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お金とエネルギーの話

お金はエネルギーであり、お金のやり取りはエネルギーのやり取りだと数年前から思っている。先日も立川ルリ子さんがそのようなことをおっしゃっていた。そして、お金を循環させるためにある仕事の収入に関しては寄附するように決めていると。その考え、いいなぁと思い、自分もそうやってできたらなぁと思った。今は、お財布がマイナスなので、まずは±0に戻してからだが…。

つい数日前、お金のエネルギーについて考えさせられることがあった。ある実業家の方が、知人の投資話にひと口乗るという話をしているところにたまたま同席した。その実業家の方は、愛のある方で、いつも人から声をかけられると「これもご縁だから」と言って、ピンときたものには嫌な顔をせずにすぐお金を出す人。困っている人の金銭的な援助も、話をよく聞いた上で、必要だと判断すれば気持ちよく出す人である。なので、いつもその方のお金はクリーンで清々しくて前向きなエネルギーなのだろうなと思っていた。

だが、今回、その方の側近でお金の管理をしている人が、その方が席を立ったとき、知人にこう言った。「今回は、顔を立てて出すだけだということを忘れずに。こちらはそちらが困っているようだから、少しでも力になってあげられたらという親切心で出してあげるんです」と。口調も「してやっているんだ」という強さがあった。その瞬間、まだ実際にお金は出してないけれど、知人に投資されるお金のエネルギーは、なんだかとっても重いものに感じられた。そこには愛のようなものはなく、執着や支配のようなものがあるように思えた。側近の方の言葉が、お金のエネルギーをネガティブなものに変えてしまったようだった。

「してやってる」という言葉や、それに近い表現というのは、よくよく考えたら恩着せがましいし、人を下に見ているなぁと感じるときがある。「力になってあげたい」と「力になってやる」、「応援したい」と「応援してやってる」。似ているけどちょっと違う。言葉の持つ印象、言葉の持つエネルギーやオーラが違う。お金に限らずだが、言葉を使うときには気を付けたいと思った。よく言霊と言うが、本当に言霊はあると思う。

世の中に循環させるお金は、気持ちよいエネルギーをまとっていて欲しい。自分もお金を出すときは、気持ちよく出したいと思う。とはいえ、まだまだ執着が残っている未熟さが私にもあるが…。ちょうど明日、予想の10倍のお金を出さなければならない研修がある。むむむ…と、財布から気持ちよく出せない自分がどこかにいる。でも、今回のお金に関するやり取りを見せてもらって、どうせ出すなら気持ちよく、いいエネルギーでお金を世に送り出そうと思った。きっとそうすれば、その研修が自分にとっていいエネルギーを与えてくれるだろうから。だって、エネルギーの交換だから。

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