がいたこと
その彼女は私なんかよりよっぽど美人で賢くて
どういうわけか私とは真逆のタイプだったこと
その彼女と近く結婚する予定だったこと

あの日 私はたくさんの人が行き交う駅前で
惨めさと悲しさに耐えきれず夜に紛れてひとり、限界まで泣いた

梅雨入りの発表にも関わらず雨が降らなかったことをラッキーだと思っていた自分すら悔しくて
雨さえ降っていれば涙も全部隠せるのに
誰も彼もが2、3度振り返って、決して声をかけることはなく通り過ぎていった





ふとそんなことを思い出して、胸が少し痛くなった22:00

突然の強い雨に降られて、シャッターの閉まったお店の軒先まで避難してきた


「...嫌なこと思い出しちゃったなぁ」

だから雨の日は本当に嫌いなのに
駅までは距離があるし風も強いから急いで走ったとしてもかなり濡れる
かといって隣にはずぶ濡れのまましゃがみこんでる人がいて、このまま止むのを待つには気まずい


「...仕方ないか」


小さく呟き、濡れるのは諦めて駅まで走ろう
そう決めてかばんをギュッっと抱えた時

『おねえさん、駅まで走るの?』

ふいに隣から飛んでくる声

「え、あ、私...?」
『そう、駅まで走るの?』
「まあ...雨が止まないので...」
『おっけー!じゃあ走ろ!』

途端、強い力で右腕を引っ張られ答え終わらないうちに走り出す
横殴りの風に乗った雨粒は容赦なく私たち叩きのめす

「ねえ!どうしてそんな急に走るの!」
『なにー!』
「なんで走ってるの!」
『だって楽しいでしょー!』
「意味わかんない!」
『考えなくていいよ走ろ!』

ほんとに意味が分からない
知りもしない他人に手を引かれて
どうしてこの雨の中を2人で走っているのか

でも顔も服も靴も全部びしゃびしゃになりながら
ランドセルを背負ってたあの頃、傘もささずに走って帰ったのは楽しかったからなんだって

なにもかもがどうでもよくなるくらい
とにかく走って走ってたくさんの人を追い越して笑いながら雨のなかを駆け抜けた



そうやって駅についた頃
雨はだいぶ弱まって、これなら待てばよかったのかもと思いながら
いらないもの全部を捨ててきたような気持ちでスッキリしていた

『わ、ごめん雨弱くなってる』
「ほんとだよ。急に引っ張るし」
『ごめんなさい、つい』
「まあでもいいや、楽しかったし。ありがと」
『うん』
「じゃあ私帰るから」
『うん、ばいばい』


名前は聞かない
普通に失礼な人だとは思うけれど
たぶん、きっと今は、知らない方がいいような気がするから

その代わりに去っていく彼の背中に声をかける





「ねえ、君」
「またいつか会おうよ」
「雨が降ったら」
「あの場所で」




















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