コミュニケーションの矢印をどこに向けるか?ー佐伯ポインティに学ぶコミュニケーション
コミュニケーションの矢印をどこに向けるか?ー佐伯ポインティに学ぶコミュニケーション
コミュニケーションとは、「社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達」「(生物学)動物個体間での、身振りや音声・匂い等による情報の伝達」と言われますが、情報や声を発する側から受け取る側へ、質問をする側からされる側へ、というように、矢印のように表すことができます。
今回はそんなコミュニケーションの矢印について、佐伯ポインティさんの考え方と一緒に考えてみます。
コミュニケーションの矢印とは
コミュニケーションの矢印、というのは先に書いたように誰かから誰かへ向かう矢印がイメージしやすいもの。
しかし、人と人とのコミュニケーションはそんなに単純ではないのが現実です。
1つの発信に対し、受け手が2つの情報を得ることもあれば、逆もしかり。人に対する発言や話題に対する発言と、矢印の先が人にむかないこともしばしばあります。
発言者から伸びる矢印
発言者から伸びる矢印は話し相手に向かう場合と、話題に向かう場合があります。
話し相手に向かう矢印は単純な会話の構図ですね。普通の会話の図が当てはまります。
お互いに相手のことについて考え、発言している時がこれです。コイバナや相談、面談もそうですね。
次に話題に向かう場合。少し想像しづらいかもしれませんが、発言の対象があくまで話題である場合を指します。
ある話題に対し考え、発言する場合がこれです。会議などが当てはまります。
不快にさせる話し方を回避するには
上に紹介した場合と矢印では、基本的にコミュニケーションが円滑に進みます。
それでは逆に、人を不快にさせてしまう話し方というのはどのようなものでしょうか?
waidanTV、猥談バーで注目されている佐伯ポインティさんが答えたある回答を見てみましょう。
「人を嫌な気持ちにさせない猥談」佐伯ポインティの回答
佐伯ポインティさんがCEOを務める株式会社ポインティでは様々な猥談をコンテンツとして扱っています。(株式会社ポインティと匿名性)
そんな中、彼の配信する猥談は視聴者を不快にさせない雰囲気があります。
一般的に猥談、つまり下ネタというのはどうしても気持悪さや不快感を持ちがちですし、男性の発言は特に嫌悪の対象になることが多いものですが、彼の猥談の扱いが不快感を与えないことを不思議に思っている人は多いようです。
【いつも楽しく拝見させて頂いています!ぽさんはいやらしいことを、すごくさわやかに話していらっしゃいますが、何かコツはありますか?】
これは【年越し生配信】「2021年一番やらかした猥談」ライブで聞いてみたよにて、ライブ配信中に視聴者から寄せられた質問です。
「え~なんだろう!?」と考えながらも、佐伯ポインティさんは以下のように回答しました。
【例えば飲み会で猥談してる時に、一番違うのは、猥談を話してくれたのに「ふーんそういう性癖なんだ、じゃあ俺とは……」みたいな感じなのはさ、一番だるいやん。
だって、面白い話としてしてるのに。
つまり、たとえたんだけど、皆でお鍋食べてるのに急に「はい、あーん」ってしてくるみたいな。
「ちょやめてやめて……」て。「鍋鍋鍋鍋。」
「猥談してくれてる人に矢印を向けない。猥談に矢印を向ける。」っていうことだと思う。これが一番大事だと思う。】
皆でお鍋を楽しんでいる時に、個人にアタックするのは誰も求めてないよね、鍋を食べに来てるんだよね、という話と共に、猥談も同じく、猥談を楽しんでいるのに、個人にターゲットを向けるのは求めてないよね、ということだそうです。
話題を問わずに応用する
この「矢印をどこに向けるか」というのは、猥談に限らず応用できそうですね。
例えば、相談を受けた時にその相談内容について話を進めるのは【話題に矢印を向けている】ことになりますが、相談主の性格などについて話をしてしまうと【人に矢印を向けている】ことになってしまいます。これでは相談主のモヤモヤが増えることになりかねません。
自分の発言しようとしていることはどこに矢印を向けているのか意識してみましょう。また、話題に至る前に一旦個人についての話が必要な場合は断りを入れるだけでも印象は変わりますよね。
SNSでのコミュニケーションへ応用する
コミュニケーションは実際に顔を合わせて行うばかりではありません。むしろ現代ではSNSなど、インターネットを通してのコミュニケーションの方が多い人もいるでしょう。
そうなると、コミュニケーションの難易度はぐんとあがります。
画面上の機械的な文字列と、顔文字、絵文字、記号だけでのやりとりは、多少感情表現ができるとはいえ、リアルの表情、声のトーン、発音、ボリュームなどの細かなニュアンスにはかないません。
そうなると、やはり伝え方というのは難しくなりますよね。
「論点のすり替え」「論点ずらすな」なんて言葉をSNSで見かけたことはありませんか?
論点、つまり話題がずれているというのは、その場の話題をきちんと把握できていないことが要因です。
そういった場合には大抵「相手への敵意」が先立ってしまっていることが多いです。
発言の矢印が【話題】ではなく【人】に向いてしまっているんですね。
見えづらい矢印
では、下のパターンにおいての矢印はどうなっているのか考えてみてください。
2人が好きな作品について話しているとします。青は作品のファン、赤はすすめられて読んだけれど、あまり好みではなかったようです。
作品の系統や内容について話をしている場合は、下の図のような矢印になります。
しかし、作品のファンである青は途中から「この作品の展開の良さがわからないなんて変だ」と言い出しました。
それに次いで、赤も「こんな作品はつまらない。時間の無駄だ」と言います。
その後は口喧嘩のように作品を巡って意見が対立してしまいました。
この場合、コミュニケーションの矢印はどうなっているのでしょうか?
図のように、作品を通して相手、つまり人に向けた矢印が見えてきます。
「作品そのもの」についての話をしているうちは、話題に矢印が向いていましたが、「この作品を好き・嫌いな相手」に矢印が向いたとたん、円滑で平和なコミュニケーションが崩壊してしまいました。
微妙な差ですが、作品について話すことと、作品を好き・嫌いな人について話すことは全く違いますね。
SNSでもしばしば「作品についての話題」が「人への批判」にすり替わることがあります。
海外ではゲームや作品が自分に合わない場合の言い回しとして「Not for me」という言葉があり、意訳は「私には向かなかった」というものです。
日本では「つまらなかった」というマイナス表現が使われがちなせいで、上の例のような争いに発展してしまうことがあるようです。
まとめ
コミュニケーションの矢印をどこに向けるか?ということについて考えてみましたがどうでしたか?
微妙な差で矢印はあちこちに向いてしまいます。
人とのコミュニケーションを図る際には、矢印がどこに向いているのかを考えながら発言しましょう。
また、自分にとってマイナスな印象の話題には触れないか、あるいは聞き役に回ることで回避できる争いごともありますから、特に難しいSNS上での円滑で平和なコミュニケーションに活かしてみてください。