#15 How to write a shitty novel
あんたが死ねばこの無間の地獄も終わるのよ。
などと寂しい事を妻が、レンジから取り出した袋のままの冷凍食品をテーブルに放りながら、旦那に向けて言い放った。怒りも蔑みもなく、ただ事務的な声だった。
自分で用意をした皿に袋のエビピラフを移しながら旦那が応えた。
「逆に言えばお前が死んでも結果は同じって事だよな」
ご尤も、と、妻は納得せざるを得なかった。
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いきなり男が目の前に立ちはだかり、嬉々とした表情で着ていたコートの前を開いた。中は素っ裸だった。
女は、男の裸体をしばし冷静に観察した後、言った。
「なりが小っちゃくて吠えるばっかりの座敷犬といった感じですね」
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うぜえ、というのが彼女の口癖だ。
宿題が出た時もうぜえ、掃除当番の時もうぜえ、下校時間を知らせる校内放送にもうぜえと言って応える。
そんな彼女に対してクラスの誰もが一度は言ってみたい一言がある。
「お前がうぜえ」
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駅に向かう通勤通学者の列も突き詰めれば墓場に向かう葬列、そんなふうに女は考えていた。日々を、疲れが蓄積するだけの繰り返し作業と感じている自分を慰める為、世を憐れむ事で一線を画していた。
だが或る日、心の堤防が決壊した。誰も彼もが生ける屍ならば已むを得ない、全員ぶっ殺す、そう心の中で呟いた。
途端、世界が変容した。
前を歩くサラリーマンが女を振り返った。その動きは、肘を伸ばして突き出した両腕に自らの身体を引っ張らせているような具合で緩慢だった。建て付けの悪い木戸みたいに開いた口から言葉が漏れた。
「あうー」
そして真っ黒い空洞のような、なにを見てもなにも感じなさそうな眼を女に向けたサラリーマンが、首筋に噛み付くようにして覆い被さった。
世界が変容した。
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大きな変容が起きた後の今もそれ以前も、私の生活はあまり変わっていない。
今日は、映画「バタリアン」のメインテーマが流れた。
設定していない目覚ましアプリが起動し、ファミレス店内のボックス席で私は目を覚ます。洗面所で顔を洗い歯磨きをし、髪型を整えたら厨房に立つ。それから一日中延々と食事を作り続ける。
用意されている食材は毎日違う、なので献立を考えるところから私の業務は始まる。今日は揚げ茄子のそぼろ餡かけ、鶏肉と蓮根の煮物、大根の味噌汁と白米にしようと思う。
調理器具の関係上、一度に作れるのは四から六人前が精々、これを日によって十から二十回程度繰り返す、という事は毎日、四十から百二十人前の食事を独りで作っている計算になるが、無論、しっかりと正確に数えた事など一度もない。どうせ同じ事を延々と繰り返すだけの毎日にそれは意味を為さない。
無人のファミレスの厨房で、独り、黙々と食事の用意を続ける。
時折、厨房から見える位置の通りに面した窓に物言わず思考せず徘徊するものがぶつかる音がする。嘗ては彼らも物を言えば思考もしていた筈、だが変容後の今の姿こそが或いは本質だったのだろうか。いずれ厨房から見る限り彼らは知恵も目的意識も失くしたらしく、店内に押し入られる心配もない為、一区画先から聞こえる非常ベルほどもその存在が気にならない。
無人のファミレスの厨房で黙々と食事を用意し、作り終えたら配膳待ちエリアに運び、直ぐにまた調理を始める。次に用意が出来た分を配膳待ちエリアに運ぶ頃には先に置いた分は消えている。
たまに、天井から吊り下がっているモニターに視線をやる。各地で、物言わず思考せず徘徊するものを機関銃で撃ち殺して回っている作業員たちの様子がマルチスクリーンに映し出されている。私が作る料理は彼や彼女らの下に運ばれている、らしい。
やがてまた設定していない目覚ましアプリが起動する。石野卓球の「anna~letmein letmeout」が流れ、それを以て私は今日の必要分の食事を用意し終えた事を、詰まり自分に課せられたノルマを達成した事を、知る。
変容が起きる以前の私は、食事にあり付く為に最善か否かを基準に進むべき道を選んだ。人は食べなければならないという理屈を原則とするその生活姿勢は今も変わっていない。
すべき事をする。人を出し抜こうと考えたり自撮りテクを研究する事からは解放され、無人のファミレスの厨房で黙々と食事の用意に勤しむだけの日々。
果たして私は食事にあり付く。モニターに映る作業員たちもそれぞれの拠点に戻り、おそらくは一日の規定数の徘徊するものを斃した報酬として食事にあり付く。
明日もまた同じ一日が繰り返される。明後日もきっと同じ一日が繰り返される。
或いは私の穏やかな日々が彼らの孤独な、殺戮の日々による賜物であるなら私の作る食事が少しでも彼らに対する労いになっている事を祈る。
モニターに映る彼、彼女たちに私は言う。
「どうぞ召し上がれ」
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完成がいつになるやも分からない大量破壊兵器の前に、或いは全てを諦めているように自嘲に頬を歪め腕を組んで立っている博士が深呼吸から小さな溜め息を零す。
「もうここらで止めちゃおっかなぁ」
その呟きまでの一連の所作が儀式、果たして博士はいつ終わるともしれない開発作業を開始する。
二十余年間、そうした日々を続けている。
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きゅんと胸が高鳴った。その愛くるしい姿を見れば見るほど自然と頬が緩んだ。女は目の前の、コートの前を開きその下の裸体を晒し堂々たる構えで立つ男に対し素直な気持ちを投げ掛けた。
「可愛らしい、座敷犬みたいですね」
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クリスマスの夜、帰宅した自分をサンタクロースの扮装で迎えてくれた彼氏に向かい、彼女は言った。
「ばかみたいよ」
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決闘を申し込みたい、果たして名を上げたい、と戸口の前に座り込む若者に向かい、老齢の武芸者が言った。
「ばかみたいよ」
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コメディアンの才能が自分にはあると大言していた息子が養成所を見学した後、自分は井の中の蛙だったと肩を落とした。いよいよ就活の時機だと提案する両親に対し息子は一転、明るい笑顔にサムズアップを添えて答えた。
「YouTuberにおれはなる」
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サンタクロースの扮装をした自分を鏡に映した彼氏が、満足のいく作り込みだと何度もうなずき会心の笑みを浮かべた。
「彼女、きっとびっくりするだろうなぁ」
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萎んでいるそれはまるで叱られている座敷犬に見えた。だが、その感想をそのまま伝えては目の前に堂々たる構えで立つ男は悲しむだろうと思った。女は忖度した。
「まるで土佐犬のようですね」
お世辞とは言え喜ばせる積もりで選んだ言葉、だが、男のそれは萎んだままだった。
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「すごーい、土佐犬みたーい」
だが、男のそれは萎んだままだった。
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世界の無情を、男は喉も張り裂けんばかりに叫んだ。
「ちんこを、俺のちんこを犬に喩えるのはもう止めてーっ」
叫ばずに居れなかった。
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空に向かい唾した結果どうなるか試した男。
「んがぐぐ」
氷塊となり凄まじい速度で落下してきた自らの唾を喉に詰まらせて死んだ。
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棚から落ちてきたぼた餅を直接口で受け止めようとした男。
「んがぐぐ」
喉に詰まらせて死んだ。
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ちんちんを自ら口淫すべく膨大な時間と一所懸命な努力を重ねた男。
「んがぐぐ」
喉に詰まらせて死んだ、自らのちんちんを。
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綱渡りのようだと男は思う。
眼下は底なしの暗黒、足元から伸びるロープの先端も真っ暗闇の虚空に吸い込まれて見える。きっと終着の見込めないいつか落下するだけの綱渡りのようだと男は思う。
「疲れた」
その呟きも遥か奈落に落ちていき拾うものはいない。
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哲学者が嗤う。
「わはは無駄だよ。無駄だぞう」
哲学者が今日も嗤う。
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「土佐犬の趣ですね、まるで」
その女の反応にまた男は満足がいかなかった。今日も昨日も一昨日も同じ結果だった。それでも明日また男は繰り出すだろう、素肌にコートを一枚羽織っただけの格好で、街へ。
いずれ如何なる反応を引き出したなら自分が満足するのか、男は知らない。だが挑み続ける。往く道の先を知る為に。
その精神力を以て男は仲間内からドクターコートと呼ばれ尊敬を集めている。
明後日もまた、明々後日もまた男は繰り出す。その精神力を以て。街へ。
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何でもないような事が、幸せだったと思う。
「思い込んでるだけじゃないですかね」
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にっせいのおばちゃん今日もまた、笑顔を運んでくるだろな。
「おばちゃんとはまた失礼な。人権問題になりますよこれは」
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ぬから始まる一文、そして派生する物語を随分と長い間、考えた。
ぬ、ぬ、ぬ、と。
ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、と。
椅子から立ち、室内を往ったり来たりし、ふと見た姿見の前で誰に対しても披露した事がない人気コメディアンの形態模写をしたりしながら只管ぬぬぬと考えた。
閃いた。
メガネの少年が扉を開くとそこは級友の少女宅の風呂場、折しも少女の入浴現場を覗いてしまった格好となる。慌てる少年、対して少女が悲鳴を上げる。
「ぬび太さんのエッチー」
完璧だ。
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ネットで小説を書き続けているのですが一向にバズりません。どうしたら道が拓けるでしょうか。
「止めちまえそんな無駄な事」
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飲んでも飲んでも飲み切れない飲みものってなーんだ。
「考えても意味ないだろそんな事」
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晴れてるのに土砂降り、そこはどんな場所でしょーか。
「考えても仕様がないだろそんな事」
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引いても押しても開かないドアなんてドアじゃねえ、そんなんもうドアじゃねえよ。
「逆切れかよ仕舞いにゃあ」
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二人きりで過ごした初めての夜。
極限まで緊張が昂った後の解放感はとても心地が好く、その興奮が醒めず女は寝付けずにいた。身体を仰向けにすると、見慣れぬ部屋の薄闇の中に自分だけが観られる映画が映し出された。
男が耳元で囁いた言葉が繰り返された。首筋に感じた乱れた呼吸が甦った。至近距離で見詰めた恍惚の表情が再現された。
潤いが戻った。
恥ずかしくもあり嬉しくも感じるその潤いを指先でそっとなぞると、女は自らの性を強く意識した。
隣で男が寝返りを打った。うつ伏せになりながらくぐもった声で寝言を言った。
「まんぺまんぺ、わははまんぺ」
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「変態っ。この変態っ」
走り去った女が吐き捨てていったその言葉こそが、萎んでいた男の心を復活させる恵みの雨となった。彼の一物が数年振りに膨張していた。
仲間からは祝福の声が寄せられ、往った道の先、たどり着いた場所で男は喜びから溢れる涙を拭う事も忘れて感動に浸った。
果たして明日、それがいつしか日課になっていたなら彼はまた街へ繰り出すのか、答は当人でさえ分からない。ただ今は喜びを、果てなき挑戦の結果掴んだ栄光を、言葉にして叫ぶのみだ。
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「勃起したっ。俺のちんこが勃起したぞおーっ」
世界は愛に溢れていると、男は喉も張り裂けんばかりに叫んだ。
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まんぺが自分にとってはどれだけ恥ずかしく、だからこそ興奮を覚える事象であるかを熱弁する女に対し男がここ一番の決意を以て勇気を振り絞って、言った。
「結婚しよう」
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みんなが笑ってる。お陽様も笑ってる。
「やってるねこれは。薬物的ななにかをやってるね明らかに」
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無感動の相手の前で致してしまう粗相としてのまんぺこそが自分を羞恥塗れにし、逆に興奮を覚えさせて呉れるのだと言って女は男の求婚を断った。
男女とはそんなふうにして別離を迎えるものだ。
「まんぺまんぺ、わははまんぺ」
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面子を潰された、という内容の苦情を二十分も三十分も店員相手に怒鳴っている彼にぶつけられる元気玉にはきっとこんな一言が添えらている事だろう。
「ばかみたいよ」
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「もうお前とも仕舞いだな」
そう吐き捨てた彼氏のサンタクロースの扮装は彼自らの手仕事によるもの、白い鼻髭なども本物と見違えるほどだが、それとこれとはまた別のお話。
誰に対してもサプライズは効果的などと信じるお目出度い男と縁が切れるなら清々する、と彼女は思った。
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屋根に登ってみる。
スモッグで曇る夜空の星は消え入りそうに幽かに揺らめき、地上に瞬く人工の光は強く明るいが妙に規則的で偽物のように映った。
自分を導く光はどこにもないと少女は思った。
煙草に火を点ける。愛用のジッポライターは先輩が中学の卒業記念にと呉れたもの。一つ紫煙を吐き出すと、昼間に駅前で友人らと屯していた時の出来事を思い出した。
大人たちが胡散臭げにしながらも素通りしていく中、警ら中の警官に咎められて煙草を没収された。なにをしているかと訊かれ駄弁っていると答えた。仕事はしているかと訊かれ、アルバイトだがネイルサロンに勤めていると答えた。ならば没収する理由はないと言って警官が煙草を返して寄越した。法律がどうあれ自ら稼いだ金の使い途をとやかくは言えない、と笑った。
ジッポの火を点した。空にも地上にもない光が掌の中に生まれた。
突風が火を消した。もう一度、手で風除けを作ってジッポの火を点した。
そうして少女は理解した。突然に気付いた。
どこにもない光を頼ろうとしていた未熟さを、自身で火を点そうとする事の出来る強さを。
興奮して叫びたくなった、走り出したくなった。居ても立っても居られずに立ち上がった。
「あでも、バイクを盗むのは犯罪か」
自転車で夜の町へ飛び出した。先輩に改めてお礼を言う為に。
ペダルを踏めば車輪が回る、車輪が回れば前照灯が進む先を明るく照らす。進む先が明るい理由は自分がペダルを踏んでいるからだ。そんな単純な当たり前が素直に嬉しかった。
全身に浴びる風が、きっとバイクでは生じない疲労感を癒して呉れるようで、少女の気持ちをまた優しくした。
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夢だけど起きてる時にしか見られない夢、これなーんだ。
「やってるね。明らかにやってるね」
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余計なものなど無いよね。
「いっぱいあるんじゃないですか」
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落陽と同時にもう、心がざわついていた。星が瞬くほどに衝動が強くなるのを感じた。果たして、一日と空けず男は夜の街に帰還した。
ドクターコートイズバック、昨日までは弱々しい懇望を堂々たる立ち姿で誤魔化そうとし、しかし誤魔化し通せてはいなかったが、今日からはもう暴力的感情を云う股間の堂々たるを女性たちに見せ付ける。
どうだ、と。
どうだ、と男は見せ付ける。
しばし目を見開いて驚きに固まっていた女がやがて我に返り、右手の人差し指を下に向けそれを指して、訊いた。
「これはしめじですか」
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臨戦態勢も整った状態、即ちおちんちんが勃起しているにもかかわらずそれを指して女が訊いた。
「これはしめじですか」
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る、る、る。
る、る、る。
る、る、る、る、る、る。
「るび太さんのエッチー」
むしろ完璧だ。
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憐憫をその表情いっぱいに浮かべながらも女は冷酷に言い切った。
「これはしめじですよ」
因果応報、或いは暴力を暴力で返される結果だが、むしろ男は次に往くべき道が見えたと感じていた。突っ張って痛くなるほど股間は膨らんでいた。
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老害と罵られ町の外れに追いやられた。
それでも哲学者は今日も嗤う。
「わはは無駄だよ。無駄だぞう」
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わははと嗤う誰か声が頭の中に響いた。決意を否定するようなニュアンスを感じた。その自らの感じ方をこそ博士は自嘲した。
「やっぱここらで止めちゃおっかなぁ」
いつ作り果せるかもしれぬ大量破壊兵器の前で行うそれが二十余年間続けた儀式ならば或いはその後の開発作業も自動的なものかもしれない。
ものを考えずに当たれる好都合な作業であるのかもしれない。
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「をるあっ」
と、エビピラフの山を削る作業に飽きたみたいに旦那が手にしていたスプーンを妻に対して投げ付けた。
それは、やがて大きな熱量を込めて旦那を詰る言葉を生み出し続けていた妻の口にすっぽりと吸い込まれた。
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「んがぐぐ」
言葉を喉に詰まらせて妻は死んだ。
('04.6.13)
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