こんにちは。とくです。 自分の未来を信じてますか?笑 【vol.1】では、信じる強さについて考えてみました。 苦しい時こそ、信じて疑わない。 これ、本当に大事なので 忘れないでくださいね。 (vol.1を読んでない方は是非読んでみてください) https://note.com/toku1648/n/n90ba5e7fed72 いやぁ〜本当に人生って辛いこと、苦しいこと、 たくさんありますね。 逃げたい! そう思うことも、何度も経験し
「強い人だ」 その手の言葉をチラホラ聞くけど 実際「強い」ってどういうことだと思いますか? ん〜。 とても難しいね。 もちろん『心』の強さの話です。 「心が強い」 総じてそう言うけれど どう強いって結構難しいところよね。 ある面ではとても強く ある面ではとても弱い。 それが心というもので また 強く頑張っている人ほど 実はとても弱くてもろかったり。 ほんと繊細だよね、心って。 私とて、実はめちゃくちゃ弱いとこもあっ
愛してるかぃ? 自分の人生。 自分の生き様。 時としてぶん殴ってやりたくもなる 己の人生だけど それを必死に受け止めて歩いているとさ なんだか、 その人生も、必死に頑張る自分も 愛おしく思えてくるってもんだよ。 現在53歳。 なかなかの波瀾万丈人生だったな。 20歳で姉を亡くしてから 自分のことを見つめ直した。 こんな自分じゃダメだ!って 変わろうと努力した甲斐あって 人には恵まれたんじゃないかと思う。 だから、その後に起こった様々な出来
▪︎▪︎言葉の力▪︎▪︎ あなたは 生涯忘れないであろう大切な言葉を お持ちですか? 『言霊』 言葉のパワーは計り知れず 大切にすればするほどに 意識を高めれば高めるほどに 大きな威力を与えてくれる。 言霊とはそういうものだと 私は理解している。 私のこれまでの人生で 人からいただいた大切な言葉、 日々忘れることなく御守りのように心に据えて 力の素としてきた言葉。 これらは本当に計り知れないパワーとなり 私を強くしてくれたので 人生ベースで振り
春が近づいてきたのかな? 暖かい日にはちょっぴりホッコリ気分♪ 新しいサクラの香りの香水を息子に選んでもらいルンルンの母、とくです。 何たって我が家、長女に手がかかったもんだから、娘の話が多くなっておりますが うちにはもう1人、かなり個性的な息子がいる訳です。個性強っ!みんなに感心?笑われる息子の生きた17年もなかなかのものなんですよね。 そんなわけで今日は息子のお話を♡ どうです?この見事なまでの3頭身(笑) 心配しましたよ。バランス大丈夫?って。 実はこの
あれからもう1年以上の月日が流れたんだ。 早い… 浪人生となり毎日頑張ってきた娘の受験本番が2週間後に差し迫った1月初旬 「初詣行って願掛けするでしょ?」 母の問いに娘は 「行かない。昨年だって行ったのに第一志望受からなかったじゃん!神頼みなんて当てにならないよ。その時間勉強する方が絶対いい!」 なるほど。 でもね、ママは息抜きして欲しいのよ。 毎日根詰めてるからさ、2人で出かけて美味しいものでも食べて、リフレッシュさせてあげたいわけ。 でも、娘が勉強してい
#習慣にしていること 朝、雨戸を開けるのに少し勇気が必要になってきた。 冷たい空気がツンと起きたての顔と身体に突きささる。 真冬〜〜今年ももうすぐ終わりです。 やり残しはない? 今年の自分に後悔はないかな? … 人生何が起こるかわからない 明日があるかもわからない… 毎日無事に帰宅することすら約束はされてない。 だから今を大切に 過ぎ去った時間に大きな後悔を残さない! それが私の生き方だ。 そんな私が大切にしている習慣。 ニコニコ笑顔でお別れをする
元旦那の悪事と離婚。 1人で子供たちを育て、そしてイジメにより病んだ娘の心と戦ってきた。 その間に経験した様々な出来事。 この命をも投げ出してしまおうと泣きまくった日々。 朝を迎えるのが嫌だった。 毎朝、いつもと変わらず目覚める自分が憎かった。 そんな時を乗り越えて 今、笑っている私がいる。 “今… 今の私に出来ることはなんだろう? 私だから出来ることは? そして私は、この先どう在りたいのか…” 子供たちも成長し
父親が法に触れるような人間だったと知った子供たちの心境を察すると 心が折れそうなほど苦しかった。 家を追い出され 半年に2度の引っ越し。 それだけでも心穏やかではないのに その状況を招いたのが 父親の罪のせいだなど 思春期の子供たちが悩まずに受け入れられるわけもなく 特に娘には酷な話だった。 きっと生涯、その悲しみに囚われていくのだろう。 子供たちには隠し続けるという選択も考えた。 けれど、また文無しになってしまった我が家の経済事情を知ってもらう必要があ
嫌な思いをさせられながらも 娘は毎日登校し いわゆる普通校で言うところの生徒会メンバーとして 仲間たちと楽しい時間も持てるようになった。 嫌な奴はどこにでもいる。 成長とともに、娘も強くなり始め そろそろ受験に向けて本格的に勉強に力を入れよう! 親子ともに平穏を取り戻しつつあった高2の秋。 また事件は起きた。 離婚時に、元旦那の借金が1000万を超えていたため養育費も慰謝料も貰えず 借金の返済が終わったら、決められた金額を受け取れるという約束。 文無しで
学校にほとんど行けずに終わった中学生からの進学先は 通信制高校ぐらいしかなかった。 それまで、通信制高校とはなんぞや?と 全く知らないスタイルの高校へ進学させるにあたり 娘が、後につまずくことがあっても 自分で選んだんだと自覚出来る様に 何に重点を置きたいか?を話し合った。 元々、勉強が好きだった娘の 先行き大学に進学したいという気持ちは全く薄れていなかった。 中学生の間も 学校で勉強出来ない分、家庭教師のお世話になり 勉強が好き!を維持出来ていたのだ。
なんとかかんとかシングル生活も軌道に乗り始め これからの3人の生活に大きな希望を持ち始めた。 父が居なくなり 母は忙しくなり 子供達のメンタルが心配だったが、 2人はいつも満面の笑みで 「ママ行ってらっしゃ〜い!頑張って〜!」と 見送ってくれた。 1番努めたことは 2人との会話を減らさないこと 家庭内の温度(温もり)を下げないこと そして、母の仕事を共有してもらうこと。 今日はこういうお客さんとこ
月日が過ぎゆくのは本当にあっという間。 あの雪の日の出産後は 平穏な日々が続いていた。 相変わらず旦那はいない。 息子が1歳になる頃には 「基本栃木勤務になるから 帰るのは週末ぐらいになる。」 そう言って、 平日は栃木、週末は自宅に戻る生活が始まったんだ。 栃木勤務…なんて、嘘だったけど。 寂しさなんて全くない。 だって、旦那とは息子が20歳になるまで…と 決めていたのだから。
息子が宿った頃から また何かが狂い始めた。 毎晩夜中帰宅の旦那。 怪しい… 全力で女の勘が働く。 しばらく様子を見ていたが明らかにおかしい。 疑いの気持ちは日に日に強くなった。 まだ、その頃の私はかわいいもんで いつ帰るのか? どこで何をしているのか?と 娘を寝かしつけた後 泣きながら旦那の帰りを待っていた。 2003年12月、息子誕生 クリスマスも終わり 冷え冷えするその夜は 数日前から出続けてい
娘が生まれて母となり 私にもやっと幸せが訪れた。 結婚して1年、旦那に700万の借金があると知り まだ苦労の経験もない若かった私には それはそれは大きくのしかかった心労だった。 当時OLだった私の給料は400万ほど。 それなりに貰えてたはずなのに 借金返済のための貧乏生活が始まった。 人には言えなかったので 普通に交友費はかかる。 1人で食べる昼食と夕飯が節約どころで 月曜日に6つ入りのロールパンを買い 毎
20歳までの私は まさに順風満帆だった。 出世街道を走った親のもとに生まれた 3人姉妹の真ん中っ子。 幼い頃からわりと器用で、容量も良く 勉強、写生、書道、音楽… クラスの代表となり表彰などを受けることも多か った、どちらかというと目立つ奴。 高校、短大 楽しむことに全力を傾け 充実の日々を送っていた当時のギャルは 少し高飛車な女だった。 20歳まで… その高飛車な女が それまでの自分を振り返った大きな出来事 姉22歳の突然の死 幸せな家族に