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星野源の『変わらないまま』が好き

世の中は大きく二種類の人間に分かれる。

『変わらないまま』に救われる人間と、「なんだか暗い歌だ」と一蹴する人間だ。
もしかしたら、ほとんどの人が後者なのかもしれない。
というのも、この歌は暗めの歌が多いで有名な星野源の歌の中でもトップクラスに暗い。
けれどぼくは前者だった。それはもう圧倒的に。

中学生の時、友達がほとんどいなかった。
友達のいない生徒にとって、学校なんてものはほとんど地獄だ。
この『変わらないまま』という歌は、そんな地獄と淡々と向き合う一人の少年(それはきっと星野源の体験でもある)を描いた歌だ。

歌詞を引用する。

さらば 人気者の群れよ ぼくは一人でゆく
冷えた風があの校舎で 音を鳴らす 遠ざかる
雨の日も 晴れの日も 変わらないまま
過ぎた 輝く日々が
耳を塞いだ 音楽と本の中で暮らす
これで良い訳はないけど 前は見ずとも歩けるの
雨の日も 晴れの日も 分からないまま 
生きた 輝く日々が
雨の日も 晴れの日も 
昨夜のラジオが鳴り響く 笑いを押し殺す
いつか役に立つ日が来る 零れ落ちたものたちが
雨の日も 晴れの日も 変わらないまま
過ぎた 輝く日々が
雨の日も 晴れの日も 分からないまま
生きた 輝く日々が

この歌は
1番が下校・2番が昼休み・3番が登校
という形で学校生活のそれぞれの場面における少年の心境を描く構成になっている。
以下、それぞれについて詳しく。

1番、下校

さらば 人気者の群れよ ぼくはひとりでゆく

1行目がまず上手い。
文字面を見ると辛く寂しげだが、このフレーズには学校という牢獄から束の間解放された少年の喜びが満ち溢れている。
「どうだ人気者たちよ、今日も1日教室の片隅でこの地獄を耐え抜いてやったぞ。お前らのように俺は群れない。ひとりでゆく」という堂々たる宣言。
それを心の中でひっそり決め込んで、帰り道そそくさとひとり歩く自分を正当化する。
「俺は孤独ではなく、孤高なのだ」なんて。

冷えた風があの校舎で 音を鳴らす 遠ざかる 雨の日も晴れの日も変わらないまま

しかし、強がってはいても、寂しいものは寂しい。
そんな少年の心を表すかのように校舎の隙間を通り抜ける冷たい風がビュービューと吹きすさぶ。それを背中で聞く。
その音がはやく聞こえなくなるようにと、少年は静かに歩みをはやめる。
そんな日々が、何も変わらないまま繰り返される。

過ぎた 輝く日々が

今日もまた輝かしいはずの青春の1日が過ぎ去ってしまった、という静かな喪失感。それも繰り返される。
この1番の4行だけで、少年がどれだけ日々心を殺しながら学校に通っているかが痛いように分かる。

2番、昼休み

耳を塞いだ 音楽と本の中で暮らす

空気のように、透明かのように誰にも話しかけられない。
だから自分から耳を塞ぎ、心を閉じる。
なにせ開いていても意味がないのだから。最初から閉じていたほうが傷つかずに済む。

これで良い訳はないけど前は見ずとも歩けるの 
雨の日も晴れの日も 分からないまま

このままでは、内に籠るだけでは何も変わらないことは分かっている。
けれど、どうしたら良いのか自分でも分からないのだ、ずっと。だから前を向くのは諦めて、ただ生きる。
この「これで良い訳はないけど前は見ずとも歩けるの」という歌詞が本当にすばらしいと思う。
この少年は弱いのかもしれない。けれど確かな強さも持っている。
前を向けない自分の弱さを認める強さ、どんな暗闇の中でも決して歩みは止めない強さ、そして暗闇の先がいつか光に通じると信じ続ける強さを。

3番、登校

昨夜のラジオが鳴り響く 笑いを押し殺す

通学の電車内、録音しておいた深夜ラジオをプレイヤーで再生する。大好きなパーソナリティたちがイヤホンの奥でふざけあい、笑い転げている。
少年も可笑しくなって吹き出しそうになるのを必死にこらえる。
そうして、今日も1日地獄で過ごすためのエネルギーを蓄える。

いつか役に立つ日が来る 零れ落ちたものたちが

このバカ話やふざけあいを聴くことが何の役に立つのかは分からない。
今は分からないけれど、これに意味があったと思える日がきっと、いや必ず来る、と少年は思う。
芸能界のメインストリームからは零れ落ちた一滴の小さな光のような深夜ラジオというコンテンツ、そしてそのパーソナリティたちに”普通の学校生活”から零れ落ちた少年は自分を重ねる。
「彼らに、彼らのつくるものに意味はあるはずだ。そして自分にもきっと…」と。

聴き手が少年を救い、少年が聴き手を救う

歌の中で少年が救われることはない。

少年の日々は「変わらないまま」、そこから抜け出す方法も「分からないまま」続いていく。

けれど、少年と似た日々を過ごし、大人になった「ぼくら」は知っている。
少年の地獄がいつか必ず終わることを。
少年の過ごす1日1日は決して青春の喪失などではなく、後の人生に大きな意味をもたらす大切な日々なのだということを。
少年の弱さは、同じような弱さをもった人間に寄り添う想像力となることを。
暗闇を歩き抜いた経験が、少年にしなやかさを与えることを。

そうやって、聴き手であるぼくらが少年の日々に意味を与える。
それによって少年ははじめて救われる。
そして、少年に与えた救いは、そのまま聴き手自身の過去への肯定となって還ってくる。

これはそういう歌だ。

※以上の解釈はすべてぼくの恣意的なものであり、これと異なる考え方を否定するものでは一切ありません。

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ここまで読んでくださった方はありがとうございました。

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