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【終了】第293回 『勝頼は土佐で生きていた?』 山梨県立大学客員教授 野田 金男さん
日時 2017年2月28日(火)
場所 文化のるつぼ へちま
【発表内容】
武田勝頼は、天正10年3月織田勢の侵攻から逃れ、岩殿城を目前に天目山で自害した、と伝えられています。
しかし、高知県には、勝頼は夫人や子供達と共に土佐に落ち延びた、という伝承が数多く残っています。
昨年6月、勝頼と夫人の墓があり、勝頼が創建したと伝えられる寺や神社が残る高知県仁淀川町に「武田勝頼土佐の会」を訪ねて来ました。
信玄公祭りを前に、勝頼の逃亡劇に疑問を投げかけ、私の憶測を交えた歴史ロマン?にお付き合いください。
一緒に歴史を疑って見ましょう^_?☆