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映画『ボーはおそれている』の感想と考察

2月16日から上映開始した『ボーはおそれている』を早速観に行ったので感想を書いていこうと思う。

感想はネタバレなしの部分とネタバレありの部分に分かれる。最初の方にネタバレを書かずに、この映画を観たほうがいいかどうかなどを語ろうと思う。ネタバレに入るところでしっかりと注意喚起をするので、まだ観ていない人もネタバレなしのところまでは読んでくれると嬉しい。ネタバレなしの感想の方は大したことが書いてないので映画を視聴済みの人はネタバレありのところまで飛ばした方が面白いと思う。

それでは早速書いていこうと思う。

ネタバレなしの感想など

まずは感想を書く前にネタバレなしでこの映画を観ていない人向けに、オススメかどうかを書く。

ぶっちゃけると映画が好きじゃない限りは見ないほうがいいかもしれない。映画が好きだとしても長いし意味不明だし辛いところは多い。ある意味では『君たちはどう生きるか』に近い。なのでそういった映画が好きな人は見て損はないんじゃないかと思う。

つまり作中に出てくる意味不明なものを「どういう意味なんだろう?」と考えながらつなぎ合わせることが好きな人には向いていると思う。作中で全部説明してほしいタイプの人は見ても意味不明さだけが残るので見ない方が良い。

でもよく考えると、考察が好きな人だとしても難解すぎるので置いていかれる可能性はある。近い映画を挙げるとデビット・リンチのような感じだ。

ちなみにグロいシーンもなくはないけど『ミッドサマー』ほどではないと感じた。『RRR』よりはグロいと思う。自分としてはそこまでではないと感じたけどグロさにもジャンルがあって人によって耐性のあるグロと耐性のないグロもあるだろうし判断が難しい。心配な人は見ないほうがいいかもしれないけど、『ミッドサマー』が見れた人なら大丈夫なんじゃないだろうか。

結論を言うと、刺さる人にしか刺さらない気はする。自分は好きだけど面白くはないと感じた。つまり話の筋は面白くないけど考察する楽しさはある感じ。考察ありきの楽しさなので考察しないとつまらないと思う。なので基本的には勧めないし、楽しめない人の方が多いと思う。王道作品に飽きていて、変な映画を観たい人には文句なく勧められる。

※以下からネタバレがあるので注意!

ネタバレありの感想

ここからはネタバレありの感想を書いていこうと思う。総評として書くのが難しいのでおおまかにシーンを分けてそれぞれの部分について感想を書いていく。そのシーンの分け方は以下だ。

1:アパート編
2:謎の一家編(交通事故の後)
3:謎の村編
4:実家編
5:法廷編

後は回想や劇中劇もあったりするが、それはそれぞれの編のどこかで言及しようと思う。それでは早速書いていく。

1:アパート編の感想と考察

まずアパート編ではセラピストとの会話が描かれる。後に明らかになるようにこのセラピストは母親とつながっており、ボーとの全ての会話を録音して母親に伝えていたようだ。

ただそれも真実かわからないような気もする。そもそも後のシーンを見ても母親がすでに死んでいるのかまだ生きているのかすらわからない。一応実家編でボーが殺してしまったというようなシーンもあったけど、あれ自体もボーの妄想で、映画が始まった段階からすでに母親は死んでいて、母親の呪縛から精神的に逃れられず妄想しているだけという解釈もできる気がする。

そのためセラピストがすべてを母親に伝えていたというのもボーの妄想で、このセラピスト自身は普通のセラピストの可能性もある。母親が映画開始時点ですでに死んでいるという解釈を取るなら、母親から監視されていた過去を引きずって常に監視されているという妄想を抱え続けているゆえにセラピストに対してもそのような嫌疑を抱いているだけかもしれない。

ただだとしても流石に荒唐無稽な気もする。一応母親は実家編までは生存していたという解釈を取った方が妥当かもしれない。だとすればやはりセラピストは全てを母親に伝えていたということになる。また見直せばここの解釈も明確に判定可能なんだろうか?

あと気になったのはセラピストがメモしていた「罪悪感(guilt)」という言葉だ。ボーの話を聞いてセラピストがこの言葉を書いていた。この映画は全体としてボーの「罪悪感」がほのめかされているシーンが結構あったように思う。それについては追い追いシーンごとに言及していくが、とにかく罪悪感は本作で重要な要素だと思う。

家に戻った後は早々にボーの妄想が多数あらわれてくる。夜中に「爆音が流れているぞ!」と注意してくる隣人からの手紙や、なぜか追いかけてくる人、街中に落ちている死体など、明らかに不自然なものが多数出てくる。この時点だと周りの人間がおかしいという解釈もあり得たかもしれないが、本作をすべて見た後に考えるとやはりほとんどはボーの妄想だったと思われる。

おそらくこの時点で意味の分からない描写が多かったので、ここですでに置いて行かれた人もいたんじゃないかと思う。ボーが体験していることが妄想かもしれないと読み取れないと明らかに整合性がないシーンが続く観るのがキツくなるんじゃないだろうか。もしかするとこの時点で意味不明なため見る気が失せた人もいたんじゃないかと思う。「何が本当で何が本当じゃないんだろうか?」というのを考えるのがこの映画の楽しみ方だと思うので、最初の方でそれに気づかないとずっとつまらない気もする。

飛行機に乗れなくなったと電話で母親に伝えるところはおそらく事実なのだろうとは思うが、ここすらも本当なのかがわからないのでこの映画の解釈は難しい。ここで確か家政婦のマーサの名前も出ていたと思う。仮にこの母親との電話が本当だったとしたら、飛行機に乗り遅れた原因は全てボーの妄想で、母親と会いたくないから仕方なくいけなかったという理由を自分で見繕っているという解釈が妥当なんじゃないかと思う。

途中で買い物をするシーンがあり、クレジットカードが使えないというシーンがあったけどこれは母親がカードを止めたんだろうか?母親との電話の後にこのシーンがあったのか記憶が定かではないので自分としては断定できないが、来れないというボーに対して母親がカードを止めるという強硬手段を用いた可能性もある。

アパート編のラストの方では風呂の天井に張り付いている男ともみ合いになった後、ボーが逃げ出し警察に助けを求め、結果として車に轢かれてしまうという展開で終わる。風呂というプライベートな空間でも監視されているかもしれないというボーの内的不安が表出した妄想なのかもしれない。ただ車に轢かれるというのはよくわからなかった。詳しくは謎の一家編で語るが、このボーを轢いた家族たちもよくわからない。

2:謎の一家編の感想と考察

謎の一家編ではボーが車に轢かれた後、その轢いた家族のもとでなぜか生活をする羽目になるという話。一家の娘とされるトニとその両親、謎の巨漢とボーを合わせた計5人で生活をする様が描かれる。

何気にここのパートが一番謎な気がする。謎の村編も謎だったけど、ここも読み取るのが難しい。

そもそもこの家族はなんなのだろうか?ボーを養子のように扱っているのでボーの理想の家族のようにも読み取れるけど、だとすれば娘の存在が謎である。途中で一家の母親がボーが盗撮されているチャンネルも教えてくれたし、「罪悪感を抱かないほうがいい」みたいな手紙もくれた(文言はうろ覚え)ので、ボー的には味方っぽい感じはする。

一家編はこのように謎だが、もしかするとボーの家の家政婦であるマーサの一家をボーの内面世界として象徴的に描いているのかなと思った。ほんの少しだけしか描かれていなかったが、実家編でマーサがボーのことを優しくしている感じの描写があった。ボーもマーサには心を開いている様子だったのでもしかすると謎の一家編全体がマーサの一家で仮に暮らすというボーの妄想だったのかもしれない。作中で「謎の一家=マーサの一家」であると明示されているシーンはないのであくまでも自分の解釈にすぎないが、そう考えるとしっくりくるような気もする。本作は基本的にボーの妄想で、妄想内にボーから見た現実の人や物が象徴的に登場するという仕組みになっているんじゃないかと思う。

そう解釈すればマーサに一家を犠牲にしてまで優しくしてもらった過去があるという風にも読み取れる気がする。娘から嫉妬されている風だったので、マーサはボーの家をかまうあまりに娘を放っておいたのかもしれない。もしくはボー側が過剰にそういう側面があったんじゃないかと罪悪感に苦しんでいる可能性もある。何度も言うが、作中で「謎の一家=マーサの一家」という明示がなかったと思うのであくまでも自分の解釈に過ぎない。だが、そうでも解釈しないと「あの一家なんだったんだ……?」という疑問がどうしても残るので少なくとも自分はそう解釈した。また見直したら新たな解釈が生まれるかもしれないが、娘の居場所を奪っているかもしれないという描写が多数あったので結構妥当な解釈かもしれない。

ただだとしても「あの謎の男は何だったんだろう……?」という疑問はぬぐえない。他の編で「母に従う自分」と「母に逆らう自分」という風に本人が自身を分裂させているような描写もあったので、もしかするとこの謎の男ももう一人のボーを表しているのかもしれない。その解釈を元に考えると、こちらの方の男(謎の巨漢)は後に追いかけてきたりするので「母に従うボー」なのかもしれない。ただ後の回想シーンで「母に従っていない様子の怒られているボー」を「母に従い風呂に入っているボー」が主観視点で見ている場面もあるので解釈が難しいところ。

トニがこの巨漢を頼っている感じの描写もあったので本当に解釈が難しい。単にボーが自身を追ってくる敵であると認識しているだけの存在の可能性もあるので、漠然とした敵というあっさりした解釈も考えられる気はする。

あとこのあたりから回想が徐々に挟まってくる。ボーが小学校高学年くらいの年齢の時に船で出会った少女との思い出が語られる。この少女がなんとなくトニにも似ている感じがするけど関連があるかは不明だ。この時にこの少女がプールで死体を発見するというシーンもあったけど結局意味がわからなかった。再度見直すならここに注目しないといけない。

この編のラスト付近のペンキ飲むシーンはなんだったんだろうか?トニたちがマーサの家族の象徴であると考えるなら、過去にボーがマーサの娘を傷つけてしまったことがあるのかもしれない。それゆえにマーサに拒絶されたことがトラウマになっているという可能性もある。ただここも結局は解釈に過ぎず断定する証拠がないのでもどかしい。また観たら新たな発見がありそうな気もする。

謎の一家編は結局一家の母親が「八つ裂きにするぞ!」とマジギレしてきて、そこから逃げるところで終わる。この後は謎の村に行くという謎展開が続く。ここで逃げるボーの速度と勢いがすごかったので印象に残っている。

おそらく謎の一家編と謎の村編はともに全部妄想だと思うので象徴的に読み取った方がいいんじゃないかと思っている(ボーの無意識による世界認識が表出している感じだと思う)。

3:謎の村編の感想と考察

謎の一家から逃げる最中に木にぶつかり意識を失ったボー。目が覚めしばらくの間森をさまよっていると、とある妊婦に出会い謎の村に案内してもらうことになるという展開。

この出てくる村がいかにもファンタジーという感じで、『ミッドサマー』っぽい感じもする。浮世離れしているというか、現実ではないんだろうなという印象を受ける。

実際にこの村での展開も荒唐無稽なものが多い。いきなり劇が始まったかと思えば、ボーが急に年を取り、劇と自身を重ねるような展開で、劇中に生まれた息子たちと再会するシーンとなる。その後は自身が童貞であるということを意識し、子どもがいるという妄想に矛盾が生まれ劇から現実に戻るという展開。戻ったところも現実ではないような気もするが、とにかくこの劇のシーンは意味深だった。

この劇中劇も妄想だと思うが、ボーの内面心理が表出している部分ではあると思う。劇の最初の方で「鎖を断ち切って旅立つ」というような印象的なシーンがあったが、この鎖というのが母親を表しているんじゃないかと思う。劇では旅立とうというときに初めて自身に鎖がつながれていたということに登場人物が気づくが、ボー自身も母親から自立する思考ができて初めて自身が母親に縛られているということを強く自覚したのかもしれない。

「子どもができて幸せに暮らした後に嵐がきてはぐれる」というシーンもあるが、ボーは童貞だと思われるのでこの劇自体はそこまでボーの人生とはリンクしていないのかもしれない。なので自分としてはボーがこのような人生を歩みたかったという理想としてこの劇が描かれたんじゃないかと解釈した。ここでも劇の中にペンキが出てきたりと、謎の一家編とも関連がありそうな描写もあったので解釈しきれていない部分が多いと感じる。

あと重要そうな要素として、ボーが劇の妄想から目覚めた後に出てくるボーの父親と思わしき人物も謎だった。結局父親らしき人は爆死した感じだけど、後のシーンでも屋根裏らしき部屋に出てくるので父親に関しては本当にわからなかった。

最終的に謎の村編はなんやかんやで気絶した後に目覚めてヒッチハイクで実家へ帰るという展開で終わりとなる。自分としては結局よくわからない部分の多い編だった。

4:実家編の感想と考察

ヒッチハイクで実家に帰った後に自宅へ戻り母を悼むのかと思いきや、回想に出てきた昔の少女と再会しセックスするという展開。しかし実際は妄想だったらしく、実は生きていた母親が登場し対話するという展開になる。

彼女とのセックスが妄想だったのかもよくわからない気はする。射精した後に彼女が人形のように運ばれていくけど、ボーがダッチワイフでオナニーしていただけなんだろうか?ここのあたりは情報量が多かったので字幕を読み飛ばしている気もする。

ここで母親が出てきて回想でも出てきた屋根裏部屋に連れていかれるという展開になる。そこで巨大男根モンスターと戦う男が出てきたり父親らしき人が出てきたりするけど正直意味が分からなかった。男根モンスターと戦ってた男がボーの分身であるという解釈を取るならば、ここにおいてはボーが屋根裏で父親かその他の男性から性的暴行を受けていたということを暗に描いているのかもしれない。ただここに関しても明確な証拠はないので実際のところはわからない。

男根モンスターは絵面がすごかった。やるにしても発想がすごい。確か亀頭から角みたいなの生えてたしデザインが斬新すぎて面白かった。

そして屋根裏部屋から出た後は母親と対峙して母親を殺してしまうという展開になる。ここにおいてボーは首を絞めてそのあと急に手を止め母親を心配しだすが、それでも母親が倒れ死んだという感じになる。ただここで本当に母親は死んでいるんだろうか?単に母親から自立できたということを象徴的に描いているようにも思えるし、この行為自体も妄想と解釈できなくはない気はする。結局ここに関しても真実かどうかわからないなと思う。

その後、実家を後にしたボーがボートに乗り急に法廷が始まるという展開となる。字面だけで説明すると意味不明だが、映画を観た人ならわかってくれるだろう。

5:法廷編の感想と考察

法廷編という風に1つの編として分けたが、実際にはとても短いシーンではあった。このパートでは急に裁判が始まった後、過去にボーが母に対してした行為が言及されボーが責められる展開となる。

このシーンにおいてはボーの母親も出てくるが、この母親自体は実際の母親ではなくボーの心に存在する母親なのかなと思った。ボーは母に育てられる過程において、ことあるごとに母から責められてきたので母親がいなくとも「こういう行為をしたら母はなんて思うだろう……?」というのが身体の中に沁みついているんじゃないかと思う。

なので自分の解釈としてはこの裁判自体がボーの妄想で、ボーが自分自身を裁いて傷ついているというシーンなんじゃないかと思う。つまりボーが自己嫌悪に陥っているという内面心理を裁判に見立てて描いているということである。

結局ボーは裁判中に責められ船が転覆し湖の中に沈んでエンディングとなる。これは自分を責めすぎてしまい精神的な死を迎えたということを象徴的に示しているんじゃないかと思う。そのような悲しい結末でこの物語は終わる。正直消化不良かとも感じたが、自己嫌悪による破滅はある程度予想できていたかもしれない(それ以外に終わらせ方がなさそうなので)。

まとめ

正直途中のところはわからないところがいくつかあったけど、この結末の解釈自体はそれなりにあっているんじゃないかとは思う。作品全体が内面世界的な描き方をしている面はあると思うので的外れではない気はしている。細かい部分をまた観てみると再発見がありそうだが、ぼんやりと全体像はつかめた感じがする。

ただまた観るのは辛いかもしれない。冗長だったしひたすらに暗く突拍子もない展開が続くので途中からは口を開けて困惑しながら見ていた記憶がある。

こうやって記事に感想を出力して解釈を考えている段階になると様々な要素が頭に浮かび考えがいがあって面白いなと思うけど、この面白さは単純に映画を観て楽しいと思う気持ちとはまた違うかもしれない。

賛否分かれる映画というか、賛の人でも手放しで良い作品とは言えない映画だと思う。また観ると再発見があるとは思うのでそういった意味では味わい深い作品だが、間違いなく一般受けはしないし人気も出ないだろう(自分としても評価が難しい映画だと思っている)。

ちなみに自分は公開当日に観に行った。館内には多数の人がいて「この人たちもボーを見に来たのか!?」と一瞬思ったが、実際は同日公開のハイキュー目当ての客だった。ハイキューは男女ともに人気にもかかわらず、ボーの方は公開当日なのに客もまばらでおじさんしかいないという状況(洋画、人気なさすぎる……)。

自分も流石にもう一度観に行こうとは思わないが、サブスクがきたらまた部分的に見返そうかなと思う(ハイキューも面白いかもしれないけどボーの方も是非見てくれ~!)。

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