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ツボ売り3

形だけの内定者懇談会が終わり内定者は4名という事がわかった。そこで説明会で隣にいた石田も内定していることを初めて知った。こんなことであれば石田ともメアドを交換しておけばよかったなと山本は思う。

山本、石田の男性2名と南野、吉岡の女性2名というグランドオフィスにとっては初の4名新卒採用らしい

グランドオフィスは東京を中心にオフィス仲介を行っている企業。創業者の大曲社長も元は不動産業界にいたのだが、業界構造の難しさと売上に固執する企業体質に疑問を持ち独立したいわゆるベンチャー企業である。

現在の社員数は約40名、大体が20代から30代と比較的若い。その中で5名の新卒を取るというのだから社長の期待や意気込みが見て取れる。予定では山本を含む新卒は1か月の研修を行い、その後は各1名の先輩につき仲介営業として独り立ちしていくとのことだった。

山本にとって社会人としての1か月は一瞬の出来事だった。メールの打ち方、電話の出方、そして名刺の渡し方や営業同行、物件確認の方法など学ぶことが多かった。石田や同期とも接することはほとんどなく座学と研修で日々が過ぎた。自分が社会人になったことと社会人らしくスーツに身を包む姿に充実感もある。これが社会人なのだと思った。

山本が配属されたのは営業1部、そこで山本は直属の上司となる岸部課長と出会う

岸部は30歳、部下は4名ほど抱える営業グループの取りまとめ役だった。若いながらも大きな案件をいくつもまとめ部下が4名いるという優秀な社員だが配属時の岸部は挨拶もそぞろにすぐ業務へ向かった。

「岸部さん、今日からよろしくお願いします。早く一人前になって岸部さんや課の役に立てるように頑張ります!」

岸部はパソコンのモニターから目を離さないまま

「うん。頑張ってよ。まずはこのリストにある空室確認しておいてくれる?」そう言った。

愛嬌は無く機械的だったが、山本にとってはまだ何もすることが無いので岸部からもらうリストの空室確認を日々こなして伝達した。面白味が無いが社会人としてもらった仕事を必死にやらねば・・・そして岸部から学べることは吸収しなくてはと丁寧に仕事した。

半月が過ぎたときに岸部から意外な言葉が放たれた

「そんで山本君、今月君が果たさなきゃいけないノルマは1件の成約だけどどうやって売上上げるの?」

山本は言葉に詰まった。案件?売上?
岸部から与えられる仕事を毎日こなしていたが、そこで売り上げをあげる話も成約する話も聞いていなかったからだ。

「あー、もしかして君も座っていれば案件が空から降ってくると思っているクチ?君が毎日やっている作業は俺の案件の空室確認だから俺の数字には影響するけど君自身は何もやっていないのと一緒だぜ。どうするの?」

山本は返す言葉が無かった。

「じゃあ仕方ないから俺の見込みが薄い顧客のリストあげるからこれで電話して、移転したい顧客があったらやっていいよ。電話の仕方は研修期間に教わったでしょう。今日から空室確認はしなくていいからこっちやりな」

「わかりました。岸部さん、見込みが薄いという事は移転をしたい意思が弱いという事では?」と頭に山本が思ったことを返した

「そりゃそうだ。いきなり俺が新人に見込みが強い案件なんて渡すわけないでしょ。そのリストの中から売り上げが立つ案件を発掘できれば課としてはありがたいし、君にとっても1件成約できて良いじゃない。社会人になったんだから頭使って売り上げあげる方法考えなよ。手取り足取り俺は教える時間ないぜ」

一瞬頭が真っ白になったが、山本にとっては岸部は直属である。逆らう事もできない、なんにせよリストをもらったのだから明日からはこの300件ほどある会社へ電話しなくてはいけない。

山本の先月までの華やかな気持ちがしぼんでいくのがわかる。これが社会人か、これが不動産会社なのかと思った。

その日は珍しく同期が飲みに行くという事で20時には退社して都合のあう同期3名と近くの中華料理店でおちあった。

「俺は今3件内見をもらって、1件申し込み予定なんだよ!不動産って気合いれて頑張れば成果あげられるんだなチョー楽勝じゃん」石田が酒が進む中上機嫌だった

「俺は岸部課長の元で今日、どうやって成果をだすんだって急に言われたよ、俺は岸部さんの言う空室確認ずっとやってたけどそれじゃダメなんだな」

「へー岸部さん、何考えているかわからないけど結構厳しいだな」

「ウチの課は先輩が案件を一緒にやろうって言ってくれて半分は俺の売り上げにして良いって言われるからやる気もでるんだよな」

どうやら山本の所属している1課は岸部課長の判断である程度決まってくるらしい他の同期達は先輩との同行で少しづつ案件を持たせてくれるが1課は自分で売り上げを上げろ、人に頼るなという課のようだ。

「ま、でも岸部さんは新規案件とってくるのすごく強いって評判だし、ベンチャー企業の移転にも顔が利くらしいからお前がうらやましいよ」

石田はそう言うが山本の気持ちは晴れない。3件内見していて1件の成約が見れている石田に対して山本が今できることは岸部からもらったリストに電話を掛けるだけなのだ。そのリストは見込みが薄い顧客だと言われたばかり。

同期の状況を知ることができる飲み会は気晴らしになった。しかし山本の胸の中には明日から始まるリストへの架電や不安がのしかかっている。


乗換駅の代々木上原は終電間近であるにも関わらず、人であふれかえっている。各駅停車に揺られて30分都会とも田舎とも言えない向ヶ丘遊園駅を目指してほぼ満員の小田急線にのって家路を急ぐ。


主にオフィスに関する不動産知識や趣味で短文小説を書いています。第1作目のツボ売り、それ以外も不動産界隈の話を書いていければ良いなと思っています。 サポート貰えると記事を書いてる励みになります。いいねをしてくれるだけでも読者がいる実感が持ててやる気が出ます