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使い続ける色えんぴつ

最近、5歳の息子がよくぬりえをしている。
発達障害を診てくれている先生が、小学校の机での学習にむけてぬりえをするといいと言っていたからだ。
息子の好きそうなぬりえを無料でダウンロードできるところを探して、プリントしておく。
ちょっとゲームやりすぎじゃないかなというときに、ぬりえをしようと誘ってみたりしている。

使う色えんぴつはわたしが持っていたものだ。
中学生の時、ある日父が買ってきたスヌーピーの色えんぴつ。
別に、色えんぴつ買ってきてと頼んだわけでもないし、ほしいな~とにおわせていたわけでもなかった。

絵を描くのが好きだったので、何かのついでに買ってきてくれたのかもしれない。
そんなうん十年ものの色えんぴつを息子は使っている。
全色そろっているし、ペンのようにつかない色があるわけでもない。
ただ、短くはなっている。

一本足りないのではなく、黒とこげ茶色が縦に並んでいる。

人物のイラストをよく描いていたので、髪の毛を塗る黒や茶色が減っている。
かんかんみたいなのでできてるケースはやや錆びてちょっと歪んでいる。
ふたの小窓は息子がもっと小さい頃に黄色のクレヨンでぐりぐりして汚なくなってしまった。
ふたはパチッとしまらないのでしまう時はヘアゴムでとめる。

夫には、物持ちいいよね、と言われた。
小学生のときを思い出した。
短い鉛筆を使っていると、先生に大事に使っているねと言われたことがある。
わたしは褒められたのだと思ってうれしかった。
でも、大事に使っていたわけじゃない。
使えるから使っていただけだ。
この色えんぴつもそうだ。
使えるうちは使うというシンプルなことをしていると大切にしていることになるのかな。


息子はどうなのだろうか。
新しい色えんぴつがほしいのかもしれない。
新品は気持ちよくてワクワクする。

新しい色えんぴつほしい?ときくと、息子はここにあるやんと言った。
短くなっちゃったらそれだけ新しいのにしたらいいんじゃない?と言った。

例えば緑色が減って、もう手で持てないというくらい短くなったら、緑色を一本調達してこようと思う。
スヌーピー柄じゃみつからないだろうから、この色えんぴつケースの中で居心地が悪いかもしれない。
でも、他の色たちはもうおじいちゃんおばあちゃんだから孫のようにかわいがってくれるかもしれない。

そんなことを考えていると、亡き父が買ってきた色えんぴつで遊ぶ息子が、じぃじと遊ぶ孫のように思えた。

気づけばいろんな思いがのっている。
愛着がわくってこういうことかな。



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