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失敗したときは話してしまおう

疲れていると訂正もできない。

買い物をしていて、レジで袋がいるかきかれる。

「いいです」と断ったつもりが伝わらず、袋をつけてくれる。

「いえ、袋はいりません」と言えない。
疲れていて言葉が出ない。

マイバッグは持っている。
ちゃんと言わなくちゃエコバッグがエコではなくなってしまう。

疲れていると省エネモードになって、口数が少なくなる。
声を出すということは力がいることだ。


うちへ帰って、夜、静かに夫に今日の出来事を話した。
話してしまうと、このどうでもいい失敗談は、両手のひらに収まるくらいの小さな箱に詰めてリボンをかけられたような気がした。

こうして、プレゼントのような箱になると、なぜかこの箱はどこかへいってしまう。

なので、もやもやがあるときは夫に話すとわりといい。
話さずにいると、いつまでもくり返し思い出してどんどん疲れてしまう。

いつも、しょーもない失敗も、うんうん、と聞いてくれる。

とってもありがたいことだ。

だけど、こんな話を聞くことは、重荷にはなっていないのだろうか。
夫は、だいたい、聞いているようで聞いていなかったり、聞いていてもすっかり忘れたりするからたぶん大丈夫だろう。
それぐらいテキトーに聞いてくれるのがちょうどいい。


だけど、あの箱はどこへいったんだろうか。
消えてしまったんだろうか。
わたしが消化したんだろうか。
だとしたら、ちょっとくらい何か栄養になるんだろうか。





おわり。



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