『めぞん一刻』は2人の心の距離を段階的に縮めていく描写が凄い

ラブコメを読んでいるときにこういう経験はないだろうか?

「この物語、最終巻で付き合い始めたら途端に面白くなくなったなぁ…」というような経験のことである。

付き合った後も決してつまらないわけではないけど、「付き合う前の想いが離れたり近づいたりとウダウダやってるときの方が面白かった」そう感じる人は結構いるんじゃないだろうか。少なくとも自分はそういう感情になったことがある。

だから多くのラブコメでは付き合った後のイチャイチャとかをそんなに描かず、想いが成就した場面を描いた後、数年後の未来などをちょっとだけ挟んですぐさま終わってしまうことが多い。

そういうタイプの作品だと「もっと幸せなところが見たかった…」と感じるファンもいるとは思うが、こういうのは実際見せられるとそんなに面白くなかったりするんだと思う。

『めぞん一刻』ではこういった付き合った後に面白くなくなってしまう現象を2人の距離間を巧みに描くことでうまいこと回避している。この距離感の描き方が凄まじいと思ったので今回は自分なりに感じたそれを説明してみようと思う。


『めぞん一刻』は2人の心の距離に段階を作っているから凄い

最終巻(文庫版10巻)だけに限定するけど、この範囲で2人の心の距離は大きく3回変化する。

1回目の変化はサブタイトル『契り』において管理人室で話し合い結ばれる場面。ラブホテルで何気なく響子の口から「惣一郎」の名前が出てしまったことにより勃たなかった五代。しかし今度は響子のことだけを考えてセックスに成功する場面である。

このシーンで一応完全に恋人同士になるという変化となっている。ただ1回目の変化は「喧嘩→ラブホテル→こずえちゃんを振る→管理人室」という流れがあるからどこで恋人関係になったか定義するのは難しい。

重要な点はここで結ばれたとしてもまだ五代と響子の間の心の距離は縮めることができるという点である。第2、第3の変化で2人の心の距離はさらに縮む。

2回目の変化はプロポーズする場面。1回目の変化のところで結ばれはするもののまだプロポーズしてないので色々と懸念が残っている。結ばれながらもまだ問題が残っているので面白く読める。つまりまだ心の距離が縮む余地が残っているということだ。

まぁ正直3段階に分けてはいるけど1回目と2回目は一緒にしてしまってもいいとは思う。重要なのは3回目の変化である。

3回目の変化は2人の距離の変化が墓で五代が惣一郎に語り掛けるシーン。プロポーズしてお互いの両親に顔合わせをしても響子自身の惣一郎に対する気持ちは整理できないものがある。

そういった響子の気持ちを全て包み込む五代の言葉により2人の心の距離は一層近くなる。響子が払拭できずにいる惣一郎への気持ちもすべて受け入れる姿勢は非常にかっこいい。そして2人の距離はここのシーンで最接近する。

ラブコメでは付き合い始める場面やプロポーズする場面を物語全体のピークに持ってくる場合が多いと思うけど、『めぞん一刻』では墓のシーンが物語全体のピークだと思う。諸説あるかもしれないが少なくとも自分にとってはそうである。

このように付き合った後やプロポーズした後にも2人の心の距離が近づく要素があるように描かれているのが凄いと思う。もちろんセリフ回しが素晴らしいというのは言うまでもないことだと思うけどそういった構造の面でも面白くなるように構成しているんじゃないかと思う。

まとめ

なんか思ったよりも理屈っぽく書いてしまった感じがある。元々記事を書く上でこういう構造的な良さがあるんじゃないかなぁというコンセプトを持って書いてみたけど、なんか微妙になってしまった感じ。

3段階心の距離が変化するという理屈もなんか説得力ない感じがする。最初に「こういう構造ですごい作品だ!」と考えていてもいざ書き始めてみると『めぞん一刻』の良さを十分に捉えきれてない感じがして個人的には書きながら微妙だと思ってしまった。

『めぞん一刻』の良さというのはやはりセリフ回しとか、重要な場面でのコマのパワーにあると思う。素朴な絵なんだけど重要なシーンでは鳥肌が立つような心地になるような力がある。そういったところをもっと加味して記事にできたら良かったけどなかなか難しい。

なんならもっとエモーショナルに感想を書いた方がよかったかもしれない。理屈抜きでプロポーズのシーンと墓のシーンは最高だった…なので読んでいない人は絶対読んだ方がいいマンガだと思う。

こういう理屈っぽい記事だけじゃなくて、個人的に名シーンを選んで感想を付与して書くような記事とかも書きたい気持ちはある(いつか書くかも)。

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