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家族を失って/もういちど家族になる日まで/文:編集部 小島範子

 子どものころ、家族が出かけて、家に一人でいられる日は、誰にも邪魔されない、と最初はわくわくしたものです。でも、空が暗くなってくると、どうして誰も帰ってこないのだろう、もしかしたら事故にでもあったのだろうか、と心配になり、部屋のあかりが窓ガラスに映るのも不安をあおって、玄関の前をうろうろしていたものでした。そんな気持ちを思い出させるのが、『もういちど家族になる日まで』の冒頭です。

「さいしょのうちは、おままごとみたいで楽しかった。/一日に三回、クラッカーにチーズをのせて食べた。/一日じゅう、テレビで好きな番組を見た。(中略)三日目まではだいじょうぶだった。」

 11歳の少女オーブリーは、電話が鳴っても出ず、訪ねてきた人には一人で家にいることがわからないように取りつくろいます……母親が突然出て行って、一人残されてしまったことを知られないように。

 そこへやってきたのが、遠いバーモントに住む母方のおばあちゃん。だれも電話に出ないので、様子を見にきたといいます。そして、母親が一週間前にいなくなってしまったことを知ります。母親とは連絡もとれず、どこにいるのかもわからない。こうしてオーブリーは、おばあちゃんの家でくらすことになります。

 おばあちゃんの家の隣には、同じ年の女の子ブリジットが住んでいて、オーブリーは少しずつブリジットとその家族とも親しくなっていきます。ブリジットの幼い妹たちと接すると、オーブリーの心は安らぎますが、同時につらい気持ちにもなってしまいます。

 ときに怒りが爆発してしまうオーブリーですが、その理由は物語の三分の一あたりで読者にもわかります。雨の日に、家族で車で出かけ、トラックがスリップしてぶつかってきたせいで、父親と妹が亡くなっていたのです。その時運転していた母親は自分を責め、家にいることがつらくて出て行ってしまいました。けれどもオーブリーは、出て行った母親を責めたりはせず、むしろ、周囲の人に対して、母親をかばいます。

 そんな状況の中で、それでもオーブリーが立ち直っていくようになるのは、根気強くオーブリーに話しかけ、愛情を注ぐおばあちゃんと、話を聞いてくれるブリジットなど、まわりにいる人々の力です。

 現在進行形で進む物語の中にときおり挿入される、家族四人が揃っていた頃の描写や、オーブリーが気持ちを綴る、読む人のいない手紙の文面が切なく胸に迫ります。

 物語終盤、母親がやっとオーブリーに会いにやってきます。けれども、物語はそこでハッピーエンドとはなりません。オーブリー自身が考えて、選んだ家族とは……?

 少女が家族を失い、そしてまた新たな家族を築き上げていくこの物語は、作者のデビュー作で、カーネギー賞の候補作にもなりました。

 傷ついた子どもが立ち直って行く様を、自然な語り口で瑞々しく描いた本書、重いテーマにもかかわらず、読後感はさわやかな、小学校高学年から読んでほしい一冊です。

『もう一度家族になる日まで』
スザンヌ・ラフルーア作
永瀬比奈訳

文:編集部 小島範子

(2021年3月/4月号「子どもの本だより」より)

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