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adtechスピーカーとしての11年間のランキングの歴史を振り返ってみた

先日、adtech東京で、U30マーケティングのセッションで4位だったと喜びの投稿をさせて頂いたんですが。

adtech東京の立役者である武富さんに「11年連続でさすが」とありがたいお祝いのメッセージを頂きまして、そういえば実際、自分はこの11年間adtechにちゃんと貢献できてたのかなと気になって、地味に自分の過去の歴史を振り返ってみたので最後に貼っておきます。

モデレーターにもかかわらず、パネリストよりも上位受賞をしてしまうという禁断の出来事が何度かあったりと、ツッコミどころは満載の歴史ではあるんですが(汗)
何と言っても毎年パネリストの方々に恵まれているのが大きいですが、比較的安定した成績を残せているんじゃないかなと振り返っております。

ちなみに、個人的には、やはり自分の中で1番記憶に残っているのは、2012年のセッションで、この年が私にとってのアドテックのスピーカーランキング初受賞の年でした。

この時は、セッションが全体で4位で私自身もスピーカーランキング9位と、唯一のトップ10入りをさせていただいたんですが。
エステーの鹿毛さん、日テレの原さん、CCIの長澤さん、サントリーの坂井さんと、個性的なパネリストの方々のおかげで、めちゃめちゃ刺激的な議論ができ、終わった後に参加者の方に「猛獣使い」と褒めて頂いたのを良く覚えています。
(あまりに懐かしいのにヘッダー画像に写真を入れてみました。みんな若いです・・・)

特にこのセッション30分前に雑談してたら、鹿毛さんがミゲルのCMを考えたときのホワイトボードの写真を見せてくれて、それを速攻でパワポにはりつけさせてもらったのは、自分の中でも大きな分岐点でした。

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この年に、自分の中でも自分らしいモデレーター像というか、自分らしいセッションのやり方みたいなのが確立したんですよね。
事前にストーリーを決めすぎず、アドリブメインを軸にするというかなんというか。

おかげさまで、その後アドテック関西でもセッション1位を取れたり、アドテック東京でもセッション2位になってベストモデレーターのトロフィーを頂いたりと、アドテックには本当に良い経験をさせて頂いております。

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個人的にはいつも「セッションが成功したらパネリストのおかげ、失敗したらモデレーターの責任」と自分に言い聞かせているんですが。

モデレーターって、事前準備も大変だし、セッション失敗したらパネリストに迷惑かけるから責任重大だし、自分の会社とか仕事の宣伝は全くできないし、で、大変なわりに損な役回りだから、食わず嫌いの方も多いと思うんですよね。

でも、素晴らしい経験や挑戦をされているパネリストに、50分とか60分とか、観客の代わりに自由に話を聞かせてもらえるわけで。
実は非常に役得な立場だと思ったりします。

特にアドテックはスピーカーが公募で募集されますし。
セッション案を自分で考えてモデレーターとして立候補すれば、スピーカーとして選ばれやすい印象がありますので、是非来年は皆さんも挑戦してみてはいかがでしょうか。

スピーカー募集は3月ぐらいにあるようです。


【徳力のアドテックランキングの歴史メモ】

■adtech東京2019 U30マーケティングのセッションで4位

■adtech東京2018 エージェンシーのチーム編成のセッションで14位

■adtech関西2018 ミレニアルズ女子のセッションで10位

■adtech東京2017 デジタルマーケのセッションで2位

■adtech三都物語2017 PRの視点セッションで6位。スピーカー4位。

■adtech東京2016 新しいコミュニケーションのセッションで11位。スピーカー15位。 

■adtech関西2016 愛され続けるコンテンツ制作のセッションで1位。スピーカー1位。

■adtech東京2015 デジタルとマスの効果測定セッションで2位

■adtech東京2012 マスとソーシャルのセッションで4位。スピーカー9位



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