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学校と家が全てじゃないー子どもの「居場所」はどこ?

若い世代とネット

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世代に関わらず、多くの人の身近に浸透しているネット。
特に10代や20代といった若い世代はネットありきで生活をしています。
ネット普及前は、学生の世界は主に家と学校でしたが、その学校に居場所がない家に居場所がないどちらとも自分の居場所を感じられないという人にとっては生きづらかったと思います。
しかし、現在はほとんどの学生がスマホを持ち、ネットを通じて世界を広げたり、居場所を見つけたりしています。
今回は、悩みを抱える10代の学生とネット、学校生活について、加藤ミリヤさんの楽曲「20-CRY」を紹介しつつ、「子どもの居場所」を考えていきます。

学校が全てではない

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まず、学校が全てではない、という点について。
学生は学校で過ごす時間が多いうえ、学校に行くことが一般的に当たり前とされるのでなかなか「行かない」という選択肢を持てませんし、それは悪い事だと認識しがちです。
もちろん、義務教育の内容などは年齢と学年に応じて学んでおいた方がいいですが、決して学校に行くことだけが全てではありません。家でも勉強はできますしね。
例えば、学校はいじめと言われる暴行や窃盗などに耐え忍ぶことを学ぶ場所ではありませんし、大人の言うことに全て「YES」と答えなければならない場所でもありません。
とはいえ、学校に行かないと「不登校」「ひきこもり」とネガティブな言葉で言われるため、世間体や親の顔色を伺って学校に渋々向かうという学生もいるのが現実です。

不登校


不登校というのは言葉のままですが、学校に行かない選択をした子のことを指す言葉です。登校拒否とも言いますね。
不登校の定義は細かく定められていますが、ここでは「精神的な理由から登校できなくなった場合」を指すことにします。
学校には行っていないが、外出はしている状態も不登校です。
親に何も言わず、制服を着て家を出ても学校には行っていないというパターンもこちらに含まれますね。

ひきこもり


ひきこもりは、不登校の中でも外に出ないパターン。
家の中、あるいは自室にこもってしまう状態を指します。
厚生労働省では、6か月間このような状態が続いている場合に当てはまるとされています。
朝から夜まで、全ての生活時間を自宅で過ごし、学校に行かない・行けない場合はひきこもりとされます。

人と繋がれるネット

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不登校やひきこもりになったとしても、今はネット社会。外部との繋がりはいつだって持てます。
Twitterや掲示板、各種SNSを通じて同じような境遇の人や、そうでない人、年齢や国の違う人とさえ簡単にコミュニティを築けます。
そのため、例え不登校やひきこもりになったとしても、イコール対人関係が下手になる、経験不足になる、という断定はできません。
保護者や学校に対して居場所を感じられない場合でも、ネット上の人間関係に救われるというパターンは多いもの。
今までや、周りと違う形であったとしても、人との繋がりを絶たせないことを大切にしたいですね。

「20-CRY」という曲

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さて、ここで「20-CRY-」という曲を取り上げます。
2009年1月に発売された、歌手・加藤ミリヤさんの楽曲です。世代でいうと、X世代からY世代がドンピシャではないでしょうか。
この楽曲の歌詞とMVが、若者とネットというテーマを扱うにあたってぴったりな印象があったのでご紹介します。

歌詞

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こちらの楽曲は作詞・作曲・歌唱すべてを加藤ミリヤさんが行っています。
歌詞の内容は非常に切なく苦しい、20歳の女の子の寂しさや葛藤を描いたもの。
誰か」に助けを求めたり、孤独を恐れたりするような内容が描かれており、まさに居場所が見つからない、見失ってしまった若者を歌っている作品です。
私に気付いて」「この世界で一人だけでいい」「誰か助けて」といった心の叫びの後、最後のフレーズでは「どうか私を必要としてよ 私を愛してよ」という言葉。
胸が締め付けられるような苦しさを感じさせる歌詞ですが、これがヒットし、発売翌月のオリコンチャートでトップ10入りを果たしました。
楽曲へは「つらいのは自分だけじゃないんだと思える」「辛い気持ちを表現するのがとても上手で、切ない気持ちで泣きたいときに聴く」などといったコメントが寄せられています。

MV

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MVでは、最初に真っ黒な画面に「ねえ なぜ 生きてるの?」と文字入力風に文字が現れ、その後加藤ミリヤさん本人の他、雑踏や様々な女性を背景に映しながら携帯の文字入力風や掲示板への書き込み風に文字が表示されていきます。
また、曲中には真っ黒な画面に「ツライツライツライツライツライ」と打ち込んでいくシーンも。
そしてMVの最後では正面を見ていた加藤ミリヤさんが切ない表情で後ろへ振り返り、人混みに向かって歩いていきます。

MVの中では人に裏切られたような描写や一人で泣く描写、苦し気な表情などが映し出されます。
まさしく、「孤独を感じ、苦しみ悩む若者」を描いた作品です。

楽曲から得るメッセージ

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最後に救いが現れたり、明るい希望があったりするわけではない「20-CRY-」ですが、思いっきり暗い感情を歌ってくれているため、それに支えられた若者は多いです。
MVの中でテキストの打ち込みを表現していることで、孤独な彼女たちがネットに弱音や愚痴をこぼし、見えない「誰か」に「助けて」と書き込む様を表現しています。
現実がつらく、匿名性に隠れながらもネットに助けを求めるのは、令和の今にも通じているのではないでしょうか。
ガラケーがスマホへ。メールはLINEへ。掲示板はSNSへ。
それぞれ時代に合わせた形へ変わってはいるものの、孤独や辛さ、怖さのはけ口が匿名性の高いネットにあることや、匿名性が高いからこそ、自分に自信のない彼らがネットの中に優しさを求めるという根本的な部分は変わっていないように見えます。

視野を広く持つこと

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時代が変われば、ツールや常識も変わっていきます。
学校に行かなければ何かが欠落するといった考え方は、現代には合わないのではないかな、と。
親世代は、視野を広くもち、子どもを見守り、向き合い、受け入れることをきちんとしてほしいです。
子どもは、視野を広く持ち、自分の見つけた場所でできること、やるべきことをきちんと考えて生きてほしい。
現実であれ、ネットであれ、広い視野でものごとを見、捉え、考えることで、自分の生きる場所はどうとでもしていけるはずなのです。そしてその生きる場所は、学校とも、家とも、ネットとも限らない。自分の選んだ場所が自分の居場所であると思います。

まとめ

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若者、特に子どもの「居場所」について最後にまとめましょう。
10代は多感で、どうしても不登校やひきこもりになる人もいます。
全員が100%学校を選ぶことはないのです。
しかし、ネットを使って心の闇を吐き出したり、肯定されたり、支えられたり、救われたり。そういう体験もまた人と関わるために必要なのではないかと思います。

人は自分の居場所を求める生き物です。
10代の学生だって、学校だけが居場所ではありません。
学校や家に居場所がなければ、ネットに頼るというのは、むしろ時代のツールに対応した生き方だと思います。

最近では居場所をなくして自殺する10代も増えていますが、そうなる前に、どこかに生きられる場所を見つけてほしいと願うばかりです。

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