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【 匿名SNS時代のIdentity】


このnoteでは「本来我々が持つ性格や人格は・自己認識対人意識集団意識のような大枠で見たら3段階で構成されてきた事が、基本的なIdentityの主軸であった様な気がします。しかし、匿名SNSの登場から数えて早10年以上経ち我々は新たな認識を獲得、自己の多様化に繋がっているのではないかな?」的な記事を書いていきます。

では、なぜこの様な記事を書こうと思ったきっかけは、多様性が騒がれている世の風潮に匿名SNSの存在も、絡んでいるのではないかとふと考えたからです。

多様性、言葉一つとってもその在り方や各人にとって意味もバラバラである事は、多くの人と関わり続ける中で実感し、常にその立ち位置を更新し続けていると思うことが多いですが、SNSによってその動きは複雑怪奇、まるでその様はアメーバの如く形態変化を止めない、捉えられなさそうなものだからこそ瞬間の気づきを書き留めて置きたいと思っています。

また我々は今SNS上において、何物でもあり、何者にもならず、何者にもなれる状態が溢れかえっているとも言えます。この状況は、Identityのふり幅が従来にはなかったほどの自由さと責務を抱えているのではないかと考えており、かつてないほどの自分とはどの様な人であるか考える必要性が目下に広がっているのではないかと思い、この機会で記述します。
ぜひ最後までご覧ください。

                   ——本編——

SNSが作り出したコト


SNSが我々のIdentityの何を変えたかを見ていきます。

従来我々が自己認識をする際は、自分とは〇〇な人間であり、〇〇という事を仕事をしているなど自分が実際に経験を通して培った記憶と体験を元に、私はその道の人ですと自分や他人に対して説明をする事が鉄板的なものだったと言えるでしょう。また自己の外、対人理解をする時もあの人は〇〇という事を得意とし、〇〇という仕事を志し、だからあの人の人格は〇〇なんだ、というプロセスを経て自己に落とし込んでいく流れがあったと思います。

要するに、上記のIdentity形成が意味するのは直接体験を元にした形成と非常に直接体験に近い伝聞・推測体験を元にした形成であり、その他の事に関しては認識というよりは噂の様な型からは出ないものであったと言わざる得ないでしょう。

まぁ、これに関してはそもそも世間が現在と大きく異なり狭かったが故に、見聞きするモノ・コト自体が限られており、自分の知らない未知の事柄に対しての態度や認識改変がそれほどスムーズに行われることが多くなかった為、直接体験こそが最も信頼できる価値・情報として考えれていたからではないかと考えられます。

さて、時代とテクノロジー革新が進み、匿名SNSが世界を巻き込み始めて我々はその波に乗っかて行く事になりますが、どのような変化が有ったのでしょうか。これは主に2つの変化があったのではないかと思います。

第一に、我々は互いに秘め事、つまりプライベート空間を確保・運用できた事です。匿名SNSでは自分のアカウントを運用する際に、自分を示す必要がなく、自分がそれを自分のものである認識さえあれば運用はいくらでも可能になります。作成したアカウントは他の利用者に見られる事もありますが、そこに直接的な伝聞体験はほとんど存在しません。

第二に、我々は相手の事やその相手が発した事の信ぴょう性の可否はわからないという事です。自分の事を隠せるのであれば、相手も同様の状況にいるという事を証明できます。

直接体験で我々は自身の事や相手の事を理解していましたが、そこには明らかな自己存在と相手の実存が確認されたうえでの判断を付けていました。そして匿名SNSのもたらした二つの変化が表すのは、我々は自己のIdentityを歪める機会を得て、他者のIdentityを深く知る機会を減らす事になり、「自己の多層化・貧層な他者理解」という変化を遂げたのではないかと言えるでしょう。

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自己の多層化・貧相な他者理解


自己の多層化・貧相な他者理解」に至った経緯は述べましたが、ここからはその性質について考えていきます。

まず自己の多層化は、匿名SNSだからこそ生まれた人格の大量生産物と言えるのではないでしょうか。我々、特に若い女性には多い傾向ではありますが、彼女達は裏アカウントといえるメインで使うアカウント以外に複数のアカウントを保持しており、この現象こそ自己の多層化を表すのに適している言葉はあまり見当たらないと思います。

女性は従来の社会においてもコミュニティを如何に円滑に、大きなトラブルなく回していく事を日常的に至る所で繰り広げています。井戸端会議など久しい言葉ですが、まさにあの状況です。

匿名SNSの登場により、彼女らが持つ関係性の幅は格段に広がり、普段以上に負担がのしかかるようになり、自分の知らない・関わりが薄い所で何が起きているかわからない状態が日常茶飯事と化し、気が気でない事も増えたのではないかと思います。しかし、同時に匿名SNSはそんな彼女たちに秘匿空間を授け、本当の自分・人前の自分・仕事での自分・趣味に没頭する自分等のモードによる分割を可能にしました。

匿名SNSによる多層化は、元来混ざり合っていた自己の在り方に区切り付けて、その存在を本格的にアカウント経由する過程を経て意識に繋がり、私とは様々な要素を保持している人格である事を認識し、この時代に生きる各人に多様化の流れを創出した事が伺えると言えるでしょう。

そしてもう一つの貧相な他者理解に関しては、断片的な情報しか得られなくなってしまった、もしくは欲しい情報しか目を止めなくなった故に発生してしまった現象であると思います。「貧相」と表していますが、元から他人に興味のない人からしたらあまり変わらないから、違った印象を受ける事もあると思います。しかしこれは他人の事をある側面から知らないため、従来の理解と比較したらかつての豊穣さの影を見ることは多くないという意味で用いています。

自己を多層化したが故に、我々は他者に対して自分という人格のとある部分を小出しして、相手に理解を求めようとしています。しかし、他人に見せている部分が非常に強烈でかつ人気を博してしまう場合もあります。逆も然りです。またこのように一部の要素を見て判断する事が多くなる際には、ハロー効果のような、彼ら/彼女らは〇〇が上手にできるから他の事も出来るに違いないと推測してしまう事も起こり得ます。

これは果たして他者に対して毅然とした態度を持ちながら、寄り添ってその相手を理解していると言えるのでしょうか。貧相な他者理解は、他者へ示す態度だけではなく、実は我々の意識の貧相化も知らず知らずに自ら招いてしまっているのではないかと考えられるのではないでしょうか。

匿名SNSによるIdentity形成は我々の深層意識に絶えず問いかけを投げかけていて、その真意を探る事が現代、そしてその先の未来を生きていくには重要となっていく命題となっていくのではないかと考えています。

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まとめ&SNSが魅せるIdentity


では、今回のまとめと今後どの様に我々のIdentityが形成されていくか書いていきます。


・匿名SNS時代のIdentity

直接体験から間接的伝聞体験への移り変わりによる形成
自己の多様化とその裏表紙である貧相な他者理解による形成

さて、この先の未来で考えうる・考えていかなればならない匿名SNS時代のIdentity形成に関しては、重厚さを増す自己の形には、どんな私でも私である事を受け入れらる様な俯瞰出来る認識が必要であり、希薄化し全貌を理解しにくい他者には、尊敬の念と併せて私が知っているのはどこまでの範囲なのか、確実性を持たずに常に相手への探りを怠らない事が必要ではないかと考えられます。


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