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#1 男も濡れるんだって、知ってたかい?

 シティホテル、高層階の一室。互いの吐息が混じる距離で女と見詰め合う幸運の中に在って俺は。

 そうじゃない。そういう事じゃないんだ。

 失望にも似た違和感をどうしても拭えずに居る。

 だから訊いた。押し広げるように俺の両肩を押さえ付け、俺の顔を覗き込みながら俺に跨り、踊る全裸の女に。

「なぁ子猫ちゃん、あんた何故、今夜の俺に抱かれる気になったんだい」

 女は、微かに笑った。上体を起こして背を反らせた。ペニスが根元まで粘膜に喰われた。

「やっぱり、ね」

 右手中指を自らの口に銜え込み、そうして唾液塗れになった指を俺の胸に這わせた。

「あなた、土の匂いがしたわ。隠しても隠し切れていない土の匂いがしたわ」

 白く、細いその指がしなやかに往って、優雅に戻って、またくすくすと笑うように往く。

「だったら俺たちは不釣り合いだ。あんたは不自然なまでに無香だ」

「擬態を覚える為に飛翔を忘れたようなものよ。それが最善とあたしは判断しただけ」

 乳首を弾かれた。その強い痛みにペニスが反応した。

 ん、と熱い吐息を零した女の、刹那の緊張が解れた直ぐの顔に、意地悪な一面が滲み出た。

 不公平だと思いはするが、女のそれは許される。許してしまう。

「便乗し兼ねる賭けだな」

 抵抗を試みて俺も口角を持ち上げて見せるが、それは明白な痩せ我慢。見透かしたように女が笑う。まるで母親みたいに。

「あなたの土の匂い、とても素敵よ。大事にして」

 寝物語をせがむ子供をなだめるみたいに、俺の鼻の頭を女が噛んだ。接吻よりもそれは刺激的だった。

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 土の匂い、とはまた言って呉れる。

 だけど。

 そうじゃない。そういう事じゃないんだ。

 札束で頬を叩けば他者も俺に服従するなら人肌の温もりに価値はない。どれだけの体力自慢も対岸に行き着けない懸河を笹舟で割る便法なら自前で用意すると母の陰に誓った。

 その誓いをいつか忘れていたのかもしれない。

 だけど、今、思い出した。

 詰まり夜の終焉だ。

「悪いな、子猫ちゃん。パレードはお仕舞いだ」

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 俺は終わってはなかったし、女も済んではいなかったと思う。だけど、ストラディヴァリウスを黙らせておくくらいに贅沢な事も案外に、コンビニ弁当を温めずに食うみたいに簡単に為せる。どうせ、今はシャワーを浴びている女と、俺は、この部屋を出てしまえば再び会う事はきっとない。何故ならそれが俺たちが生きている街の決まり事であり、そうした決まり事の下に成立している街に俺たちは生きているからだ。

 いつ、誰がそう定めたのか、なぜ、誰もが従順で居るのか。夜に接吻を中断したとて疑問を感じる権利はしかし、得られない。違和感を抱いてはこの街に居られない。

 砕けたラムネ瓶が反射する川底みたいな、窓越しに見る夜の街では、どれだけの清貧も度し難い悪巧みも全て同じ色になる。人工の灯が瞬きしているのは俺になにかを伝える為じゃない、疑問を持たない俺を街が認識する不都合など有り得ないのだから。

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 急に不安に襲われた。街の灯から身を隠す為、部屋の明かりを全て消した。

 そうして気付いた。窓に映り込んだ自らの姿を見て全てを理解した。

 行き場を失くした事にではなく、俺の不甲斐なさに対してペニスは怒りを訴えていたのだ。誰かが定めた決まり事に従順な誰かが生きる街を俯瞰している積もりの俺は、誰だと。

 ペニスが訊いていやがるのだ、お前は誰だと。

 分際を、弁えさせてやらねばならぬだろうペニスに。たかがペニスに。

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 ヘンリー・ダーガーが少女たちの股間にペニスを描いた本当の理由は、もう、誰にも分らない。しかしけうけげんの架空芸人図鑑は別次元に広がる宇宙ではない。想像の翼でお前がどこへでも飛翔していけるのならば俺のマスターベーションの形がどんなだって不思議はない筈だ。

 しっぺだ。しっぺの要領だ。

 左手で竿を握って押さえ付ける。

 右手でピースサインを作り、指を閉じる、その閉じた指でペニスの、とっくりのセーターからずるりと剥き出た頭を叩いてやる。右上から左下に、左上から右下に、繰り返し繰り返し右手を振り払うようにして。

 しっぺだ。しっぺの要領だ。しっぺの要領で亀頭を叩く、それが俺のマスターベーション法だ。

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 俺のそれと一般的なやり方とが違っている事は俺も分かっている。だから、明かりを消した仄暗い部屋の中、額で窓に寄り掛かり眼下に街を見て全裸でその行為に耽る俺の姿はさぞかし、シャワーから戻った女の目には。

「ひっ」

 不可解なものに映った事だろう。

「なにをしてるのよ、あなた」

「問題はなにをしているかじゃない、何故にせざるを得ないのか、だ。歴とした選択が行われちゃいるがそれは自由意志の下にではないという事だ」

「ちょっとなに言ってるか分からないわ」

 負け戦に勝ちに行かなくちゃならないという事だ。

 そうだ、そういう事なんだ。

 お前たちが腸をぶち撒けて死ぬ事を選ばないと言うなら俺が、街に精液を撒き散らかしてやらねばならぬという事だ。

「あんただって立ち小便を試してみた事くらいはあるだろう」

 或いは、迸る生命をも擬態の下に他者の目から隠してしまうのならばお前のスマホにバイブ機能は不要。

「答える義務はないけど、だとしたらどうだと言うの」

 そんなお前の生命程度、俺が剥き出しにしてやる。

「本当はあんたもよく分かっている筈だという事だ」

 俺の。

 体内の。

 末端神経まで巻き取って精巣が。

 ペニスから今滲んで。

 零れる。

「なぁ、子猫ちゃん」

 詰まりこういう事だ。

「男も濡れるんだって、知ってたかい」

 全員、ぶっ殺す。

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