「頑張る」は逃げのひとこと

「どうでもよいのになぜ頑張っているのか」

「自分の人生なんてどうでもいい」と思った自分に失望しているらしいことが分かったので、それを軸に考えてみた。

そうすると、自分は「どうでもいい」と思いつつもどうやら仕事は頑張っているらしいことに気が付いた。

例えば、ここ数ヶ月、ものすごく働いていると思う。平日は朝から夜中まで働いているし、土日は部活動に行って、終わったらたまった事務作業。家に帰っても残った仕事をなんとかやって、自分の担当の仕事も終わらせる。子どもたちのことを沢山考えて、考えすぎて夢にも出てくる。……うん。これは頑張っていると言ってよいのではないだろうか。

ところで、頑張るってどういうことなんだろう。自分もよく使っている言葉だ。だが、この言葉を子どもたちへ向けて使うときはいつもモヤモヤしてしまう。なぜなら、頑張るはとてもとても曖昧な言葉だと感じるからだ。

頑張るって何をすること?どんな姿?何ができればいいの?…….これがはっきり分からない、正解は相手に委ねるある意味責任転嫁な言葉だと思う。だからこの言葉を使うとき、私はいつも子どもたちから逃げているような気持ちになる。この子のことをちゃんと見ていなくて、わかっていなくて、相手の立場にも立たなくて、だからこんな曖昧な言葉を使ってしまうのだ。

話が逸れたが、私は「自分は仕事は頑張っている」と思っているようだ。何ができているか、あるべき姿はどうかはっきり分からないけれどとにかく仕事に時間と心を割いているからいいんだ、と思いたいのだろう。でもこれは単に自己満足にすぎない。もっといえば誰にも頼まれていないのに勝手に自己犠牲を払い、そんな自分に満足しているどうしようもない状態だ。それは分かっている、でもそんな自分を受け入れられる心の余裕がない。だから私は「どうでもいい」と思うことで自分の未熟さから逃げているのかもしれない。

どうしたら未熟な自分から逃げずに、真っ向から向き合えるのだろうか。どうしたら、自分に言い訳せず、正当化せず、自分を変えていけるのだろうか。それが分かれば、いや、まずはそんな気持ちになることができれば、もう少し毎日が楽になるのかな。しかし残念ながら、いまの私が思うことは、どうしたら迷惑かけずに消えていけるかということだ。これではやはり悲劇のヒロインモード全開である。そんな自分は嫌なのに。

……今日もため息が止まらない。

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