2019年
今年の振り返り。表に出せるような文章構成ではないし、見られることを目的としてはないけど、たぶんこうやらないと振り返りってできないと思ったからnoteに残します。
1月・2月・3月
メディアセールスチームとして売上・件数を上げるために日々数値の確認、ネクストアクションの策定、あとはアタックの繰り返し。
2年目の終わりになり、やっと数字を作ることの動き方がわかってきた。
僕の担当はApple search ads(以下ASA)とFacebook。
ASAはその前年の夏にリリースされた新規メディアにつき、その新規性と最新トレンドを握って話せば受注率は高い媒体だった。
Facebookはアプリ案件にとって安定感抜群の媒体。LTVも他媒体と比べて高く、どんな案件でも一回は配信してみるような媒体。ただ、自動化や媒体自体の学習能力が高く、提案を入れるには一工夫もふた工夫も必要だった。
今思えば、2つメディアを担当していると、どっちかが疎かになる。(それを越えることが求められているのは大前提)もう少し時間あったらなあとか思う時もあったし、確かにこの時間は無駄かもしれないなと思いながらやってた。
ただ、経験することが考えることよりも還元をくれる。そう思うようになった。
そんな時期。
そして2月後半。
「こんな時間をとるってことはお前が1番わかってると思うが…」
当時のマネージャーにこう切り出されたことを明確に覚えてる。
人事への異動が決まった。
そこから怒涛の引き継ぎ祭り。
まだ1人前でもないトレーニー2人に4月までのマイルストーンを設定し、どうにかレベルを落とさず一人立ちできるよう媒体知識、疑問の回収、提案方法のノウハウを詰め込んだ。
今思うとあれだけの量を覚えろという方が難しい。笑
ただ、それまで食らいついてきた後輩2人には本当に感謝してる。
だって、無理矢理担当してもらいます。って感じでいきなりダッシュさせられてるわけだからね。
そう思うのも、僕が1年目の頃からずっと人事をやりたいって言っていたからこそ生まれた事象だと思ってるし、そんなわがままを押し付けられた張本人たちだから。
僕個人としては、人事の仕事については全くわからない状態で覚悟だけしといてねと伝えられ、
経験することが考えることよりも還元をくれる。
そう思ってるからこそ、『とにかくやるしかない』と無駄な気概を持ち、日々過ごしていた。
そこからはASAとFacebookの引継ぎ+メディアの拡販、社内共有などいつも通りに日々過ごし、3月から徐々に人事の仕事にも手を出し始めていた。
4月
社会人3年目となり人事としてのキャリアをスタート。
初日は新卒の入社式もあり。2年目一度も着なかったスーツに身を包み出社。
新卒の前で一言話すだけなのに噛む。(あれは恥ずかしかった。笑)まぁ、でもそれだけ緊張していたんだろう。
人事として最初の大仕事は、新卒のOJT(D2Cではグループ会社を研修という形で回る)。
衝撃を受けた一言は上司からのこの言葉。
「その週、私いないから任せたよ。」
「????」
新卒の子になんて接すれば?OJTの内容は?タイムスケジュールは?必要なことは?
一瞬取り乱したが、やることには変わりないので、一つずつやるべきことを洗い出し、何をしていくか決めていく。
思えば、何かしらの会を準備〜当日までをディレクションするのは初めてだったかもしれない。
これはCRAZYでのインターン経験があったから、怖くなかったのかも。(この話でもひとつ記事書けそう)
それ以降は中途採用のオペレーションから面接実施までを毎日相当数繰り返し。
人を扱う仕事だけあって、ミスリードしてはいけないし、それを補うだけの知識もないし、上司からは無茶なオーダー(当日はそう思ってた)がばんばん降ってくるし、提出期限もタイト。
必死に食らいついた。無我夢中だった。
GWに入る最終日。
業務を終えた僕に上司が頭をぽんぽんとして。
「私のスピードによく食らいつきました。お疲れ様でした。」
と、言われて安堵と肯定感とでちょっと涙目になったのは内緒。
5月
5月に入り、新卒1年目の本配属が決まり、D2C Rにも6人の新卒が入ってきた。人事の僕にとって初めての1年目。思いが入らないわけがない。
この子たちにとって必ず良い1年にしよう。確実に成長できましたと言える1年にすることを漠然と考えていた。
同時並行で20卒の新卒採用面接もスタート。学生と面接をすることも初めて。中途よりも判断が難しいとよく言われるが、個人的には採用ポリシー+@で素直さをどう図るかを特に意識していたなと思う。
そしてこの月からATSツールの導入も検討し、各社のお話しを聞いていった。
HRMOSとHERPが最終的に残り。翌月に決定が持ち越された。HERPの方とのMTGで検討材料をヒアリングしながらリアルタイムに資料に落とし込まれていったあのスピード感と言語化力と整理する力に圧倒された記憶がある。
結局HERPには決まらなかったけど、次ATSを切り替えるタイミングが来たらまたHERPの導入を検討したい。そう強く思わされる時間だった。
6月
キャリアサイトリニューアルのPMを任された。サイト作成のディレクションは経験なし。構成を考えるところから各ページのディティールの見せ方、写真撮影、各社員へのインタビューなど、進めれば進めるほどやらなければいけないことがボロボロと…
僕の心もボロボロだった。なぜなら僕の仕事をする上で大事にしている
後工程の人を考える仕事の振り方。進め方。
が、まったく通用しない。運用部で身に着けたディレクション力とはまた違う性質の力が必要なことを痛感させられた。いろんな人に迷惑をかけてしまったなあと。
現に、前部署のマネージャーに現場を離れたら後工程の人のこと考えられなくなるんだなと言われ強く落ち込んだ。笑
それだけショックだったんだなと。
圧倒的に足りなかったのは想像力だった。運用業務は流れがわかっていた分、仕事の依頼や期限の設定などが楽だった。けれど、人事の仕事は初めてやる業務がこれからもかなり現れる。
この月、仕事の全体像から想定しうる関係者、そこから発生するタスクなどある程度想像するような癖付けをすることを意識し始めた。
あ、あとATSツールはHRMOSに決定した。
7月
人事にアシスタントがJOIN。エージェントとのオペレーション業務と総務関係の仕事の巻き取りが主な業務でとてもありがたかく感じた思い出がある。
ただ、人事の仕事としてはそんなに慣れていない中で、新しい人が入ってくるというその描写だけで、気持ちのモヤモヤがあった。大したことはなかったし、全く同じ業務ではないけれど人事の人数が急に増えた事実に関するモヤモヤ。
そんなことに気を使う前に人事としての仕事を一人でこなせるようになることが先だったけど。そんな迷いも当時はあった。
そして新たな取り組みとしてPRTableも開始。
人事ってこんなにも新しい施策をポンポンと行うものなのかと驚いたとともにその全体戦略に僕が関われて行けなかったことに対する焦りもあった。(施策全体は採用責任者の方が主に決定していた。)
ただただ、ひたすらに手を動かし、面接の現場に出続け、その片手間でキャリアサイトやPRTable、新卒採用などマルチタスクにもほどがある夏を過ごしていた。
8月
夏インターンの時期。全10日間の1dayインターンを実施し、その中の運用パートを担当。1日3時間ほどのインターンを講義からワーク進行、ワーク解説/総評を担当した。
正直本当にタフだった。笑
人前に出ることすら1年前にはほとんどなかったのに、こんなにも環境が変わるんだなと感じた。
1日約50名弱の学生の視線を1人で受ける。計500名近い学生のエネルギーを受けながら、前に立ち続けた。学生によく思われようと必死だった。
中途採用では、徐々にオファー定時を実行する側へ。すべての疑問を解消できないもどかしさと、最終決定が行われる時間からくるプレッシャーとでかなり消耗した感覚。
夏の暑さと人から受けるエネルギー(プレッシャー)にはすごい力があるなと実感した月。
9月
PRTableの執筆を担当。
まさかライターまで経験することになるとは。笑 インタビューも初経験。引き出しかたなど全くわからないし、執筆作業も初めて。この完成度で上げてもいいのだろうかと、執筆中はずっと迷い、何度も書き直しをしていた。
どんな表現が伝わりやすいだろうか。写真もエピソードと連動するような選択をしなければならないとか。
かなり気をつかう仕事だった。
今では、抵抗感はあまり感じないのだけれど。当時はかなり嫌だった。笑 初回が社長の記事だったからってのもあるけど。笑 そんな思いで。
10月
この頃からエージェント、ダイレクトリクルーティングのリレーション強化に着手した。
リアルタイムでの情報共有や、定期的な定例会の実施。すごく細かいことだけど、やるのは簡単、続けるのは難しいのそれ。
ただ、気持ちと一緒に伝えることは大事だと思ってて、「あなたと一緒に目標を達成したい。」
打算でもなんでもなく、ただその思いをぶつけてからミーティングをした。
業務量はもう本当にものすごい中、続けることはタフだったけど、やろうと決めたのでやった。
11月・12月
10月に決めた目標の一つ。エージェントとのリレーション強化。
なかなか、うまくいかなかった。
11月は他の仕事があるからを言い訳に、採用計画の変更ですら連絡をしない始末。
その結果、改善傾向の見られない各チャネルの歩留まり。
このままではまずい。一気にギアを入れ替え、再度リレーション強化を注力。
曖昧だった月次の応募数や書類選考通過率などの目標数値をエージェントと握り、週次で数値の確認、気になれば口頭でのコミュニケーションを徹底した。
あとは、ダイレクトリクルーティング。
スカウト通数にこだわり、お客さんと数値目標を握り打ち切った。
まとめ
今思えばこんなにも早く人事ととしてのキャリアを早く積めるとは思わなかった。
欲を言えば、現場メンバーとしてセールス力、運用力をつけて行きたかったと思っている一方で、こんなにも早く経験する環境を与えてくれた会社には感謝しながら会社の代表という気概でこれからも毎日を少しづつ進めていかないといけない。と思っている。
人事元年。年度としてはまだ終わっていないけど、面接に出た回数は293回。時間にすると293時間。これだけの時間を初めましての人と話す時間に注いでいる仕事はそんなに多くないと思う。
個人的にはもっと人となりが知れるような時間にしていきたいなと思っていることが今後やっていきたいと思っているコト。
まとまりもないけど、こんな1年間を過ごしてきました。今回は振り返りだけ、もし、最後まで読んでくれた人がいたらありがとうございました。
おわり。
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