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憲法9条をめぐる対立点の整理(1)

憲法9条の意味については、3つあります。
1 戦争(侵略戦争)と「武力」行使(国際紛争解決手段)の放棄 
2 陸海空軍その他の「戦力」の不保持
3 自衛権(個別的・集団的)ないし自衛のための武力行使の放棄 
がそれです。   

護憲派リベラルは、1~3をセットにして「9条の原義」とか「絶対平和主義」
と言っているのです。そして「3」によって世界性、先進性、理想性を獲得したのだといっており、これを破る自衛隊や日米安保は9条に違反するものとして絶対容認できないと言っているのです。 

GHQも政府も僕も佐藤幸治も「1」「2」は争っていません。問題は、「3」に
あるのです。
もともと、マッカーサーは、マッカーサー・ノートから、「自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する」を削除して、GHQの憲法改正草案を交付した時点において、自衛軍、自衛権ないし自衛のための武力行使を容認する考えに変わっていました。    
 
①自衛隊の合憲性、②日米安保(米軍駐留)の合憲性、③集団的自衛権の合憲性は、すべて「3」の問題であって、「1」「2」の問題ではありません。とりわけ
再軍備の問題は「2」の問題です。

ここで問題となっているのは、「3」です。吉田茂は制憲議会(憲法制定が決議された議会のことを、「制憲議会」といいます)における答弁では「3」を9条の原義として語っていましたが、警察予備隊を発足した段階で、これを撤回し、「自衛のための「戦力」に至らない「武力」の行使は認められる」と解釈変更し、自衛隊への道を開いています。

この政府解釈による自衛隊容認は、「3」を撤回し、「1」にも「2」にも抵触しない憲法解釈をしたわけです。   

吉田茂が陸軍大将等の意見を聞いて再軍備を断念したという事実は、憲法議会での答弁のときでも、警察予備隊発足後の国会答弁のときでもなく、その後、ダレスが再軍備を要請してきたときのことだと思いますが、それは「2」に関するものです。これについて芦田均首相(片山内閣時の外相)は、憲法を改正しないで9条の芦田修正をもって自衛のための軍を創設することはできるとしましたが、昭和電工事件で総辞職となって吉田第2次内閣が発足しています。
そのときマッカーサーがポツダム勅令が警察予備隊を発足させ、自衛隊の足掛かりができましたが、マッカーサー解任後、日本に特使としてきたダレスの再軍備の要請を断固拒否しています。自衛隊のことと再軍備のことは別なのだということを整理しておいてください。  

すなわち、再軍備の問題は、「1」と「2」の問題であり、「3」の問題とは位相を異にしています。此のときの吉田茂の判断「軽武装」を肯定するか、批判するか
は、意見の別れるところだと思いますが、その結果、つねに米国に従属し、中国の意向を忖度する日本の現在の形ができあがったとみているのです。そのことをどう評価するかという問題です。 

また、現在の安倍内閣の改憲案は、「3」の問題だけを扱い、GHQ憲法改正草案から、自衛のための戦力不保持が削除された経緯、極東委員会による芦田修正の許諾と文民条項の挿入、マッカーサーのポツダム勅令、サンフランシスコ平和条約5条、砂川事件最高裁判決等で認められてきた「自衛のための戦力に至らない武力行使のための部隊としての自衛隊が合憲であることを確認する」というものです。 

その当否(国軍の創設を認めるべきであって、これまでの政府見解の追認のような姑息な改憲をすべきでないのではないか)について議論のあるところは置いといて、国民の多くは、政府案の正確な理解と位置づけができていないことを危惧します(自民党の議員についても理解できていないのが多いと自民党の改憲問題担当の芝山議員(弁護士資格あり)は嘆いていました)。   
以上
(R2/05/10 MLでのやりとりから)
憲法9条をめぐる対立点の整理(2)  

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